都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
すぐそばに小学校があり、自宅まえの道は通学路になっています。今は丁度小学校の夏休みです。自宅前を通う児童もいません。
この時期になると、思い出すことがあります。
それは、私が小学校3年生の夏休みのことです。夏休みといえば「夏休み帳」と「図工」、「自由研究」、「絵日記」などの宿題がありました。今は、特別ないようですが・・・。
私は「図工」で、何をつくろうかと考えました。当時、私の叔父が油絵をやっていて、油絵の具に興味がありました。それで、油絵の具を使う口実を考えたのです。それが「皿絵」です。お皿には、クレヨンでも水彩絵の具でも絵を描くことはできません。
叔父に言うと快く承知してくれました。そこで、母に言って白い20㎝位の皿を買ってもらいました。
当時の子どもの絵といえば、黒で縁取りをして色で塗りつぶすというのが普通でした。
ところが、貸してもらった筆は太いものでそのような書き方はできません。私は子供なりに、叔父の書いた絵を観察しました。どれも、色を直接塗り重ね、縁取りなどはありません。叔父からは描き方の指導もなく、絵の具の溶き方と筆を洗う意外は教えてくれませんでした。
皿は1枚しかありません。失敗は許されません。絵の題材は何かの本に載っていた「水車」の写真を描くことにしました。
私的には、あまりはっきりとした絵が描けずに不満足な出来栄えでした。
「皿立て」も木を糸鋸でくりぬいて作りました。当時、バーナーはありませんから蝋燭かなんかで焦げ目をつけました。これは父のアイディアだったと思います。でも、全て自分でやりました。
これが、後にとんでもない事件になったのです。
始業式の日、私は「皿絵」を持って登校しました。
事件は、放課後に起きました。
私は担任の女性教師に職員室に来るよういわれました。
そこで、私はとんでもない濡れ衣を着せられたのです。当時私は「学級委員」でした。教師曰く。「学級委員」である私が、夏休みの宿題を大人に描いてもらって提出するとはどういうことだと、叱られました。どうも、私的には満足していなかった描き方が疑いをよんだようです。
私は「自分で描いた。」と、何度もいいました。
教師は「どうして嘘をつく。素直に認めなさい。」と、ヒステリックにいうばかりです。
私が慣れない絵の具と格闘し、糸鋸の刃を何本も折って完成した「皿絵」と「皿立」に対して、絵の具はどうしたとか、どうやって描いたのかの問いかけはありませんでした。
私は悲しくなりました。涙が溢れました。もう言葉は出ませんでした。
当時は、夏休みの図画工作などは、学年ごとに全作品が体育館に展示され「金賞」、「銀賞」などとして、父兄が観覧できるようになっていました。
私の「皿絵」は何の賞もなく、片隅に置かれていました。
先日、その話を母にしたところ、翌日玄関にその皿絵が飾ってありました。母は大事に保管していたのです。
その絵は、今も玄関に飾ってあります。私の苦い思い出とともに・・・。
したっけ。
「そうめん」の起源は中国から、奈良時代に遣唐使が持ち込んだ「索餅(さくべい)」だといわれています。これは「うどんの起源」でも書きました。
「索餅」がどんな麺だったのか、いまだに定説はないそうです。材料・分量、道具については平安時代中期の藤原時平(ふじわらのときひら)によって書かれた『延喜式』(905年)に、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(※米粉は混ぜないという説もある)ということは分かっていますが、太さや長さ、手延べか切り麺かといった詳細は不明だそうです。
ですから、このころ既に「そうめん」が食べられていたということは、間違いないようです。
「そうめん」は、現在「素麺」と書きますが、もともとは「索麺(さうめん)」と書いて、索(ひも:紐)のような麺という意味だったそうです。
さく【索】
