団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

紅葉のように燃えた夜

2009-02-28 13:34:35 | 短編小説

 

都月満夫

 

今年は全国的に暑い夏で、連日の熱帯夜のせいか、殺人事件が各地で多発していた。人の心も陽炎(かげろう)の向こうで揺れ動き、蜃気楼(しんきろう)のように捻じ曲げられ、狂気だけが、オアシスのように浮かび上がったのかもしれない。嫌な夏であった。

北海道でも連日三十度を超える、暑い夏であったが、私の住む十勝平野の市(まち)では、そのような事件は起こらなかった。

 

 彼女と私が出会ったのは、数時間前のことである。毎年、九月の中旬に行う「観楓会(かんぷうかい)」と称する会社の飲み会の後であった。

いつものように私と部下の男性二人、女性二人の五人で街へ出た。土曜の夜であった。居酒屋で食事をしながら飲んだ後、九時近くから、いつものスナック「マリリン」でカラオケを楽しんだ。そして、いつものように午後十一時を過ぎて、私たちは店を出た。私は四人がそれぞれタクシーに乗るのを見送っていた。いつもと同じ時間の流れであった。しかし、今夜の街は霧に蔽( おお )われていた。

その時、後ろから、女が声をかけてきた。

「すみません。もうお帰りですか。」

「ええ、何か…。」

「私、今の店にいたのですが、もう一軒だけ私に付き合っていただけませんか…。」

 私は彼女と付き合うことになった。何故、あの時、私は見ず知らずの女の申し出を受け入れてしまったのだろうか。

 初秋特有の、焦げたコーヒー豆の匂いがする、夜霧の誘惑だったのかもしれない。気紛れな夜の風情の悪戯(いたずら)に、私は取り返しのつかない代償を払うことになってしまった。

 

 彼女は地味なベージュのシャツに薄手のブラウンのジャケットをはおり、Gパンをはいていた。髪は後ろで無造作に束ね、化粧もほとんどしていないように見えた。色白の彼女はとても清潔で、大人しそうに見えた。年齢は三十歳位であろう。三十前後の女が、五十過ぎの男に声をかけるという行為は、通常の場合、警戒すべきであるが、私は彼女と当たり前のように、自然に歩き出していた。

 

 私たちは「餃子」の看板が出ていたラーメン店に入った。十席ほどある店内は、ほぼ満席で、入り口近くの席に案内された。

「私、名前はサチコと言います。あなたはなんとお呼びすればいいかしら…。」

 席に着くとすぐに彼女は口を開いた。

「坂田です。坂田と呼んでください。」

「分かりました。でも…、これ以上の自己紹介はよしましょうね。」

 そう言うと、彼女は餃子とビールを注文した。すぐにコップとビールが運ばれてきた。彼女はコップを私に手渡し、ビールを注いでくれた。私も彼女の手からビール瓶を取り、彼女に注いだ。

よく見ると彼女は美人であった。少したれ気味の目は大きくて、まつげも長い。卵形の輪郭はふっくらとし、とても優しそうであった。視線は伏し目がちではあるが、落ち着きがあり、全体から受ける印象は知的で品があった。更に、時折見せる微笑(ほほえみ)には軟らかい温(ぬく)もりが感じられ、子どもを見る母親のようであった。とても見知らぬ男に声をかけるような女性には見えない。

 店の隅にあるテレビの画面を見ながら交わす会話はとりとめもなく、ゆっくりと時間は流れた。気が付くと、時刻は午前零時を過ぎていて、もう店内に、客はほとんどいない。

「出ましょうか。」

 私が会計票を手にして立ち上がると、彼女も腰を上げ、慌てて言った。

「私が払います。」

彼女は私の手から会計票を取ると、レジへ向かった。少し猫背の背中の上で、無造作に束ねられた髪が振り子のように揺れた。

 

店を出ると通りの人影はまばらであった。九月の中旬にもなると、夜風は肌寒く、十勝岳の山頂ではもう紅葉が始まる季節である。

「では…、私はこれで…。ご馳走様でした。」

 私は左手を上げ、彼女に背を向けて歩き出そうとした。すると彼女は小走りに私の前に出て、大きな目で私を見つめた。縋(すが)るような目であった。思いつめた目であった。少しの間があって、彼女はうつむいて言った。

「私を抱いて…、下さいませんか。」

 小さな声であった。何か事情がありそうだとは、うすうす感じていたが、予想外の言葉であった。その衝撃的な言葉は、私の耳に針のように突き刺さり、脳に達した。私の脳は思考を停止し、時間が止まった。

