都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
・名称 イチイ
・一位(いちい)科。
・学名 Taxus cuspidata
Taxus : イチイ属
cuspidata : 急に尖った
Taxus(タクサス)は、ギリシャ語の「taxos(弓)」が語源。
・針葉樹。寒さに強く、北海道でも育つ。
・葉っぱはとがるが先端は柔らかい。
・材は良質で建築材、鉛筆、細工物等に使われる。
・実は9~10月頃に赤くなる。
赤い皮と身のところは甘いらしいけど、 黒い種子は有毒とのこと。
・昔、貴族の持つ「笏(しゃく)」を飛騨の位山(くらいやま)にあるこの木で作り、朝廷から官位の「一位」を賜ったことから「一位」の名になった。
・別名 「笏の木(しゃくのき)」 上記より。
「蘭(あららぎ) 」
「オンコ(北海道)」
今年は見たこともないほど、「オンコ」に実がつきました。異常気象のせいで子孫を残そうとした結果でしょうか。クリスマスツリーのようです。
したっけ。
「茶道」を「さどう」という人が多いようですが、正しくは「ちゃどう」と読みます。
一般に「さどう」といえば「茶堂(茶室)」「茶頭(茶の湯をつかさどるかしら)」を指す言葉だったらしいのです。江戸時代までは茶道を指す言葉はなかったようなのです。
『広辞苑』でも「さどう」の項では「ちゃどう」の項を引くように指示が在ります。
ちゃ‐どう【茶道】 ダウ
茶の湯によって精神を修養し、交際礼法を究める道。室町時代、村田珠光を祖とし、武野紹鴎を経て、千利休に至ってこれを大成、禅の精神を取り入れ、簡素静寂を本体とする侘茶ワビチヤをひろめた。利休の子孫は、表千家・裏千家・武者小路千家の3家に分れて今に伝わり、その他門流多く、三斎流・織部流・遠州流・藪内流・石州流・宗 流・庸軒流などの分派を生じた。さどう。
茶の湯をもって仕える者。茶頭。
広辞苑
「ちゃ」という言葉、音がなんとなく品がなく聞えるからでしょうか。「さどう」といったほうがそれらしく聞えるから不思議です。というか、「ちゃどう」という人がいないので、「ちゃどう」というのには勇気が要ります。
したっけ。
・名称 オオツリバナ
・科名 錦木(にしきぎ)科
・学名 Euonymus oxyphyllus
Euonymus : ニシキギ属
oxyphyllus : 鋭形の葉の
Euonymus(ユオニマス)は、ギリシャ語の「eu(良い)+ onoma(名)」が語源。
”良い評判”を意味する。
・花期 晩春~初夏
・深山に生える落葉低木です。5、6 月頃に葉腋から長さ 7 ~ 15 センチの柄を出し、直径 8 ミリくらいの淡緑白色の花を 10 数個つり下げます。
・秋にオレンジ色の実がなり、美しい(5裂した先に実がぶら下がる)
・赤い実を花に見立て「吊したような花」と表現したのが名前の由来らしい。
自宅の「オオツリバナ」が実を吊り下げました。
したっけ。
馬子(まご)にも衣装(いしょう)
つまらぬ者でも外形を飾るとりっぱに見えることのたとえ。
大辞泉
「馬子」は江戸時代に宿場などで、馬を引いて、旅人を乗せたり、荷物を運んだりした人のことです。
古くは奈良時代から記録があるそうです。江戸時代の宿場町での運搬業は、農家の助郷役(すけごうやく:課役)で、いわば農民が幕府から強要されていた割の悪い仕事でした。
村が人馬を提供できない場合は、金銭で代納すれば許されていました。そのため次第に代納が増え、運搬業者が不足しがちになりました。そこで幕府はある程度身元のはっきりしている浮浪者などを認可して、運搬業に従事させ始めたのです。
このような背景から、馬子はみすぼらしい格好をしている者が多く、中には褌(ふんどし)一丁で、裸同然の格好をしていた者もいたと言います。
また、認可を受けずにもぐりで馬子のふりをし、旅人から金品を脅し取ったりする者も横行したことから、「馬子」という職業のイメージそのものが良くなかったようです。
