都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
クローバーの品種名は、主に「白詰草(シロツメクサ)」のことを指しています。
クローバー(シロツメクサ)は学名を「トリフォリウム(Trifolium)」といい、「三つ葉」という意味だそうです。
江戸時代にオランダからガラスの器が送られた時、ガラスが破損しないよう箱の中に詰められていた草なので「詰め草」といわれています。その中から発芽して広がったと考えられています。
もともとは、ヨーロッパで牧草用に栽培していたそうです。
日本では、三つ葉は「希望」「信仰」「愛情」のシンボルといわれています。残る1枚が「幸福」というわけです。
幸せを運んでくれるものとして、とても喜ばれます。
四つ葉のクローバーを見つけた人には幸運が訪れる、という言い伝えはヨーロッパに古くからあり、夏至の夜に摘草をすると薬草や魔除けの力があると信じられていたそうです。
クローバーの模様は、古来より守護の力を持つものとして知られていました。そして、キリスト教以前の古代ケルトのお守りとしてアイルランドなどで「シャムロック(Shamrock)」と呼ばれていました。
このように、三つ葉のクローバー自体も古来より幸運のシンボルだったようです。
そのため、もっと珍しい四つ葉のクローバーには、より強い力がある、と信じられていたようです。
その後、アイルランドへキリスト教の布教にやってきた「聖パトリック(Saint Patrick387年? - 461年3月17日)」が、異教信仰との融和を図るため、「シャムロック」の葉が小さな三つ葉になっていることから、三位一体の教え(希望、信仰、愛情)を認めさせるために利用しました。
キリスト教を受け入れたアイルランドでは、このシャムロックを国の象徴として採用しました。
このため、三つ葉のクローバーはキリストの三位一体(父なる神・キリスト・聖霊)を、四つ葉のクローバーは「十字架」を表し、幸運をもたらすと言われるようになったようです。
イブはエデンの園から四つ葉のクローバーを持ち出した、という伝説もあるそうです。
アダムとイブが楽園を追われるときのこと。神様がそっとイブの手に持たせたのが四つ葉のクローバーだったと伝えられています。
楽しかったころのこと、願いごとが何でもかなったころの思い出として・・・。
きっとエデンの園にあるクローバーはみんな四つ葉だったのでしょう。
有名なナポレオンも戦場で馬に乗っていた所、偶然四つ葉のクローバーを見つけ、体を伏せた瞬間に銃弾がすれ違い命を救われたというエピソードもあるそうです。
幸せの象徴とされている四葉のクローバーですが、この起源をたどると何と黒魔術にあるという説もあります。
四葉のクローバーを他人に見せてその人を不幸にさせ、それと引き換えに自分が幸せになれるというものだそうです。
それでも、貴方は四葉のクローバーを他人に見せられますか?
また、植物学的には、四つ葉は、成長点が傷つけられたためにできた奇形です。
公園や道端など、よく踏みつけられる場所で比較的見つけられるのは、このためです。
そのため、四つ葉のクローバーは針などで成長点を刺激することによって作り出すことができるようです。
最後は、夢のない話になってしまいました。ゴメンなさい。
したっけ。
世の中「いかさま」だらけのようで困ったものです。
不正行為のことを、「いかさま」と言いますが、なぜでしょう。
イカ墨で書いた文字は1年程で薄れて消えていくから、借金の証文を書く時にイカ墨で書いておいて、まんまと現金を騙し取った。・・・という説もあるようです。
中世のヨーロッパには、ペン墨として蝋燭の煤や硫化鉄を利用したものがあったそうですが、他にイカ墨も利用されたそうです。
ちなみに「セピア色」という語源も古代ギリシャ語で「イカ墨」の事だそうです。
古代ギリシャ語の σηπία(sēpia, コウイカの意)が語源。地中海沿岸地方では古代よりイカが食材にされるとともに、イカの墨がインクとして使用されていた。イカ墨には悪臭があって色あせしやすいためにインクとしてはその後一旦使用されなくなるが、近世にはイカ墨をアルカリで溶かしたあと塩酸で沈殿させ、それを乾かして茶色の顔料として使うようになった。これが西洋全般に広まるようになる。それとともに"sepia"という単語はイカ墨やその顔料、そしてその色をも意味するようになる。
ウィキペディア
またイカ墨はタコの墨と異なり水中であっても拡散しにくく、実際耐水性も優れているようです。
イカ墨で書かれた当時の写本も現存しているそうです。千年も前の物でも読む事が出来ますのでイカ墨が薄れるというのはどうも眉唾ものですね。
「イカ」説によると漢字は「烏賊様」になってしまいます。
実は漢字で書くと「如何様」。「如何(いかが)」「如何に(いかに)」という言葉に、様子を意味する「様」がくっついてできた言葉のようです。