「…。」

「私は今夜、私を抱いていただく方をずっと探していました。あのスナック「マリリン」であなた方の会話を聞いておりました。あなたが、普通のサラリーマンで真面目で優しい方だと感じました。ラーメン店でも、あなたは私のことを詮索しないで、私の目を見て静かにお話をして下さいました。私は、もう決めました。坂田さん…、お願いします。」

「そんなことを…、お願いされましても…。」

「分かりました。あなたが何をご心配なさっているか、私にも想像が付きます。私は如何わしい女ではございません。自己紹介をしない約束でしたが、職業だけお教えします。私は小学校の教師をしております。どうか私を助けると思って…。」

 教師と聞いて、私は更に驚いた。こんなに美人の女性教師が何故こんなことをしているのだ。その女性教師が必死の形相で「抱いてくれ。」と見知らぬ中年男に懇願している。

しかし、私は教師という彼女の言葉に納得していた。彼女のしゃべり方、雰囲気は、本当に教師かもしれない、と思わせるものがあった。そして、奇妙な安心感が生まれ、彼女に対する男の興味が大きく膨らんだ。

「分かりました。人通りもありますから、取り敢えず、何処かに部屋を取りましょうか。」

 

 十数分後、私たちはホテルの一室にいた。彼女はシャワーを浴びている。気まずい空気が澱(よど)んでいた。私は気恥ずかしさで、逃げ出したいほどであったが、ここまで来て、いまさら逃げ出すわけにもいかず、ただうろうろするばかりであった。彼女が浴室から黄色いバスタオルを巻いて出てきた。

「私も…、シャワーを浴びてきます。」

 私は逃げるように浴室に飛び込み、気を落ち着かせるように、浴槽にお湯を張った。蛇口から出るお湯は、スローモーションのように流れ落ちた。お湯の中に身を沈めると、酔った身体に、お湯の感覚は心地よく、私は少し落ち着きを取り戻した。

私がバスタオルを腰に巻いて浴室を出ると、彼女は束ねた髪を解き、鏡の前で化粧をしていた。振り向いた彼女を見て、私は息を呑んだ。化粧をした彼女の顔は驚くほど美しく、紅を含んだ表情は華やいで見えた。

「抱いていただくのに、素顔のままでは失礼だと思い…。そんなに見つめないで下さい。何処か変ですか、私…。」

「いいえ…、あまりに綺麗なもので…。」

 赤く引かれた口紅が紅葉のように鮮やかであった。私は妖( あや )しく赤い唇に目を奪われ、黄色い狂気が、枯葉のようにひらりと、彼女の瞳を過( よ )ぎったことに気づかなかった。

 彼女は立ち上がり、ベッドに入った。毛布の下で解かれた黄色いバスタオルが、するりと赤いカーペットの床に滑り落ちた。

「お願いします。」

 彼女が小さな声で、私を促した。

「失礼します。」

 私は、バスタオルをはずし、彼女の左横に滑り込んだ。ベッドの左側にいた彼女は、腰をくねらせて右側に移動した。私は左利きなので、女性とベッドを共にする場合、左側に寝るのが習慣になっていた。

「温(あった)かい。坂田さん、サチコって呼んでいただけますか。好きだと言って下さいますか。」

「…。」

 私は戸惑っていた。数時間前に会ったばかりの女の名前を呼び、しかも、好きだと言えと言われても、言えるものではない。

「サチコって呼んで下さい。好きだと言って下さい。好きだと言って…。」

 呪文のように言い続ける彼女の肌は次第に汗ばみ、互いの身体が密着してくるのを感じていた。私はいつの間にか理性を失い、彼女にむしゃぶりつき、我を忘れていた。

「…サチコ、…好きだ。好きだよ…。」

「嬉しい…。ありがとう。」

 私たちは激しく求めあった。それは、質の違う二つの粘土の塊が捏(こ)ねられ、混じりあっていくようであった。やがて水を含んだ土肌はぬるりとして光沢をおび、異質の一個の塊となった。