衣装というものからは程遠い者の代表として、馬子を取り上げることで、「そんな馬子でも、ちゃんとした身なりをすれば、それなりの人に見える」ということを表現したものなのです。
みすぼらしいものの代表に選ばれた「馬子」にとっては、いい迷惑な諺といえます。
したっけ。
「孫の手」は、もともと「麻姑の手」と書きます。「孫」とは縁もゆかりもない言葉なのです。
「麻姑」とは、中国の漢時代の美しい仙女の名前なのです。彼女は17、8歳の美少女で、鳥のように長く鋭い爪を持っていたという。
そして、その長い爪で痒いところを掻いてもらうと、言葉も出ないほど気持ちがよかったのだそうです。
ここから、背中を掻くための棒のことを 「麻姑」と呼ぶようになりました。これが日本に伝わり、いつしか「孫の手」と呼ばれるようになったのです。
かん【漢】
中国古代の王朝。前202年、高祖劉邦(りゅうほう)が建国。長安を都とする前漢(西漢)と洛陽を都とする後漢(東漢)とに分かれる。両者の間に、王莽(おうもう)が建国した新による中断がある。220年滅亡
大辞泉
麻姑(まこ)は中国の仙女。西晋・東晋時代の葛洪(かつこう)の書『神仙伝』などに記述があり、その容姿は歳の頃18、19の若く美しい娘で、鳥のように長い爪をしているという。また長寿の象徴でもあり、西王母の誕生祝いに麻姑が美酒を贈る「麻姑献寿」は絵画の題材にとられることも多い。
西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)
西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)は、中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。
ウィキペディア
麻姑(まこ)を倩(やと)うて痒(かゆ)きを掻(か)く
《麻姑にかゆい所をかいてもらうと、気持ちがいいことから》物事が思いのままになること、また、思いどおりに事が運ぶことのたとえ。麻姑掻痒(そうよう)。
大辞泉
実際に孫に背中を掻いてもらっても、痒いところには手がとどかないかもしれません。
したっけ。
「十三人の刺客」観て来ました。前作、片岡千恵蔵主演も観ている私はリメイクがどのようなものかの期待もありました。
さらに、SMAPの稲垣吾郎が暴君
を演じるとあって、ミスキャスト
ではないかとの不安もありました。ところが、前作では影が薄かった暴君
は、今回存在感を増し、稲垣吾郎はその期待に応えていました。
前作は、勧善懲悪の色が濃いものでしたが、今回は暴君が何故暴君
であったのかと言うところまで踏み込みました。さらに、前作で山城新伍が演じた郷士の若者を猟師に変えたことで、武士社会への批判の目
を持たせ、さらに深みが増しました。
時代劇ですから、殺陣は当然期待します。前作には登場しなかった、火薬を使用することにより、アクションの派手さを演出、殺陣も、いわゆるチャンバラではなく、実践的なものでした。また、馬
も多数登場しスピード感があります。
最後に、稲垣吾郎が笑いながら殺されるところは、鬱憤の晴らしどころのない若者と重なります。
久々に、面白い時代劇を観ました。
したっけ。
夫を亡くした婦人を「未亡人」といいます。しかし、それを他人がその婦人に向かって使っては大変失礼というものです。
「未亡人」は読んで字のごとく「夫(は亡んでしまったが、私は)未だ亡びざる人」という意味で、謙遜して自称する言葉だからです。
みぼう‐じん【未亡人】
《夫と共に死ぬべきなのに、まだ死なない人の意。元来、自称の語》夫に死別した女性。寡婦。後家。びぼうじん。
大辞泉
ですから、他人が使うと「まだあなたは死なないのですか」と言っているのと同じで、婦人だけがずうずうしく生き残っているようで失礼なのです。