縄。綱。ロープ。
大辞泉
また、室町時代の記録には、当時の宮中でも「ほそもの」とか「ぞろ」または「ぞろぞろ」という異名で呼ばれていたと記されているそうです。(女房詞)
「ほそもの」は見たままですが、「ぞろ」とは「長く引きずるさま」のことだそうです。
一般に、「そうめん」という言葉が広まったのは、庶民も食べられるようになった江戸時代以降だそうです。
当時は、茹でた麺を洗ってから蒸して温める食べ方が一般的だった用です。
江戸時代には、七夕に「そうめん」を供え物とする習俗が広まっていったそうです。これは細く長い「そうめん」を糸に見立て裁縫の上達を祈願したものだといわれています。
また、当時の夏の氷は恐ろしくて凍りつくような値段の貴重品でした。そのため、夏に「冷やし素麺」が食べられるようになったのは、最近のことなのです。
私の子供のころでも、冷蔵庫などはなく氷屋さんがありました。夏風邪で熱が出たときなどに買ってきて氷枕にする程度でした。まだ、氷は貴重品でした。
※「うどん」、「女房詞」については下記を参照ください。
「そうめん」といえば、彼女の顔が思い浮かびます。今年の夏、彼女の笑顔がテレビで見られないのを寂しいと思っているのは、私だけでしょうか?(合掌)
したっけ。
進水式では、シャンパンの瓶を船にぶつけて、後悔の無事を祈り、進水させます。
このシャンパンは、過去の残酷な儀式の名残なのです、
中世の大航海時代でも、出航した船が無事に帰港する確立は半分以下だったそうです。船乗りたちは、何よりも海上での天候異変を恐れ、暴風雨は海神の怒りだと考えたのです。
そのためバイキングや古代ギリシャやローマでは、進水式にあたっては、「人身御供(ひとみごくう)」を捧げて、海難を逃れようとしたのです。「人身御供」となったのは、各国から集められた捕虜や奴隷たちだったのです。犠牲になるのは、どの時代でも弱い立場の人間です。
これは船乗りが海賊だった時代の話です。昔は、人の命が神の怒りを沈める手段だったのです。
やがて時代が進むと、キリスト教の影響もあって、人間の血の代わりに、血の色に似た赤ワインを用いるようになります。
この方法はイギリスで18世紀に入ってから始まったようです。その後、白ワインやシャンパンでもよくなり、最近はほとんどシャンパンが用いられています。日本では日本酒をつかうところもあります。
このあと支綱切断へと移ります。船体を支えている細い1本のロープ(もちろん形式的なもの)が船主の振り降ろす銀の斧によって切断され、船は船台上をゆっくり海に向かって滑り出します。ブラスバンドによる勇壮なマーチが流れ、船首に飾られたくす玉が割れて紙吹雪と五色のテープが風に舞う。船の一生の中でも、最も晴れやかな瞬間です。
ところが、最近の大型船の建造はほとんどがドックで行われ、進水もドックへの注水により船を浮上させるドック進水が主流になっているそうです。式次第は船台進水もドック進水もほぼ同様ですが、巨大な船体が海に向かって滑り降りてゆくあのクライマックスの感動は船台進水だけのもの。時代の変遷とともに進水の仕方も変わってしまったようです。
したっけ。
・ 「牟(ぼう)」は、牛の鳴き声で、ムの下の牛がムオーと鳴く感じで、声が出るさま。
・ 「牢(ろう)」は、「ウ冠」は屋根ですから、家畜を囲う小屋から罪人が入る獄(ひとや)の意味。
・ 「牧(まき)」は、「牛」+「攴」で、「攴」は一つにする意味で、牛を繁殖させる行い。飼育する場所。
・ 「犇(ほん)」は、驚いて、一斉に走り出す。「ひしめく」の意味で「奔」の古字。
・ 「牡(おす)」は「牛」+「士」で、「士」は男性性器を表します。
・ 「牝(めす)」は「牛」+「比」で、「比」は女性性器を表します。
・ 「特(とく)」、「牛」+「寺」の寺はとどまる意味で、一群の中でじっとして目立つ種牛から、他に例がない、とりわけ優れたさまをいいます。