「あっ…、うっ…、うっう…。」

 サチコは何かを押し殺すように呻( うめ )いた。

「ゲンゾー…。」

 サチコは男の名前を呟(つぶや)いて果てた。気が付くとサチコは失神していた。私は慌てて起き上がり、サチコにまたがり、頬を打った。

「うっ…。」

 サチコは虚(うつ)ろな目を開け周囲を見渡した。

「…私、どうなってしまったの…。恥ずかしいわ。」

 サチコが意識を取り戻して、ほっとした私は、再びベッドの上に倒れこんだ。久しぶりの激しいセックスに、私は興奮していた。

「サチコ…、君は…素晴らしいよ。こんな快感は…初めてだよ。もうこのまま…死んでもいいくらいだ…。」

「死んでもいいって…、本当ですか。あなたにお願いして、本当に良かった…。」

 暫くの間、会話が途切れた。

「私、シャワーを浴びてきます。」

 彼女はベッドの下のバスタオルを拾い、素早く身体に巻くと、浴室に入っていった。

 彼女と入れ替わりで、私もシャワーを浴びに入った。湯気の中で、彼女が呟(つぶや)いた「ゲンゾー」という名前が耳に蘇(よみがえ)った。

 私が浴室から出ると、彼女はバスタオルを身体に巻き、ベッドに横たわっていた。私もバスタオルを腰に巻いたままベッドに腰を下ろした。

私は彼女が呟(つぶや)いた名前がどうしても気になって、聞いてしまった。

「ゲンゾーって…、誰?」

「私、そんなこと言いましたか…。」

「いや、いいんです。別に…。あなたを詮索する気はありませんから。」

 私は慌てて言った。

「そうですか。私、ゲンゾーって言いましたか…。申し訳ありません。お話いたします。」

「いや、結構です。」

「いいえ、聞いてください。本当は誰かに聞いて欲しかったのです。話をさせて下さい。」

 

「小学校の教師だった父は私が幼い頃に亡くなりました。母は私を連れて農家の後妻に入りました。私が小学生になる前のことです。養父には子どもが居りませんでしたので、私をとても可愛がってくれました。

私が中学生になると、母は養父に気兼ねして、私に農作業の手伝いから、掃除洗濯、夕飯の支度にいたるまでやらせました。私も、それを当然のように行っていました。

高校に入学すると、文章を書くことが好きだったので、文芸部に入部しました。そこで私は一年先輩を好きになりました。部活動の中で、私の文章を批評してくれる先輩はとても優しくて、放課後、部室へ行くのが楽しみでした。それは片思いでしたが、とても充実した二年間でした。私が初めて好きになった人です。その後、私は恋をしていません。

高校を卒業し、教師になりたかった私は、釧路の教育大学に進学しました。亡くなった父への憧憬だったのかもしれません。母は高校を出たら働けといいましたが、養父が母を説得してくれました。養父は春採湖の近くに部屋を借りてくれました。私は寮でいいと言いましたが、養父がアパートで勉強に集中しろと言って強引に借りてくれたのです。

春採湖って知ってますか。ハルトリとはアイヌ語で「岬の向こう側の土地」という意味だそうです。向こう側って、少し寂しい言葉ですね。そこには緋鮒という金魚のような鮒がいます。もうあまり生息していないようですが…。雄の数が極めて少なく、処女生殖をしているそうです。ウグイなどの精子の刺激で卵は発生を開始するそうです。赤い色がいっそう哀れで悲しいとは思いませんか…。

緋鮒の棲む春採湖は天然記念物で、ボート遊びもでき、夏は観光客が大勢訪れます。そんな環境で私は大学生活を始めたのです。

ところが、大学一年の冬に悪夢は起こりました。養父が釧路のアパートにやって来て、私を犯したのです。私は母にも打ち明けられませんでした。どうしても教師になりたかった私は大学もやめられず、我慢するしかありませんでした。その後、三年間、毎年農閑期の冬になると養父はやって来ました。

大学を卒業した私は地元へ帰り、市内の小学校の教師になりました。その頃、母が心臓を患い、入退院を繰り返しておりましたので、地元へ帰るしかなかったのです。

私は市内に部屋を借りましたが、養父はそこへも訪ねてきました。母さえ病気でなかったら、何処か遠くの町で教師をしたかったのですが…。私は恋人を作ることもできずに、八年間、この市( まち )で教師を続けて参りました。

その母も去年亡くなり、先日、一周忌の法要も無事に終わりました。私は疲れました。

紅葉の始まるこの時季が私は嫌いです。山が赤く燃えると、大嫌いな冬がやってくるからです。紅葉は深紅に燃え、叫び声さえあげずに散っていきます。紅葉が辛( つら )い厳しい冬を乗り越えるために、自らを燃やして散っていくことなど、誰も考えてはくれません。

