都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
落語と言っても徹頭徹尾、喜劇とばかりは限りません。この「薮入りは」、どちらかという人情話という趣があります。かつて、年季奉公の制度が残っていた頃のお話。
奉公に出て3年目の初めての藪入りの日。
「藪入りや何にも言わず泣き笑い」。
男親は朝からソワソワしています。いえ、前の晩からです。男親は女房に奉公に出た一人息子が帰ってきたら、ああしてあげたい、こうしてあげたいと、言って寝かせません。
「暖かい飯に、納豆を買ってやって、海苔を焼いて、卵を炒って、汁粉を食わしてやりたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。ほうらい豆にカステラも買ってやれ」
「うるさいんだから、もう寝なさいよ」
「で、今何時だ」
「2時ですよ」
「昨日は今頃夜が明けたよな」
「湯に行ったら近所を連れて歩きたい。赤坂の宮本さんから梅島によって本所から浅草に行って、品川の松本さんに挨拶したい。ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎の大師さんによって、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな~。そこまで行ったのなら、静岡、豊橋、名古屋のシャチホコ見せて、伊勢の大神宮にお参りしたい。そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。明日一日で。な、おっかぁ」
「おっかぁ、おっかぁ、って、うるさいんだから」
「で、今何時だ」
「3時少し回ったよ」
「時間が経つのが遅くないか。時計の針を回してみろよ」
「な、おっかぁ」
で5時過ぎに起き出して、家の回りを掃除し始めた。普段そんなことした事がないので、いぶかしそうに近所の人達が声を掛けても上の空。
抱きついてくるかと思ったら、丁重な挨拶をして息子の”亀ちゃん”が帰ってきた。父親の”熊さん”に言葉がないので、聞くと喉が詰まって声が出ない。
病気になった時、お前からもらった手紙を見たら、字も文もイイので治療はしていたが、それで治ってしまった。それからは何か病気しても、その手紙を見ると治ってしまう。
「おっかぁ、やろう、大きくなったろうな」
「あんたの前に座っているだろ。ご覧よ」
「見ようと思って目を開けると、後から後から涙が出て、それに水っぱなも出て、見えないんだよ」
「あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは昨日夜っぴて寝てないんだよ」
「それはお前さんだろ」
「おっかぁ。立派になったな。手を付いて挨拶も出来るし、体も大きくなって、手紙も立派に書けるし、着物も帯も履物もイイ物だ。奥様に可愛がられて居るんだろうな」
「お前さん、サイフの中に小さく折り畳んだ5円札が3枚有るよ」
「子供のサイフを開けてみるなよ」
「15円は多すぎるだろ、なにか悪い了見でも・・・」
「俺の子供だ、そんな事はない。が、初めての宿りで持てるような金ではないな。帰ってきたら、どやしつけてやる」
そこに亀ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきた。
「そこに座れ。おれは卑しい事はこれっぽっちもした事はねぇ。それなのに、この15円は何だ」
「やだな~。財布なんか開けて。やる事がげすで、これだから貧乏人はヤダ」
「なんだ、このやろう」
と喧嘩になってしまった。
亀ちゃんが言うには、ペストが流行、店で鼠が出るので、捕まえて警察に持っていくと、銭が貰える。ネズミを捕まえては交番に持って行き、懸賞に当たってもらったお金をコツコツと貯め、今日までご主人が預かっていたが、宿りだからと持って帰って喜ばせてやれと、持たせてくれた。その15円だという。
「おっかぁが変な事を言うものだから、変な気持ちになったのだ。懸賞に当たってよかったな~。許してくよ。主人を大事にし なよ。忠(”チュー”鼠の鳴き声にかけて)のお陰だから」
おあとがよろしいようで・・・。
したっけ。
吉原のお噺でございます。
昔は写真なんてものはありませんでしたから、お店の格子の入った窓際にずらっと遊女が並んでおりまして、その中から気に入った遊女を選ぶという仕組みになっておりまして、これをお「見立て」と言ったのだそうです。オランダの「飾り窓」と同じような仕組みになっていたといえば、分かる人には分かっていただけるでしょうか。
もちろん、吉原の噺と言えば、売春なので、健全な方は顔をしかめられることと思います。実際、当時の吉原は華やかな反面、この種の仕事に付き物の暗い影もあったことも事実です。そこは落語ですので御勘弁をいただきまして・・・。
