都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
身長か体重をコントロールできる薬どっちが欲しいいか?
そりゃ、間違いなく体重だろう。身長が低くても高くても病気にゃなるめえ。それの比べりゃ、体重が問題で成人病、今は生活習慣病てやつになる確率は高くなる。痩せ過ぎだって病気の種になるんだぜ。
オレはこの歳で、生活習慣病ってやつにはお世話になっていないけど、ある程度食には自制心を持たなくちゃならねえ。こいつはかなり大変だよ。
体重をコントロールできる薬がありゃ自由に旨いもんが食えるってわけだ。でもよ、体重はコントロールできても、栄養の過剰摂取がコントロールできなきゃ意味ねえけどな。そこまで考えねえで質問したんだろうけどな。
やだやだ、歳とると病気のことが一番に頭をよぎる。スタイル良くしてもてようなんて考えなくなっちまう。
若い人も、時期に分かるよ。誰でも公平に毎年一歳づつ歳をとるからな。
したっけ。
「取り持ち女」
ヨハネス・フェルメール1632.10.31~1675.12.05(オランダ)
右の綺麗な黄色の服を着ている女性が娼婦。赤い服で帽子をかぶった男性が客。奥の黒ずくめのお婆さんが「取り持ち女」という関係です。
今、まさに男性が娼婦の胸元へ左手をまわし右手でお金を女性に渡そうとしています。お婆さんは、ほくそ笑んでいます。
間違いなくこの絵の主人公はこの婆さんです。
じゃぁ一番左端の男性は誰なのでしょう?
この若い男性フェルメールの自画像なんて説もありますが定かではありません。
遣り手は日本だけでなく外国にもいたようです。
遣り手とは、万事を巧みに切り回す女性のこと。年代:江戸時代~
遣り手婆とはもともと遊郭で遊女の指導・手配などをする女性のことである。時代劇では奥部屋でいろりの前に座って遊女に指示をしたり、「いい娘いるわよ」と呼び込みをしたりしている中年女がこれにあたる。
後にこれが転じ、遊郭に関係なく、物事を巧みに切り盛りする女性を遣り手という。ただし、遣り手は悪い意を含む罵(ののし)り言葉であり、切り盛り上手なことを賛辞するものではない。
遊郭で客と遊女との取り持ちや、遊女の監督をする年配の女。遣り手婆(ばば)。やり。将棋の駒である香車(きょうしゃ)を通称「やり」という。花車(かしゃ)や火車(かしゃ)は香車からの連想であると思います。香車、花車、火車は業界用語でしょうか。
よく仕事のできる女性に、
「あの人は社内一の遣り手だわね。」のような使い方は、微妙なので注意しましょう。素直に言ったのに臍を曲げられては、大変です。
したっけ。
もと上方の遊里で「初会」、すなわち遊女がはじめて、その客の相手をすることに用い、これを「一見」といったことにはじまるという説。
もとは遊廓言葉です。花柳界では初見で現金払いのお客さんの事を「初対面、つまり一回目の現金払いのお客さん」という事で「一現さん」と言いますが、この「一現」が「一見」の語源なのだという説があります。
いずれにしても、遊里。遊廓から始まった言葉のようです。
「一見さんおことわり」とは常連さん以外はお相手いたしませんという意味ですね。常連さんに帯同して行くかして顔を作ってからおいで下さいということです。
今日では、「一見さんお断り」のように、その店にはじめて来た客をさしていいます。
その店で勝手に信じているのですが、「格式を保つことができる」「権威づけができる」につながり、これが本当の目的ですが「料金などが高く設定できる」ことが理由です。
バーから割烹、料亭はもちろん旅館にまでひろがっています。だいたいにおいて小さな店が多く、先ほど挙げた理由との結びつきがいえる所以です。
利用する客側からの利点は、こっそりと秘密な会合、不倫の場所に使うことができることで、それが必要な富裕な客層、たとえば政治家・大企業の重役、中小企業の経営者・中央官庁の幹部連に用いられています。
京都では親しい客、馴染みの客に使うのが「おこしやす」で、初対面の客、一見さんに使うのが「おいでやす」なのだそうです。京都に行ったときは、気をつけてください。でも、考えてみたら結構えげつないですね。客に分からんように使い分けているなんて・・・。
祇園・御茶屋さんと言うと一見さんは入れない、と言われています。一見さんが断られるのは、もったいぶっているのではありません。
舞妓さんやお料理 手土産、何でも手配準備してもらえます。当日も支払いなどせず「ごちそうさん」と帰ります、全て後払いの信用取引。これはやはり知っている人か、紹介がなくては商いがたたなくなります。こういう理由があるのです。
したっけ。
東京や京都などの有名料亭店は、いわゆる「一見(いちげん)さんお断り」が多いようです。紹介者や予約のない客は断ってしまう。そういう馴染のない客のことを「ふりの客」と言いますが、「フリーの客」ではありません。
「ふりの客」は、もともと遊廓などで使われた言葉です。約束もないのに、評判の高い遊女を目当てにのこのこやってくる客のことを「ふりの客」と呼んだのです。
ちゃんとした手順を踏まず、直接、娼家に入ることを「ふりこみ」と言い、これは野暮だと嫌われました。
ちなみに「ふりこみ」とは、大手を振って乗り込んでくることで、空威張るばかりでその場の雰囲気に馴染んでいないことを言います。
遊女がそういう野暮な客を嫌うことを「ふり」といったため、そこから「ふりの客」というようになった。特に位の高い大見世では「ふりこみ客」を嫌ったそうです。
要するに「ふりの客」というのは吉原からきた言葉という説が有力なのだそうです。