でも、私は見ていて欲しかった。私が自分の意思で選んだ人に抱いていただき、紅葉のように燃えて、燃え尽きていく私を、誰かに見ていて欲しかった。

私は今朝、今となっては、もう昨日の朝ですが、養父を刺しました。私の部屋で、あの男は死んでいます。その男の名が「源三(げんぞう)」です。何故、この大切な瞬間(とき)にその名を呼んでしまったのか、悔しくてなりません。

それでも、あなたは先程、死んでもいいと仰って下さいました。私は女として初めて幸せを感じました。ありがとうございました。」

彼女は本を閉じるように話し終えた。私の思考は風に舞う枯葉のように混乱していた。

 

その時、私の腹部に突然冷たいものが侵入してきた。そして、温かい液体が身体から静かに流れ出て行くのを感じていた。何が起きたのか、とっさには理解できなかった。

「お父さん…。お父さんがつけてくれた私の名前。幸せって書いて幸子(さちこ)。でも…、私、幸せになれなかったの。ごめんなさい…。」

彼女が突然、小さな子供のように話しはじめた。彼女は幻想の中で、父親に抱かれていたのかもしれない。

「ウッ…。」

 彼女の小さな呻( うめ )き声が聞こえた。その声は、ざわざわと部屋中を駆け巡り、紅葉を撒き散らす風のように、私の身体を吹き抜けた。

舞い落ちる枯葉のように、ぱらぱらと散っていく意識の中で、妻と娘たちの困惑した顔が、ひらひらと脳裏を通り過ぎた。

二人の血が、山肌に燃える紅葉のように、白いシーツを赤く染めていった。

私の意識の最後の一葉が枝を離れた時、一滴((ひとしずく)の涙が零(こぼ)れ落ち、赤く染まったシーツの上で、虫食いのような、小さな染みとなった。

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お葬式

2009-02-27 22:43:44 | 日記・エッセイ・コラム

ただいま家内の姉の、お葬式から帰ってきました。姉御肌で世話好きの義姉の葬儀らしく、たくさんの人が集まってくださりました。北海道の北の端の町の人情はとても厚いものでした。

今日は疲れたので、もう寝ます。

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おくりびと

2009-02-25 13:08:58 | 日記・エッセイ・コラム

映画「おくりびと」が、外国語映画賞を受賞して、テレビは何処もその話でもちきりです。

今朝8時頃電話があり、家内の姉が亡くなったとの知らせ。去年から色々な病気にかかり、退院しては違う病気になりを繰り返していました。それでも頑張って退院していたのですが、最後に見つかった病気が、癌でした。すい臓癌を原発に、肝臓、卵巣等に転移し、既に手の施しようの無い状態でだったそうです。釧路の病院にも相談したのですが、そちらでも治療は無理だといわれたそうです。町立病院で、ただ、痛み止めの点滴を繰り返すことしか出来ない状態でした。しかし、彼女は痛み止めの点滴をすることにより、自分の意識が薄れることを恐れ、頑なに点滴を拒み、痛みをこらえていたそうです。

まだ、お通夜、葬儀等の日時は連絡がありません。連絡があり次第、北海道の東の端の町まで出かけて来ます。

彼女の冥福を祈りながら、「おくりびと」の受賞を喜んでいるテレビは見られません。今はただ連絡を待っています。

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不意に熱いものに触ったとき耳たぶを触りますか

2009-02-24 10:27:00 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

不意に熱いものに触ったとき耳たぶを触りますか?

誰の耳たぶ?ああ・・もちろん自分のですよね。

触りませんよ自分の耳たぶなんて・・・

そんなことしてる暇があったら、台所へ行って水をかけますよ。

火傷は冷やすのが一番ですから・・・

何故、耳たぶを触るなんてことを言うかといったら、「耳たぶは血管が細くて体温が低いから」なんて言われてますが、実際は大差ないですよ。

若い女性が「キャー」なんて、耳たぶ触ると、可愛いかも知れないけど、いいオヤジには恥ずかしくて出来ませんよ。

それより「オレの熱いハートで、火傷してみないか?」なんて言ってみたいな。

なんちゃって・・・

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今日も雪・・・

2009-02-22 14:03:26 | 日記・エッセイ・コラム

20090222_2 今日も雪。

雪については書く気も無い。

空に薄っすら見えるのは、雲のむこうで輝く太陽。

20090222_001_2雪雲が薄くて、ぼんやり見える。

雪はちらちら降る程度。

それでも もういい 見たくも無い。

餌台はカケスとヒヨドリ 奪い合い。

仲良く食べれば いいものを 自分の権利を主張する。

鳥も、獣もおんなじさ。人間さえもそうだもの。

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雪かき雪かき・・・

2009-02-21 13:36:34 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の朝から降りだした。