遊女とは言うものの、一番人気ともなれば、その辺の大名にも負けないほど羽振りがよかったのだそうです。そこまでいかなくても、そこそこ人気があれば、客を選ぶこともできたのだそうです。
さて、喜瀬川のところに、田舎のお大仁が訪ねてまいりましました。喜瀬川は、このお大仁 があまり好きではございません。しかも、しょっちゅう訪ねてきてくれるわけでもありませんので、必ずしもいいお客さんでもありませんでした。
そこで喜瀬川は、久しぶりなのをいいことに、自分は死んだことにしてくれと店のものに頼みます。店としても、喜瀬川は稼ぎ頭。このお大仁一人を逃しても、それに勝るお客さんを呼んできてくれる喜瀬川の方が大切に決まっております。口裏を合わせて、喜瀬川は死んだことにしていまいました。
騙されているとも知らず、お大仁は、喜瀬川が死んだと信じ込みまして、大いに泣いておさまりません。ここまではいい。ところが、お大仁は喜瀬川の墓参りをしたいと言い出してしまったのです。この辺の野暮天さが嫌われる理由なのでしょうけれど、それはともかくとして。
店の者がお大仁を谷中に連れて行き、適当な墓を喜瀬川の墓だと言って、さっさとお参りを済ませて帰ろうとするのですが、お大仁は少々疑り深い性分。墓碑銘を読み、生年月日が違うと言い出します。
店の者は、久しぶりに来たので墓を間違えたと、別の墓に連れて行くのですが、お大仁は納得しません。
広い谷中の墓地を練り歩き、さすがに疲れたお大仁が「本当の墓はどれなのだ。」と言い出すと、店の者は、たくさん立ち並ぶ墓を見渡して
「この中からお好きなものをお見立てください。」
遊びてぇものは今も昔も粋でなくてはなりません。阿吽の呼吸で相手の意思を汲み取り、自分が嫌われているてぇことが分かったら、すっと身を引くことがだいじなんです。 恋愛だって同じです。それを分からねぇから、ストーかになっちまう。気を付けるんだぜ、犯罪になっちまうんだから・・・。
したっけ。
「目黒の秋刀魚」という話は誰もが聞いたことはあると思います。
これは落語の中でも有名な噺に出てくるお殿様の言葉なのです。
ある日、お殿様が武芸鍛錬のため馬を駆って遠乗りに出かけました。
このお殿様、性格はいいのですけれど、少々そそっかしいところがございまして、家来は毎日ヒヤヒヤしております。今日の遠出も、思い立った途端に出かけてしまったものですから、家来は大慌て。目黒に到着し、昼食をと思ったものの、あまりにも突然の遠出だったので、だれもお弁当を持ってきておりません。
そこへ、サンマを焼くいい匂いが……。当時、サンマは下魚として、身分のある人が食べるものではないといわれていました。しかし、お殿様は空腹にたえられず、家来に申しつけて、サンマを農家から買い受け、一口食べてみると、これがうまい。
空腹ということもあったのでしょうが、脂が十分にのり、焼きたての旬のサンマ。これがまずいわけございません。
さて、屋敷に帰ると、またいつものように鯛などの高級魚が食前に出てくることになるわけですが、お殿様はどうしてもサンマの味が忘れられません。お殿様は駄々をこねて、サンマを食べたいと言い出します。
家来が日本橋の魚河岸に仕入れにいって、極上のサンマをあつらえてきましたが、料理番が、脂の強い魚だから、もし体にでも障ったら一大事とサンマを開いて蒸し器にかけ、すっかり脂を抜いてしまった。それでもって、小骨も毛抜きで1本1歩丁寧に抜いたから、形が崩れてしまい、そのままでは出せないから、お椀にして、おつゆの中に入れて出した。
お殿様、出されたサンマを一口食してみたが、蒸して脂が抜いてあるからパサパサ。おいしいはずがありません。
「これこれ、このサンマ、いずかたより取り寄せた?」
「は、日本橋の魚河岸にございます。」
「それはいかん。サンマは目黒に限る・・・」
お後がよろしいようで・・・。
当時のお殿様が美味しいものを食べていたかというとそうでもない。調理に気を使い、火傷をしないよう熱いものは出さない、何度もお毒見役の侍が食べた後で、お殿様の口に入るころには、美味しいものも美味しくなくなっているという、風刺をこめた噺です。人間何が幸せなのか、考えさせられます。
したっけ。
落語の好きな方は御存知だと思いますが、以下に抜粋を掲載いたしますので、お読み下さい。
和尚様が、お腹が張って苦しいので、お医者さんに相談します。様態を診た医者は、和尚に 転失気はあるかと尋ねます。和尚様は、医者の言う転失気の意味が分からない。ところが、この和尚さん、いたって負け惜しみ強い方でございまして、「わからない」と言うことができません。その場はなんとか取り繕ったものの、さて、「転失気」とはなんぞや。
「珍念、珍念はおらんか」
「へぇ、和尚様、呼ばれましたか?」
「お前は、てんしきというものを知っているか」
「いえ知りません」
