都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
日本の一日(いちにち)が始まるのはいつ(どの時点)からなのか?
もともと、日本の暦とは太陰暦のことです。これは月齢を基準にしています。現在ではこれを旧暦といいます。
この旧暦を踏まえて、日本の一日の始まりを考えて見ましょう。
一日の始まりはいつなのか。これには3つの考え方があります。
一つ目は、現在の時刻制度を尊重するという立場からのもので、午前0時を過ぎた時です。現代に生きる我々は午前0時に一日が始まると考えています。
これは現代の考え方で、太陰暦の考え方とは異なります。
江戸時代にはこれを天の昼夜と呼んでいたそうです。
2つ目は夜明けです。朝の目覚めをもって一日の始まりを実感として受け止めていたという考え方です。
しかし、昔の人にとっては昼と夜は別のものであったようなのです。
つまり、日の出より始まり日没に終わる昼間を人の一日と考えたのです。
一方、日没から日の出にいたる夜間は神の一日と考えたのです。神社の祭礼は夕方から宵宮として始まり夜間に儀式を終えます。
翌日の夜明けと共に人の一日が始まると、人の神をあがめる行事が繰り広げられるのはそのためであるという説でする。したがって、また夜が来ると人の神への崇拝行動は終わり、神を天に送り返す行動が行われて祭りが終わるのです。
江戸時代にはこれを人の昼夜と呼んでいたそうです。
明治にいたるまではこの様に昼を人の一日と考えていたので、昼の長さが季節とともに変動する不定時法が使われていました。一日の始点を夜明けと考えることは自然な感覚であるともいえます。
3つ目は日没です。その根拠となるものは「アシタ」、「ユウベ」という言葉だそうです。
現在は「アシタ」といえば「明日」であり翌日を意味します。しかし、もともとは朝を意味していたそうです。また、「ユウベ」も現在は「昨夜」のことを意味していますが、もともとは夜を意味していました。
したがって、「アシタ」と「ユウベ」というのは一日の朝と夜を意味した言葉だったのです。このような日の区分は平安時代の物語などに多く見られるそうです。そこでは、「今夜」と書いて「コヨイ」と読み、明けた朝になってから前夜を指していっていたそうです。
室町時代半ばごろまで、一日の始まりは日暮れからだったともいわれています。今もお祭りなどを前夜から行うしきたりは、この時間感覚によるものなのです。
この様に、一日の始まりには3つの考え方があります。
そして、3つ目の日没が一日の始まりであるとすると大晦日の夜から一年が始まることになります。
もともと正月は年中行事の中でも最大の祭りでした。それだけにその準備は重要でしたが、準備は日没までに全て終え、祭りそのものは大晦日の夜から元旦の朝にかけて行われたのです。
大晦日の夜に家族が一同に会して寝ずに過ごすという習慣があります。これは祭りの重要な要素である「おこもり」の影響であると考えられる。
お‐こもり 【▽御籠もり】
[名](スル)神仏に祈願するため一定の期間、神社・仏寺にこもること。参籠(さんろう)。
大辞泉
また、大晦日の夜の食膳を新年最初の食事とし、「お節料理」はもともと大晦日の夜の食膳である。したがって、古くは大晦日の夜こそ一年の始まりであり年神祭の重要な時であったのです。
北海道には、この習慣が残っていて大晦日の夜に「お節料理」を食べます。
現在の農業は技術の進歩によって暦と離れ、いずれ科学が発展すれば旧暦は消えると考えられました。ところが、21世紀になっても旧暦は新暦に重なるように息づいています。
昨今、伝統文化が心のよりどころとして見直されています。旧暦の世界、歳時記に親しみ、自然との一体感を味わう暮らしをするのもいいかもしれません。
今年1年間に、私のブログを訪れてくださいました全ての皆様に感謝いたします。
そして、毎日のように訪れてコメントを残していただいた皆様には心よりお礼申し上げます。
来年もまた、宜しくお願い申し上げます。
来年が、皆さまにとりまして良い年になりますようお祈り申し上げます。
都月満夫
したっけ。
ひと月の終わりを「晦日(みそか)」といいます。旧暦では、1ヶ月は29日、または30日でした。よって、「三十日(みそか)」が「晦日」になったのです。