「未亡人」という言葉を使う場面では「御主人はお亡くなりになられたそうで・・・」のように言い換えるようにしましょう。
同様に「後家」も直接的過ぎるので、本人には使わないようにしましょう。
ご‐け【後家】
1 夫に死別し、再婚しないで暮らしている女性。寡婦。未亡人。やもめ。2 二つで一組になっている道具などの、片方がなくなって残っているほう。
大辞泉
都々逸に、「後家といぅ字は後ろの家よ、前の空き家は誰に貸す?」なんて不謹慎なものもありますが、通常の場合、御主人をなくされた御婦人は悲しんでいられるはずですから、十分な気遣いで接することが大切です。
したっけ。
今日も自宅庭でキノコ狩りをしていたら、長く延びた「繁縷(はこべ)」の中にピンクの花?が・・・。周囲の繁縷を掻き分けると、土からいきなり花が咲いています。
それは嬉しそうに「見つけてくれて、ありがとう」と言っているようでした。暗い土の中から早く出たかったのでしょうね、きっと。葉っぱもなしに、花だけ咲いているのですから。
花図鑑を調べてもわかりません。いつもの、帯広百年記念館のI氏のもとへ・・・。
「クロッカスですよ。それ以外は思いつきません。クロッカスが秋に咲くかと聞かれれば、それはわかりません。」とのお答えでした。
クロッカスとわかれば、クロッカスの種類を調べればいい・・・。
やっぱり「クロッカス」でした。植えた憶えのない「クロッカス」でした。それも、珍しい秋咲きのクロッカスです。
束の間の花の命が終わると、鮮やかな緑の葉が伸びてくるそうです。又来年の秋の日差しに目覚めるまでの静かな眠りを守るように・・・。
去年も、ヒッソリと咲いていたのでしょうか。 今までまったく、気づいたことがありませんでした。
死んだ親父が植えていたのでしょうか?いや、親父は草花を植えません。とにかく、突然の贈り物です。
メシベを乾燥させた物がお料理に使われる「サフラン」だそうです。
本来はサフランというのはこの部分だけを指す言葉だそうですが、今は秋咲きのクロッカスをサフランと呼ばれる事も多いようです。
サフラン【咱夫藍】
アヤメ科の多年草。クロッカスの秋咲き種。葉は線形で、花後に伸びる。11月ごろ紫色の6弁花が咲く。赤い花柱は止血剤などに、また香辛料、化粧品の着色剤として使われる。《季花=秋》
大辞泉
花の女神が子羊のベッドにするために咲かせた秋の最後の花だという物語があるそうです。
花の女神フローラ(ギリシャ神話では妖精クロリス)が 牧場で秋の夕暮れを楽しんでいた時牧場の妖精に お願いをされました。
「フローラ様 このかわいい子羊たちに どうか秋の終わりのお昼寝を楽しませてあげていただけませんでしょうか?」
そこでフローラは サフランを咲かせ 子羊のベッドにしてあげました。
ローマ神話
サフラン花言葉:残された楽しみ
花の女神、クローリスが、秋も終ろうとする頃、湖畔で一人、春から夏へと色々な花を咲かせてきたことを思い起こしていました。
そこへ牧場のニンフが現れ、羊たちが野原の草が枯れて悲しんでいると訴えました。クローリスはその熱心さに心を動かされ、秋の最後にサフランという花を咲かせました。と言うわけで、サフランは季節の最後に咲くと言われています。
ギリシャ神話
ギリシャ神話に登場する美青年クロッカスは、羊使いの娘スミラックスと互いに愛しあっていたが、神々に反対され、青年は自殺する。こんな二人に哀れんだ花の神フローラは、青年をクロッカス、娘を、スミラックス(サルトリイバラ)という花に変えた。
ギリシャ神話
クロッカス花言葉:青春の喜び、じれったい、あなたを待っています
※ クロッカスは春に咲きます。
クレオパトラはサフランで染めた衣をまといサフランの香油で美しさを保ったと伝えられています。黄金色の色素はクロシンで子宮収縮作用などがあり大量摂取は危険とされています。特に妊婦の方は注意してください。
したっけ。
以下は、唐代の作家、沈既済(しんきせい)の小説「枕中記(ちんちゅうき)」の粗筋です。
ちんちゅうき【枕中記】