十勝地方に大雪警報。

明日の朝まで降ると云う。

その後、強風吹くと云う。

台風並みの低気圧。

それじゃたまらん 今のうち。

昨日の昼から 雪かき開始。

夕食前に 三回除雪。

いっぱい溜まると 体がたまらん。

八時半過ぎ 最後の除雪。

明日の朝が 恐ろしい。

すると あらあらどうしたことか・・・

これぞ天の恵みかお情けか 雪が静かに止んでいく。

止んだ たまげたな。

それから ゆっくりご入浴。

あ~、極楽 極楽・・・

ちょと待てよ ご入浴にも注意が肝心。

雪かいて・・雪かいて・・雪かいて・・・逝き国

では、洒落にもならぬ

低めの温度で、極楽 極楽・・・

今朝は いつものようにお目覚めで 逝き国だけは免れた

あちらこちらに 吹き溜まり

これ位なら よかったよかった

(ちなみに、インターネットでは 積雪64㎝、2月の積雪198㎝ 観測開始以来1位だとさ。)

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雛祭ってなんだ。五節句って何だ。

2009-02-19 15:36:20 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

雛祭:五節句のひとつ

男雛と女雛を中心とする人形を飾り、桃の花を飾って、白酒などの飲食を楽しみ、生まれた女の子が健康に成長し、幸せに結婚できるようにと祈る節句祭り。 Photo_3

雛人形の起源のひとつは、中国の流し雛(代わり雛)にあると言われています。流し雛にその年の災いや、けがれを移し、本人の代わりに川に流す風習で、これが江戸時代に女の子の人形遊びなどと結びついて、女の子の幸せを祈る場に飾られるようになりました。関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆。本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指す。(内裏⇒だいり、天皇の住居。)

男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化していったと思われます。お内裏様とお雛様ではもう一人女性がいることになりややこしい関係となる。

三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。雛人形は、宮中の殿上人の装束(平安装束)を模している。

*親王(男雛、女雛)はそれぞれ天皇、皇后をあらわす

*官女(三人官女)は宮中に仕える女官をあらわす、内1人のみお歯黒、眉無し は(既婚者を意味するが、生涯独身の女官の場合には年長者という意味)らしい。

*五人囃子は能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、それぞれ「太鼓」「大皮」「小鼓」「笛」「謡」である (能囃子の代わりに5人、又は7人の雅楽の楽人の場合もある)

*随身(ずいじん)の人形は随臣右大臣と左大臣と同時に衛士(えじ)でもある *仕丁は従者をあらわし、通常3人1組である

******************************

五節句

※江戸時代雛祭りは『五節句』のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、明治6年の新暦採用が『五節句(=雛祭り)』の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたとされる。

******************************

人日(じんじつ)

1月7日。七種粥を食べることから七草の節句ともいう。

古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。七種粥:一年の無病息災を願って1月7日に春の七草を使って作る七草粥。厄払いと健康を祈りつつ、食する。

【効能】せり(消化を助け黄疸をなくす)。なずな(視力、五臓に効果)。ごぎょう(吐き気、痰、解熱に効果)。はこべら(歯ぐき、排尿に良い)。ほとけのざ(歯痛に効く)。すずな(消化促進、しもやけ、そばかすに効く)。すずしろ(胃健、咳き止め、神経痛)。

上巳(じょうし/じょうみ)

3月3日。旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句とも呼ばれる。

「雛まつり」の起源は京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ平安時代の「雛あそび」が始まりとされている。

端午(たんご)

5月5日、菖蒲の節句

古来より中国では、物忌みの月(5月)には厄払いの行事が盛んに行われていました。端午の「端」は文字通 り「はじ/最初」の意味で、「午」は「うま」つまり端午とは、五月の最初の午の日に行われると言う意味です。最初は必ずしも五月五日ではなかったようです。端午の節句の日に人々は蘭の湯に浸かり、薬草である菖蒲酒を飲み、その菖蒲で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。日本では、端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、特に武士は菖蒲を「尚武=武をたっとぶ」とかけて、5月5日を尚武の節目の行事とし、盛んに端午の節句を祝うようになります。今は国民の祝日「こどもの日」になっています。現在国民の祝日になっている節句は、この日だけです。