そして、特に12月は、1か月の終わりであると同時に、1年の終わりになりますので、「大晦日」といいます。または、除夜ともいいます。
「除夜」という言葉は、大晦日の夜に「1年のこよみを除く夜」という意味があり、また、「節分」の前の日という意味もあります。
大本山總持寺を開かれた、太祖瑩山禅師さまは次のように仰っています。
今夜、節分の除夜に当たり、明朝、歳旦立春。
『洞谷記』「元応二年(1320)庚申除夜小参」
旧暦(中国・日本の太陰太陽暦)では、立春の前後に元日がおかれたため、新年が同時に立春に当たる年も多かったのです。立春には、「立春大吉」というお札を建物に貼りますが、一部地域で元旦に行われるのは、今でも立春を旧暦に合わせたためです。
さて、大本山永平寺を開かれました高祖道元禅師さまは、ある年の除夜に、弟子達に向かって次のような教えを説きました。
且く、今夜臘月卅日(=30日)、明日大新年頭の如き、明日を喚んで臘月卅日と作すること即ち不可なり、今夜を喚んで大新年頭と作すること即ち不可なり。
既に、臘月を喚んで新年と作することを得ず、則ち知りぬ、新歳、真に来らず。
新年を喚んで臘月と作することを得ず、則ち知りぬ、旧歳、実に去らざるなり。
旧歳、既に去らず、新歳、又来らず、来去、交参せず、新旧、対待を絶す。
『永平広録』巻8-小参10
やや難しい言葉が並びますが、かいつまんで申し上げますと、禅の教えでは、何とかが相対するという考え方を、「分別」として否定します。この場合は、大晦日で終わりとなる「旧年」と、翌日元旦に迎える「新年」とが、対立する発想を否定したのです。同様の教えは、『正法眼蔵』にも見ることが出来ます。
生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。
「現成公案」巻
生死や季節は、各々で絶対的に仏法を尽くしきっているのであり、どちらが先で、どちらが後か、どちらが良くて、どちらが悪いか、といった発想は、全てその生死や季節の本質を捉え切れておらず、いたずらに、我々の無用な価値判断を結びつけてしまっているのです。その相対的発想、分別をこそ超えて、始めて丸ごと仏法に親しむことが出来るわけですから、道元禅師さまは、雪深い永平寺の中で、弟子達を前に、旧年・新年が交替するまさにその機会を捉え、丸ごと仏法を頂戴する大切な教えを説かれたのです。
さて、大晦日には、各地にある曹洞宗寺院で、「除夜の鐘」が撞かれることがあります(梵鐘をお持ちでない寺院もありますので、もし菩提寺などから案内がない場合には、予めお問い合わせいただくと良いでしょう)。この除夜の鐘ですが、禅宗寺院では元々、毎日夕方に、鐘を108回撞くという決まりがありました。
それを、年の変わり目に行うことによって、その年1年を反省し、次の年が良いものであるようにお祈りする今の「除夜の鐘」ができました(成立理由は諸説あり、これは一例です)。108という数字は、我々人間の煩悩の数だともいわれていますので、鐘を撞くことで煩悩を払うように願うのです。
撞く際の作法ですが、様々な風習はありますけれども、一般的には107回を旧年中に着き、残り1回を新年になった時に撞くとされています。また、撞く場合には、「鳴鐘の偈(めいしょうのげ)」という一文をお唱えすると良いでしょう。
「三塗八難 息苦停酸 法界衆生 聞声悟道(さんずはーなん、そっくじょうさん、ほっかいしゅじょう、もんしょうごどう)」
ありとあらゆる者達が、この鐘の音を聞いて、苦しみを脱するようにと願って撞くのです。偈のお唱えを含め、作法等詳しいことは、当該の寺院関係者の方にお問い合わせください。
今年もあとわずかになりました。それでは皆様、よいお年をお迎えください。 合掌
曹洞宗曹洞禅ネットより
旧暦では「29日」か「30日」のどちらかが「晦日」(月の最終日)であり、12月が29日までしかなければ12月29日が大晦日です。
みそ‐か 【三▽十日/×晦日】
1 月の30番目の日。転じて、月の最後の日。つごもり。「一一月の―」
2 30日の間。30日間。「ただ日の経(へ)ぬる数を…はつか、―と数ふれば」〈土佐〉
大辞泉
ここで気がついたでしょうか。日本が使っていた暦(旧暦)には31日という日は存在しないのです。「大晦日(大三十日)」は最後の30日であり、31日ではなかったのです。