中国の伝奇小説。唐の沈既済の著。800年ごろ成立。邯鄲(かんたん)の青年盧生(ろせい)が、茶店で道士から枕を借りて昼寝をし、自分の生涯の夢を見て、栄達のはかなさを知る話。「邯鄲の枕」「黄梁(こうりょう)一炊の夢」の故事として知られる。
大辞泉
唐の玄宗の時代、開元7年(719年)のこと。呂翁(りょおう)という名の道士が邯鄲(かんたん)の茶店で休んでいると、盧生(ろせい)という若者も茶店に入ってきました。
彼は、最初、楽しそうに話していましたが、粗末な衣服をしみじみ眺めてため息をつき、
「世の中うまく行かないものですね。男子に生まれたからには、功成り名遂げて、戦に出れば大将となり、朝廷にあっては宰相となるべきです。しかし、今の有様はどうでしょう。30歳になってもまだ、畑仕事に精を出す身です。」
と不満を言い始めました。やがて盧生が眠気を催したのを見て、呂翁は自分の枕を差し出し、
「若者よ、私の枕で寝てみなさい。思いどおりの栄耀栄華をさせてあげよう。」
と言いました。
盧生が、呂翁の枕で眠ると、枕の両端にあった孔が大きくなったので、中に入ってみると家がありました。
その家で盧生は名家の娘を娶り、仕官の試験に合格して官吏となり、位人臣を極めました。
一方で政変にも巻き込まれ、一時は囚われの身となり、
「私の田舎の家には、わずかだが良い田があった。そこで百姓をしていれば飢えや寒さも凌げたものを、なんで仕官をしてしまったのか。今こうなっては、貧しい服を着て邯鄲の道を歩きたいと思っても叶うことはない。」
と言って自殺しかけたこともありました。
幸福な晩年を迎えた盧生は、やがて寿命を迎えて死去しました。
盧生がアクビをして目を覚ますと、そこはさっきの茶店で、呂翁が相変わらず傍らにいます。
茶店の主人は、盧生が眠る前に黍(きび)を蒸していましたが、それがまだ蒸しあがっていません。
盧生は今までのことが夢だったと知って、しばらく憮然としていましたが、やがて、
「おかげで人生の栄枯盛衰のすべてを知ることができました。これは先生が私の欲望をふさぐ方法だったのですね。ありがたく教えを頂戴します。」
と言い、呂翁に深々とお礼をして立ち去っていきました。
出典:枕中記
邯鄲(かんたん)の枕(まくら)
盧生(ろせい)という青年が、邯鄲で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけの黄粱(=大粟)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であったという「枕中記」の故事。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。一炊(いっすい)の夢。盧生の夢。邯鄲の夢。
大辞泉
盧生は、立身出世こそ「人生の目的」だと思っていました。しかし、「邯鄲の夢」によって、それは「生きがい」であって、「人生の目的」ではないことを知らされたのではないでしょうか。
邯鄲は中国河北省邯鄲市の南にあり、北京へは450kmの距離があり、特急でいくと4時間半かかる。山西、山東と河南省に接し、全国の歴史名城である。7300年の文明史を持っている。
春秋時代、邯鄲は晋の国に属し、戦国時代、邯鄲は七雄(七国)のひとつ趙という国の都であって、輝かしい文明史と名所旧跡があった。
趙武霊王の胡服騎射、廉頗、凛相如の刎頚の交わり、「邯鄲の夢」など有名な諺がある。
人生の終末にではなく、若き時に、夢を夢と知らされた盧生は幸せ者なのでしょうか。それとも、夢を失った不幸な若者なのでしょうか。
「これこそ人生の目的だ」と固く信じていたものが、実は、どこまで求めても、真の安心も満足も与えてくれないものであったと知らされたならば、次に、「真の人生の目的」は何か、真剣に探求することが最も大切なことだといっているのでしょうか。
それでもやっぱり、功名を得たいと思うのは、私だけでしょうか?
したっけ。