七夕(しちせき)

7月7日、星祭り、竹・笹 に短冊を飾る。

今でこそ、織姫・彦星の伝説や、願いごとを書いた短冊を笹に吊るすのが一般的ですが、もともとは、中国の乞巧奠(きっこうでん)というお祭りで織姫・彦星の逢瀬を祝い、織姫にあやかって機織りの技が上手くなるように、ひいては手芸や手習いの上達を願って、巧みになるように乞う祭り(奠)と言う意味の「乞巧奠(きっこうでん)」が催されるようになり、日本でも宮中儀式として取り入られるようになりました。ちなみに、旧暦の7月7日は今の8月中旬頃ですから、雨の心配も少なく星もきれいに見えたのです。

日本では七夕は稲の開花期にあたり、水害や病害などが心配な時期です。また、お盆(旧暦の7月15日)の準備をする頃にもあたります。そこで、収穫の無事を祈り、棚機女(たなばたつめ)という巫女が水辺の棚の上に設けられた機屋で棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機を使って先祖に捧げる衣を織りあげ、それを祀って神の降臨を待つという禊(みそぎ)の行事があったそうです。

この日本古来の行事と乞巧奠(きっこうでん)とが融合して、七夕(しちせき)を七夕(たなばた)と云うようになったのです。

重陽(ちょうよう)

9月9日、旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。

陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。日本ではこの重陽だけが行われなくなったが、菊祭という行事に名残があるのだろうか。

以上五節句について記述しましたが、皆さんは気づきましたか?

三月三日、五月五日、七月七日、九月九日とみんな月と日の数字が重なっているのに、何故一月だけ七日なのか・・・?何か理由があると思うのですが、分かりません。分かる方、教えてください。

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ひとに言えない癖ありますか

2009-02-16 18:09:37 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

ひとに言えない癖ありますか?ありませんよ、そんなもの。あったとしても、あるとは言えませんよ。何せ、他人に言えない癖なんですから。聞き方がおかしいよ。なんて、直ぐに言いたくなるのは癖じゃないですよね。

辞書によると「癖(くせ)とは、人が無意識のうちに、あるいは特に強く意識することなく行う習慣的な行動のことである。手足や体の動かし方、話し方などで同様な状況のもとで常に自動的に繰り返される傾向。広い意味では習慣の一種とみられるが、極端な場合には通常よりも不必要に偏向した反応として現れる。自分は気付いていない場合が多い。また、気づいたとしても、特に強く意識せずに行っている行動も含む」とあります。

また「癖ある馬に能あり(くせあるうまにのうあり) 一癖ある者には、人にはない特別な能力がある。才能ある者はどこか凡人とは違うところがある。」とも云われます。

即ち、癖は自分では分からないということです。他人に言われたことがないので、自分はないのだと思います。あったとしても、曲者の曲は癖と同じ語源なのですから、他人と違うということです。

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郷土作家アンソロジー表彰式

2009-02-15 18:01:34 | 日記・エッセイ・コラム

今日は地方新聞の短編小説募集の表彰式でした。

「第28回郷土作家アンソロジー表彰式」は、11:30から開始され、13名の受賞者が出席しました。いつもは女性陣に押され気味だった表彰式ですが、今日は男性陣が盛り返し、9名が男性でした。それも、私を含めかなり年齢の高い男性陣で、もしかしたら加齢臭が漂っていたかもしれません。女性4名は若い人ばかりでした。(アラフォー1名含む)

若い女性と(私から見ればアラフォーも若い人です。)話しをする機会は滅多にありませんから、とても楽しい時間でした。普段若い女性に話しかけたら逮捕されちゃいますから・・・。

年に2回の表彰式、次回も出席できるようにがんばります。最優秀賞をとると言わないところが奥床しいでしょう。本当は欲しい最優秀賞!!

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雪かき

2009-02-14 13:53:27 | 日記・エッセイ・コラム

朝の五時から飛び起きて

せっせせっせと 雪をかく

天気予報が 大当たり

当たらなくてもいい予報

そんな予報は必ず当たる

40~50㎝は降る予報

上限のほうが 大当たり

ご近所さんも 起きだして

せっせせっせと 雪をかく

せっせせっせと 雪をかき

せっせせっせと 汗をかく

汗をかきかき 雪をかく

雪をかきかき 汗をかく

春一番の大雪に

みんな げんなり 会話もない

コメント (1)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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