明日は、一日の始まりについて書いてみます。
したっけ。
NHK紅白歌合戦では、紅組、白組の最後に歌う人を「トリ」といいます。さらに、両組みの最後にうたう人を「オオトリ」といいます。
これは、紅白歌合戦に限ったことではありません。大勢の人が何かを演じるときは、最後に出てくる人を「トリ」といいます。
この「トリ」、元々は「寄席用語」だったのです。
最後の出番を取る。場を取り仕切る。たくさんのギャラを取る。などの説があります。
また、昔は寄席の興行収入は寄席の経営者側(席亭)と芸人のギャラに分けられました。ギャラは最後に出る主任格の真打が全て受け取り、芸人達に分けていました。
このことから、芸人たちが受け取るギャラを「ワリ」といっていました。割り振るから「ワリ」です。
演者の最後を取る(真を打つ)ことや、ギャラを受け取るところから、最後に出演する人を「トリ 」と 言うようになったようです。
また、最初に演じる人を「ハナ」と呼ぶそうです。「端」からの意味です。
ただ、現在の紅白歌合戦の「トリ」が最高のギャラかどうかは知りません。
しかし、「大トリ」を務める人も「ハナ」から始めたことは間違いありません。
したっけ。
切羽詰る
[動ラ五(四)]ある事態などが間近に迫ってどうにもならなくなる。身動きがとれなくなる。「―・って上司に泣きつく」
大辞泉
切羽詰まる・切羽詰る
( 動ラ五[四] ) 物事がさしせまって,どうにも切り抜けられなくなる。追いつめられて
大辞林
切羽
1 刀の鐔(つば)の表裏が、それぞれ柄(つか)と鞘(さや)に接する部分に添える薄い金具。 2 差し迫っていること。また、その場面。急場。どたん場。「生きる死ぬるの―ぞと」〈浄・五枚羽子板〉
大辞泉
切羽詰る
元々は「刀を抜こうにも抜けない」状態を指す言葉です。「切羽」は、刀の鍔が柄に接する部分と鞘に接する部分とに添える薄い金具の事で、追い詰められた時、刀を抜こうにも抜けないという状況から、「どうにもならなくなる」という意味で使われるようになったと言われています。
切羽詰まる
事態が差し迫って策に窮する事。土壇場で「抜き差しならない」状態を迎える事を言う。「切羽」は、刀の鍔の表裏、つまり柄と鞘とに当たる部分につける板金の事。真ん中に刀身を貫く穴が開いていて、この穴が詰ると刀身が抜き差しならなくなる事から。
どうですか?送り仮名ひとつで、微妙なニュアンス違いがわかりますか。
ですから、年末に「いよいよ、切羽詰まってきましたね~」などというのは間違いです。借金取りに追われてどうにもならないなら別ですが・・・。
この場合は「いよいよ。暮れも押し迫ってきましたね~」言う方がいいのです。
したっけ。
晴れているのに雪が舞う。このような天気は冬の太平洋側の地方に共通しているもので、日本海側や山沿いに雪を降らせていたものが、時々山脈を越えて太平洋側にもやってくる時にみられる現象です。
ふつうは、冬型の気圧配置で季節風が強く気温の低い日に、ちらつく程度に降ることが多いのです。
ちらちらと降る雪は、降るというより風に舞うようにも見られます。
こういう現象を「雪が舞う」といいます。
小雪が風に舞う様子が、花びらを連想させるところから、「風花(かざはな)」という呼び方をします。また「かざばな」とも呼びます。
山沿いで降った雪が平野部に飛んでくることもあります。
かざ‐はな 【風花】
《「かざばな」とも》
1 晴天に、花びらが舞うようにちらつく雪。山岳地帯の雪が上層気流に乗って風下側に落ちてくるもの。《季冬》「山国の―さへも荒けなく/虚子」
2 初冬のころの晴れた日、風が吹き始める前などに、雨や雪がぱらぱらと降ること。
3 「風疿 (かざほろし)」に同じ。
大辞泉
赤城山麓では、山を吹き越えると書いて「吹越(ふっこし)」と呼んでいる地方もあるそうです。
空が晴れているのに、舞うようにチラチラと落ちてくる雪を、寒さの中に咲く花という表現はロマンチックですね。
したっけ。
年の瀬になると、強盗などのニュースが多くなります。最近の強盗は見境なく誰でも襲うので怖いですね。
昔は、お金のあるところ、銀行強盗と相場が決まっていました。
ところでみなさん、ほとんどの銀行の出入り口に観葉植物がよく置かれているのに気がついていますか?