「そんなことでどうする。もう14、5にもなれば一人前になりかかっているのじゃ」
「はぁ、和尚さん、てんしきというのはなんです?」
「わしが教えてもいいが、それでは修行にならん。前の花屋に行って、てんしきをちょっとお借り申したいとかなんとかいって聞いてきてみなさい」
小僧さんが、花屋で転失気を貸してくれというと、花屋の主人は先日ネズミが棚から落として壊してしまったと言います。
―和尚さんは方々に聞かせにやりますがだれもわかりません。-
その旨を和尚さんに報告すると、今度はお医者さんに聞いてこいと言います。
減るものでもなし、教えてくれればいいのにと小僧さんはブツブツ思いつつ、お医者さんに所に行き、てんしきとは何かとたずねると、医者は笑いながら、「転失気」というのは漢方の世界で「気を転(まろ)め失う」というところから転失気と書いて、「おなら」のことを言うのだと教えてくれます。
はは~ん、どうも和尚さんは転失気を知らないなと察した小僧さんは、素知らぬ顔をして、てんしきは盃のことだったと答えます。
「さかずき? 盃は酒を呑む器。呑む酒器、呑酒器(てんしゅき)、うむ! その通りじゃ! 二度と忘れるでないぞ!」
翌日、再びお医者さんが来て、
「具合はどうか・・・。」
と和尚さんに尋ねます。
「随分よくなりました。そうそう昨日聞かれた呑酒器(てんしき)ですが、うちにも三つ組みのものがありました。よければ見てください。」
と和尚さんが自慢げに言います。医者の方は、この和尚さんは何を言い出すのかときょとんとした顔をしています。小僧さんはニヤニヤしながら、言われたとおり、奥の部屋から盃を持ってきます。
盃を前にして、お医者さんは、
和尚さんは、ん? ち、珍念め……、騙しよったなと思いましたが、もう遅い。
お医者さんは
「どういうわけでお寺では盃のことを「てんしき」と言うのか。」
「寺方の事でございますから、さぞかし古い時代から転失気と呼んでおられたのでございましょ~な?」
しかし、そこは生来の負けん気の強い和尚さん。
「えぇ~そらもぉ、奈良平安の時代から・・・。」
お後がよろしいようで・・・。
下げはもうひとつありまして、「呑みすぎるとブーブー言うやつがいる。」
知った振りをすると大恥をかくという一席でした。
知らないことは知らないといったほうがいいですよ。「聞くは一時の恥じ、聞かぬは一生の恥」と言いますから。
したっけ。
落語の「花色木綿」を御存知ですか。
「広い庭のある家に侵入しろ」といったら公園に忍び込み、「電気がひいてあってこじんまりしたところを狙え」と言われたら交番に盗みに行ってしまうような間抜けな泥棒が主人公。
兄貴分にも見限られ「泥棒を廃業しろ」と宣告された泥棒は、何とか自分の実力を証明しようととある長屋に忍び込む。ところが、物色している最中に何と家人が帰ってきてしまった。
あわてた泥棒はひとまず縁の下にもぐりこむ。入れ違えで入ってきた家人(八五郎)は、荒らされた室内を見るやものすごい勢いで部屋を飛び出し、何故か家主を連れて戻ってきた。
実はこの男八五郎、家賃を払えずに困っていたのだが、たまたま泥棒が入ってきたのをいいことに『泥棒に入られ金を持っていかれたから』と家賃を免除してもらおうと考えていたのだ。
八五郎からインチキの事情を聞いた家主は、「被害届を出すから」と彼に何を盗られたのかと質問をいたします。
あせった八五郎は、家主が羅列した『泥棒が盗って行きそうな物』を総て盗られたといって急場をしのごうとした。
ところが、途中で布団(裏地が花色木綿で出来ていた)が出るや、花色木綿が着物の裏地の一種だと知らない八五郎、それ以後に家主が挙げた洋傘や紋付、果てはタンスに至るまで総て「裏が花色木綿」と答えてしまったため話はどんどんおかしくなり、おまけに八五郎のインチキ話に激怒した泥棒が飛び出してきたため嘘は見破られてしまう。
結局、見つかってしまった泥棒は、家主に泥棒に入った理由を訊かれ、以前兄貴分に教わったとおり「出来心で」と答えて許してもらう。次に八五郎がインチキ話をした理由を訊かれ「つい、出来心で…」。おあとがよろしいようで・・・。
ということで「花色木綿」は出来心のことをいうのですが、噺が古すぎましたね。
ちなみに、この「花色木綿」の花の色、どんな色だかお分かりですか。ピンクだとか赤を想像した人は、八五郎を笑えません。
ではどうしてブルーを「花色」と呼んだのでしょうか。
実は花色の「はな」とは、「はなだ」という植物の名前の変化したものなのです。
「はなだ」は「縹」と書き、露草の別名なのです。青い露草からつくった染料で摺り染にした色を「はなだいろ」と呼んだのです。
ブルー・ジーンズの少しさめた色を想像していただければよいと思います。
花色に染めた木綿の布は、丈夫で色落ちせず、着物の裏地に良く使われたのだそうです。
したっけ。