・ 「物(もの)」は、「牛」+「勿」で、「勿」は、色々な色の布で作った吹流しのことです。遠くから見ると色が混じり合ってはっきりしないので、これだ、とはっきりしないものという意味を表します。「物」は、色あいの定かでない牛のことです。一定の特色がない意から、いろいろなものを表し、牛は大切な財産であったことから、ものの代表との意味合いも生まれたのです。
・ 「犠(ぎ)」は「牛」+「義」。「義」は「羊」+「我」で羊をのこぎり(我)で切って捧げる意。捧げる羊は欠陥のないものなので、姿の整った牛を捧げる。「いけにえ」を表します。
・ 「牲(せい)」は「牛」+「生」で生きたまま神前に供える牛。「いけにえ」を表します。
こうしてみると、「牛」は私たちの身近で大切な生き物であったことがうかがえます。その「牛」が今、放射能汚染の中で、私たちに命を繋ぐことなく処分されています。
「牛」は命を犠牲にして私たちの命を支えてきました。そんな牛たちが、無意味に命を絶たれています。
「犠牲」は「いけにえ」とも読みます。
いけ‐にえ【生け贄/犠牲】
1 人や動物を生きたまま神に供えること。また、その供え物。「―をささげる」2ほかの人やある物事のために生命や名誉・利益を投げ捨てること。また、その人。犠牲(ぎせい)。
大辞泉
いま、彼らは人間の犠牲になっているわけではありません。何の役にも立たず命を落としています。
これから何十年間汚染の恐怖にさらされるのかわかっている人は誰もいません。
「汚染された食物を食べても直ちに影響のでるものではありません。落ち着いて対処してください。」
問題の食品がわかると、必ず繰り返される言葉です。裏を返せば、いつか影響がでるということなのでは・・・、と疑いたくなります。
最近のニュースを見ていて、チョッと気になったので真面目に書いてみました。原発汚染は、もう懲り懲りです。
今日は「牛」の命に敬意を払い、カットは描きませんでした。
したっけ
暑い季節になり、冷たいさっぱりしたものが食べたくなりました。人によっては、汗をかいたほうがスッキリするといって、熱いものを、汗を流して食べていることがあります。 しかし、熱いものは食べられないという人もいます。わざわざ温かい料理を一所懸命に冷まして食べています。また、温かい飲み物を冷まして飲んでいる人もいます。
そういう人のことを、「猫舌」といいます。そういわれている猫は、本当に「猫舌」なのでしょうか。
よく考えれば、誰でもわかることです。この地球上にいるあらゆる生物の中で、火を使うのは人間だけです。ということは、熱いものを食べる生物は人間だけということになります。
猫に限らず人間以外の動物は、寒いからといって熱いものを食べることはないのです。苦手だといってもいいでしょう。
たまたま、人間の家に上がりこんで生活していた猫に熱いものを与えても冷めてからしか食べないからといって、「猫舌」という言葉ができたに過ぎないのです。
「犬舌」でも「馬舌」でも何でもよかったのです。人間だって、熱いものは苦手なはずなのです。
赤ちゃんが飲む母乳は別として、ミルクだって冷ましてからの飲ませているはずです。また、離乳食に熱いものを与える親はいないでしょう。フーフーして冷ましてから与えると思います。
温かいものを食べるということは、成長してから覚えることなのです。
だからといって、「猫舌」の人が成長していないというわけではありません。
ちなみに、英語では猫舌という言葉はなく、「I can't eat food that's too hot.」というそうです。日本語の語彙の豊富さを感じますね。
したっけ。
喫茶店では、コーヒーカップに必ず「ソーサー(saucer)」という受け皿が付いています。
コーヒーカップに限らず、紅茶のティーカップ、ミルク、ココアなどのホットドリンクにソーサーが付いてくるのは何故なのでしょう。
スプーンやミルクピッチャーをおくためでしょうか。
ホットドリンクにソーサーが付いてくるのは18世紀頃のイギリスの習慣に由来しています。