あの観葉植物はただの飾りではありません。しっかりとした役目があるのです。
あの観葉植物は銀行強盗が入ったときに、犯人のおおよその身長を覚えておくためなのです
犯人を見つけるために大切なのは「人相・服装・身長」などの目撃情報です。
しかし、「人相」や「特徴」は案外簡単に思い出せるのですが「身長」は意外と記憶に残らないそうです。
そこで銀行では、犯人のおおよその身長が一目でわかるように、出入り口に観葉植物を置いています。この観葉植物の高さは、日本人の成人男子の平均身長、約170㎝だそうです。
出入り口を通った時に、観葉植物の高さと比べて身長を判断するのです。
コンビにでも、入口に身長計が張ってあったり、出入り口の陳列棚の高さを覚えていたりします。
したっけ。
今年もいよいよ残り少なくなってきました。
大掃除やお買い物など年越し準備はやることがたくさんあって何かと忙しいです。
スケジュールをしっかりたてて効率よくしたいものです。
みなさんはもう終わりましたか?
窓拭きはくもりの日にした方がきれいにできるそうです。
晴れた日は太陽の光が窓ガラスにあたるのでキラキラ光ってしまい、汚れがよく見えないのです。
くもりの日か朝日が上がる前の方が、ガラスがキラキラせず、汚れをきちんと落とせるというか、拭き残しも確認しやすいのです。
もうひとつは、晴れた日は空気が乾燥するので、汚れがこびりついてしまい落としにくくなります。
ですから湿度で汚れが緩んでいる雨上がりや曇りの日だと、比較的楽に汚れを落とすことができるのです。
仕上げにクシャクシャにした新聞紙で円を描くように拭くとガラスに光沢が出るそうです。
やっかいな大掃除を少しでも楽にすますことが出来るように天気の有効活用でした。
この情報、もう遅かったですか?