この遊廓独特の言葉が、いつしか料理屋や旅館でも使われるようになったのです。
余談ですが、褌・腰巻きの類を着けないことを「ふり」といいました。ですから、「フルチン」は間違いで、正式には「フリチン」です。こちらも、英語の「フリー」からきていると思っている方がいるようですが、日本語です。江戸時代は、正確にいうと「振りマラ」といいました。
川柳に、「ふりまらで、逃げて行くのは、豆泥棒」というのがあります。
間男が裸で逃げるときの様子で、要するに斬り捨てごめんの世だからなのですね
したっけ。
目的も無しに入った店で、値段だけ聞いてふらりと出てしまう、よくある話です。
「ひやかし」はこの他、女性連れの友達をひやかすとか、客引きのホステスをひやかす、公衆の席で答弁に困った人をひやかすなど、からかいの場合にも用いられます。
もともと「ひやかし」は、江戸時代の半ばぐらいから使われている古い俗語で「冷やかし」、「素見し」「素通し」の字が使われていました。「素見(そけん)」「素通(すどおし)」とも。
「ひやかし」の由来の舞台は、江戸、新吉原の遊郭。山谷に沢山住んでいた「紙すき職人」が、紙の原料を水に冷やしている間、ちょっと時間がある事から、暇つぶしにすぐ近くだった新吉原へ行っては、格子の中の遊女をからかって、時間つぶしをして、すぐ帰ってしまいました。とても遊女と遊ぶだけの時間もなく、ただ見て回るだけですので、遊女が声を掛けても上がる事はありません。
「やり手婆」が「ありゃ、(紙を)冷かしているんだよ」と理由を遊女に教えたそうです。
遊女を買う気も無いのに、からかうだけで帰ってしまう彼らは、紙を冷やかしてきた連中、というわけで「ひやかし」と呼ばれました。
ここから、買う気も無いのに商売物を見たり、値段を聞いたり、そしてさらに転じてからかう意味となったのです。
したっけ。
理髪店の店先には赤と青と白の段だら模様が、ぐるぐるまわっている棒のような看板が立っています。
これは、現在の商売とは何の関係もないものですが、その昔、理髪店が今の外科医の先駆者であった名残を示すものなのです。赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表しています。
「理髪店が外科医の先駆者だって・・・。本当?」
と、現代人には想像もつかない結びつきです。実は、中世ヨーロッパでは、一定の血液をからだから抜くことが一つの健康法とされていたのです。いわゆる「瀉血(しゃけつ)」とよばれているものです。
からだに何ヶ所も傷をつけて、吸い玉という空気圧で血を吸い出す器具をつけ、じっと我慢して、「悪い血」をからだの外へ出していたのです。
今から想像すると、気味の悪い、いかにも痛そうな健康法ですが、当時の人は、これで病気が良くなると信じてやっていたのです。
現在も「瀉血(しゃけつ)」は限定的な症状に対してのみ他の療法と併用して用いられる。現在の医療行為としては静脈切開ともいう。
これは主として、浴場で行われていました。つまり、からだが温まると、血が出やすいからでしょう。
この浴場にいたのが、客のひげを剃ったり、散発をしたりする理容師だったのです。おかげで、彼らは血についての知識を身につけ、たいていの理髪師は傷・骨折・脱臼などの手当や手術を行うようになり、やがて、外科医の先駆者となっていったのです。
ところで、彼らは血抜きをするときに、患者を一本の棒にしっかり掴まらせたのです。どの理容師も、いつも棒と包帯を用意し、使わないときは包帯を棒に巻きつけて、店の戸口に立てかけておいたのです。
やがて、時代が進むにつれて、戸口に立てかけてある棒と包帯を使うのは不潔であるところから、この棒を特別に赤い段だら模様に塗って、広告用にしたのです。
赤い筋は血に染まった包帯を思い出させるものでした。そして、これがしだいに赤と青と白の段だら模様になって、人の目を引くようになったのです。
ちなみに、この血抜きの料金は一定していなかったところから、患者は自分が出せる分だけの金額を、あるいはその労働に値すると考えた金額を払いました。
やがて、この支払い方法がイギリス全体に広がって、宿屋や、居酒屋などでもサービスに対する礼金をいれる小箱が置かれるようになりました。
小箱にはなるべくたくさんお金を入れてもらうために “To Insure Promptness”「敏速を保証するために」と書かれました。この三語の頭文字をとって生まれたのが「チップ」(TIP)という言葉です。
つまり、チップは、もともと浴場での商売から生まれた言葉だったのです。
Take it please(お気に召すまま)との説もあるようです。
Barber(バーバー:理髪店)はBarb(あごひげ)+er(人を表す)で髭剃り人のことから理髪店になったようです。
したっけ。
誰が臍で茶を沸かすのでしょう。正しくは「臍(へそ)が茶(ちゃ)を沸(わ)かす」と言います。
大笑いして腹が捩(よじ)れて臍がひくひく動き回る様子を、湯が沸き上がるのに似ているとして言われた言葉だという。可笑(おか)しくて堪(たま)らない、また、馬鹿馬鹿しくてしかたがないということ。主に、嘲(あざけ)りの気持ちを込めて使います。
例:「ちゃんちゃらおかしくて、臍が茶を沸かすぜ」
類義語:●臍がくねる●臍が笑う●臍が西国(さいこく)する●臍が宿替えする●臍が縒れる●臍茶
「あれっ、お前さん、器用だね。やって見せとくれよ。そんなことできたら“臍が茶を沸かすよ”。」
なんて言われないように、お気をつけ下さい。
最後に蛇足ながら、お茶は沸かすものではなく、入れるものです。
したっけ。