当時、イギリスでは紅茶を飲むとき、カップからソーサーにあけてさましながら飲むという習慣がありました。ソーサーも今よりは深いものが使われていました。フランスでも、コーヒーやココアがそうして飲まれるしきたりがあったそうです。
当時、ヨーロッパではワインなどのアルコールや果汁等を飲んでいたため日常的に熱い飲み物を飲むということが少なかった。
そんな不慣れなホットドリンクを飲む方法として考え出されたのが一端、ソーサーに移して冷ましながら飲むという習慣だったのです。
だから、当時のソーサーは現在のソーサーより深めに作られていたそうです。
みなさん猫舌だったというわけです。
しかし、この飲み方は少々無作法といわれ、労働者階級のやりかたと非難されました。今でこそ、紅茶やコーヒーをソーサーで飲むという習慣はなくなりましたが、カップにソーサーがつくという習慣だけが残ったようです。
紅茶用のカップは、口が広く浅いのが特徴です。これは光を一杯に受けて、紅茶の色を美しく見せるためです。
ちなみに、正式なコーヒーカップは、受け皿にカップの容量と同じだけこぼすことができるのだそうです。
したっけ。
人間の体は、60~70%が 水分でできていることはみなさんご存知だと思います。
身体の水分量は年齢、体格、性別によって異なります。
赤ちゃん |
約76% |
子供 |
約70% |
成人男性 |
約60% |
成人女性 |
約55% |
老人 |
約53% |
肥満体の方 |
約50% |
成人の場合、女性のほうが、水分量が少ないのは意外ですね。
では、体の中で水分量がもっとも多いのはどこでしょうか。
血流がよいと、毛細血管まできちんと流れて脳の隅々に栄養が行き渡ります。特に脳は、人間が体の中でいちばん水を欲しがっている臓器だそうです。意外ですが、脳の水分含有量は血液よりも多く、85%を超えるそうです。まるで豆腐と同じような状態なのです。
脳と水の関係ですが、脳はまわりが水分になっていて頭蓋骨の中に浮いたような構造になっています。
直接、頭蓋骨にくっついた構造だと、少しの衝撃でも脳が損傷しやすくなります。
水というのは衝撃を吸収するのにちょうど良いということなのです。
当然のことながら、水分の最も多いのは膀胱だ・・・などというのは除外しています。
体からは毎日、尿で1リットル、吐く息で1リットル、汗でも多い時は1リットルの水分が失われます。 (60Kgの成人男性の場合)
これだけの水分を補給しなくてはならないのです。一日3食バランスよく食べた場合に食品から摂れる水分量が1リットル前後といわれています。ですから、そのほかに水分として少なくとも1リットル以上の水分を一日に摂取するべきでしょう。(2リットル以上が理想的)
1.5L~2Lの水を一日かけて飲んでみましょう。昔は野菜などから自然に取れていたのですが、現在、野菜も水不足だそうです。
3ヶ月続けたら、脳の細胞もキレイに入れ替わり、あなたの思考もすっきりするかもしれません。
お顔にばかり化粧水で水分補給をしても、脳が干からびていては困りますよ。
したっけ。
ドイツの文豪「ゲーテ(1749年8月28 日 - 1832年3月22日)」の生涯に出てくる恋人は全部で12人だそうです。彼が74歳のときには19歳の少女を愛していたそうです。
『若きウェルテルの悩み』は25歳のときに出版したそうです。それから、74歳まで悩み続けたのでしょうか・・・。
私には、もうそんな悩みはありません・・・。
したっけ。
6月7日に紹介した「接骨木(にわとこ)」に実がなりました。
ニワトコはエルダーベリーとも呼ばれるスイカズラ科ニワトコ属の植物で便秘・皮膚炎・風邪・インフルエンザなどへの効能が期待されているハーブだそうです。
また加熱調理したニワトコの実は安全ですが、生および熟していないニワトコの実の摂取は悪心・嘔吐・激しい下痢などの副作用を引き起こす危険性がありそうです。
また妊娠中・授乳中の女性はニワトコを摂取してはならないとされています。
※花を確認したい方は下記へどうぞ
したっけ。