来年の参考にしてください。
したっけ。
今日はクリスマスイブ。ということで、クリスマスのお話を少し。
日本で、いつ頃からクリスマスが行われたかと言うと、記録には残っていませんが、おそらく、フランシスコ・ザビエルが来日した時にクリスマスを祝ったものと思われます。ザビエルが日本にやってきたのは1549年( 天文18年)。464年前のことです。
日本でクリスマスが祝われた記録で最も古いのは、1552年(天文21年)に、山口で祝われたクリスマスのようです。
ザビエルのあとを受け、山口で布教活動をしていたイエズス宣教師トルレスが、日本人信徒を招いて「クリスマス・ミサ」を催したという記録が残っているそうです。
当時の山口の大名、大内義隆はキリスト教の布教を公認しており、寺院の敷地内に教会が建設されていました。
その教会で、数回に渡りミサが開かれ、訓話や合唱、食事の振舞いなどを行い、教会に入れないほどの信者で賑わったといいます。
その後も、イエズス会の熱心な布教活動があり、キリスト教信者は増え続け、各地にキリスト教が広まっていきました。
この頃は、クリスマスという呼び方ではなくて、ラテン語の「ナタル(誕生)」という言葉から「ナタラのまつり」と呼ばれていたそうです。
又、クリスマスは、お祭り騒ぎをするのではなく、キリストの生誕を静粛に祝って、クリスマスの礼拝を行う日でした。
戦国時代には、キリシタン大名同士の合戦において「クリスマス休戦」が行われたという記録もあります。
1568年(永禄16年)堺付近で、三好三人衆と松永久秀の軍勢が合戦を行っていました。
その最中、イエズス会の司祭、ルイス・フロイスが、両陣営にクリスマスの休戦を呼びかけ、クリスマスの夜、彼ら約70人が、同じ1つの場所に集まってミサをささげたといいます。
フロイスの記述によれば、武士たちは、「自分たちが、どれほど仲が良く、互いに愛し合っているかを異教徒たちに示そう」と言い、敵同士にもかかわらず、家から料理を持ち寄ってもてなし合ったそうです。
又、この時、クリスマスの装飾などを見に来た群集があまりに多く、扉が壊れそうだった、とも記しています。
しかし、その後、秀吉の「伴天連追放令」、徳川のキリシタン弾圧、鎖国と徹底したキリスト教抑圧政策が続き、根づきかけた日本のキリスト教信仰は、跡形もないほどに消え失せました。
ばてれん-ついほうれい【伴天連追放令】
天正15年(1587)豊臣秀吉が九州平定後、博多で発した禁令。キリシタンを邪法として禁止し、バテレンを20日以内に国外追放することを命じた。
大辞泉
明治維新でキリスト教信仰が解禁され、明治・大正・昭和にかけて、クリスマスは一般化し、今は、年中行事のひとつになっています。
今の日本のクリスマスには、室町・戦国の頃のキリスト教信仰の伝統は残されていません。
キリスト教信者でもないのに、なぜクリスマス、ということもありますが、外国の文化を簡単に取り込み、すぐに吸収してしまうのは日本人の特性です。
クリスマスの飾りつけをして楽しみ、プレゼントを交換する、本来のクリスマスとは、少し違うかもしれませんが、今や、現代日本文化の一つとして、融けこんでいるのだと思います。
しかし、これほど盛んになったのは、60年代高度成長期になってからです。サラリーマンがキャバレーなどでクリスマスにかこつけてホステスたちと大騒ぎしたものが始まりとい言われています。忘年会の一部だったのかもしれません。
当時、クリスマスの夜にパーティー用のとんがり帽を頭に酔っ払ったサラリーマンが街に溢れていました。あれが「クリスマス=パーティー」となった走りだとか・・・。
私も少しだけ覚えていますが、当時は各お店が「クリスマスパーティー券」というのを販売していました。仕事の関係で、何枚もの「パーティー券」を買わされて、満員のお店をハシゴしていました。ほとんどの店は中に入れない状況でした。お酒も飲めないのに・・・。
その後、不景気で家での行事に移行したものという俗説があります。今ではほとんどの人が家でクリスマス楽しむようになりました。
クリスマスの色は、赤・緑・白が基本で、それぞれの色には意味があります。
●(赤色)・・・キリストの血の色、愛と寛大さ
○(白色)・・・純潔
●(緑色)・・・永遠の命・神の永遠の愛
12月25日はキリストの誕生日ということになっていますが、実際の誕生日は分りません。色々な記述から、この日ではないことは分っています。
この日に決めたのはローマで行われていた冬至の祭りと重ねたためです。
また、「イヴ(eve)」は「evening(夜、晩)」と同義の古語「even」の 語末音が消失したものだそうです。
冬至の日は日没から始まり、日没で終わりました、ですから当時の12月25日は、現在の24日の日没から25日の日没までを指します。
したっけ。
恋人とキスをしたら、死に至る。そんなことがあったら、悲しいです。
恋人に毒がある?そんなことはありません。
「アレルギー」です。私はアレルギー体質なので注意しなければなりません。
「アレルギーとは」、体の中に異物(アレルゲン)が入ってきたとき、体を守ろうとした免疫系が過剰に反応してしまう現象です。
恋人とキスができない!?
「キス・アレルギー」という言葉をご存知だろうか? 愛しい恋人とキスをしたら蕁麻疹が出たという例があるそうです。
実はこれは、キスをする直前に食べたものが原因。相手の唇に残ったアレルゲンに反応してしまうそうです。これが原因で亡くなってしまった例もあるといいます。
自分にアレルギールギーがない人は、死につながる危険があるとは想像できないでしょう。
クリスマスを控えて、チャンスを狙っているあなた!
どんな症状が出るかなど、恋人だけにはきちんと話しておいたほうがいいかもしれません。甘いキスが恐怖のキスになるなんて嫌ですから・・・。
私は、そんな心配はいりません。新しい恋人が出来そうにありませんから・・・。
これから、恋をしようという方はお気をつけあそばせ。
したっけ。
12月22日~23日ごろは、太陽が冬至線の真上に直射する時です。今年は今日です。太陽が一番南に来て低い位置になる為、一年の中で昼の長さが最も短く夜が長くなります。
この頃から寒さもいっそう厳しくなり、いよいよ本格的な冬になるのです。日差しはこの日をさかいに『畳の目一目ずつ』『米粒一粒ずつ』長くなっていくといわれています。
作物だけでなく人や動物達にとっても暖かい太陽の復活はとてもうれしいことです。
西洋のサンタクロースの訪問と同じように、日本でも冬至の日には、「お大師様(おだいしさま)」という人が訪ねて来るという伝承は、全国的にあるそうです。このお大師様は、足が不自由であるとか、子だくさんで貧乏な神であるとか、いろいろな性格を持ったなぞの「客人神(まろうどがみ)」です。
冬至の翌朝は風が吹くそうです。足が悪い「お大師様」の足跡を消すために・・・。
北海道では、そういう話は聞いたことがありません。
まろうど‐がみ〔まらうど‐〕【▽客神/▽客▽人神】
他の地域から来訪し、その土地で信仰されるようになった神。きゃくじん。
大辞泉
この日には皆さんのお家でも「かぼちゃ」を食べたり、夜はお風呂にゆずをたくさん浮かべて「ゆず湯」を楽しんだりしますか?
この時期になぜ「かぼちゃ」や「ゆず湯」なのでしょう。
もともと「かぼちゃ」は夏の野菜です。今では季節を問わず、どのような野菜でも簡単に手に入れることが出来ますが、昔は冬の寒い季節の野菜不足を補うものとして保存が利き、体内でビタミンに変化するカロチンの豊富に含まれている「かぼちゃ」はとても貴重な栄養源だったのです。
『冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない(中風にならない)』と言われるのもこのような理由があるのです。
そのほかにも、「皮膚」や「粘膜」、「視力」、「骨」や「歯」にも効果があるそうです
また、この頃を過ぎると「かぼちゃ」が腐りだすので食べきろうという意味もあったようです。
また、「ゆず」にはビタミンCの他にリモネンという成分が含まれているので、お肌もすべすべになるだけでなく新陳代謝を活発にするので、体も温まり風邪も引きにくくなるのです。
寒い冬を元気に過ごすために、昔の人の知恵がつまった行事なのですね。
北海道十勝では、「かぼちゃ汁粉」というものを食べます。十勝は「赤いダイヤ」といわれた豆の国、小豆の産地ですから・・・。これは、汁粉の餅を塩茹でのかぼちゃに置き換えたものです。
小豆の主成分はデンプンとタンパク質で、ビタミンはB1を多く含んでいます。
また、ビタミンB2、ニコチン酸、カルシウム、リン、鉄なども含有しています。なので。「かっけ」、「はれもの」、「低血圧」、「疲労回復」、「二日酔い」、「筋肉痛」、「肩こり」などに効果があります。
みなさんの地域の「冬至」には、何か特徴がありますか?
したっけ。