元々は、「どのように」「どんなふうに」等の意味だったようですが、「いかにもそのとうり」という意味に転じ、これは『如何にも左様でござる』ということで、「間違いなくそうです」と相手を納得させて悪い事をする意味になったようです。
相手を納得させて、悪事を働くとはとんでもない。納得させられた方も悪いのでしょうか・・・。
いか‐さま【如何様】
[名・形動]いかにも本当らしく見せかけること。また、そのさまや、そのもの。いんちき。「―をやる」「―ばくち」 「随分―な人物だと」〈宙外・独行
大辞泉
また、武士がその地位を利用して、「如何様左様でござる。拙者に任せておけ。」と商人を信用させて借金を踏み倒したとも言われます。
地位を悪用する人間が取り仕切っていたのでは、徳川幕府も持ちますまい・・・。
民〇党の新代表も決まりました。政治を取り仕切るお偉方には、「如何様」だけはしてほしくないですね。
したっけ。
「ろれつ」とは、漢字で「呂律」と書きます。もともと中国から伝わり雅楽で用いられている音階のことで、「呂律(りょ‐りつ)」と読みます。
「りょりつ」とは、ことばの調子を意味し、「呂」の音階と「律」の音階がうまく合わないことを「呂律が回らない」と表した。
これが一般に広まり、「呂律が回らない」という形で、酒に酔ったり、慌てたりして、舌がよく回らずいうことがはっきりしないさまをいう。
江戸前期の「男重宝記(なんちょうほうき)」は、「ろれつがまはらぬは、呂律也(りょうりつなり)」とあり、古くから「呂律(りょりつ)」を「ろれつ」と読んでいたようです。
また、呂も律も仏教の儀式や法要で僧が唱える歌のような曲「声明(しょうみょう)」の音階のことだともいわれます。呂と律の音をうまく使い分けできないことを「呂律が回らない」といったようです。
洛北(らくほく)は大原にある三千院は、「声明の里」と呼ばれ、古くから声明がさかんに行われていました。三千院を挟んで流れる二つの小さな川を呂川(りょせん)・律川(りつせん)というそうです。
らく‐ほく【洛北】
都の北。京都の北郊。
大辞泉
しょう‐みょう〔シヤウミヤウ〕【声明】
1 古代インドの五明(ごみょう)の一。文字・音韻・語法などを研究する学問。
2 仏教の経文を朗唱する声楽の総称。インドに起こり、中国を経て日本に伝来した。法要儀式に応じて種々の別を生じ、また宗派によってその歌唱法が相違するが、天台声明と真言声明とがその母体となっている。声明の曲節は平曲・謡曲・浄瑠璃・浪花節(なにわぶし)・民謡などに大きな影響を与えた。梵唄(ぼんばい)。
あまり突っ込まれると、涙を流して呂律が回らなくなるような人間が代表になるのでしょうか?
音階をうまくあわせて、数だけ集めても如何なものかと・・・。
したっけ。
オオツリバナ(大吊花) ニシキギ科 ニシキギ属
オオツリバナの実がなりました。
この実が赤い花が咲いたようにキレイなのです。語源はこの実を花に見立てたものではないのでしょうか?
花は、黄緑の小さな花ですから・・・。
※花を確認したい方は下記をクリックしてください。
したっけ。
「不退転の決意」とは、志を固く保持して、決して屈しない決意という意味です。
「不退転の決意で、この難局を乗り切る所存」などと、政治家の演説によく登場する言葉です。
実は、この「不退転」は仏教語からでた言葉だそうです。
サンスクリット語の「アヴァイヴァルティカ(Avaivartika)」の訳で、「不退」とか「無退」とかとも訳されています。文字通り、退転しないことで、仏道修行の過程で、すでに得た功徳を決して失うことがないこと、もはや後退することがないことをいい、その位を「不退の位」とか、「不退転地」というそうです。
「不退転の位」とは後戻りしない位(くらい)のことだそうです。さとりの位は下から40段までは「退転位」であり一瞬の 油断によっても崩れてしまうことがある。しかし「不退転位(41段以上)」に至れば後戻り しないのだそうです。
仏教でいうところの「退転」あるいは「退」とは、「仏道修行を怠ったために、初めのほうや悪いほうに後退すること」です。よって不退転の意味は、「怠らずに修行し後退しないこと」、と考えられますが、実はそうではありません。怠らずに修行したことによって入ることのできた、「もはや後退することがなくなった境地」を指したことばなのです。
仏道修行の過程で、初めのうちは身につかなかったり不安定だったりするものですが、一段一段と修行していくと、ある時点からはふたたび後退することのない境地に達するというのです。これを「不退転」、あるいは「不退の位」、「不退転の境地」などともいうそうです。
浄土真宗では、他力信心を得たものは、この世において、正定聚不退の位につき、必ず仏に至るに定まると説きます。
しょうじょう‐しゅ【正定聚】
必ず仏となることの決まった聖者。不退転の菩薩(ぼさつ)たち。真宗では、他力真実の信心を得た者をいう。
大辞泉
だから『浄土和讃』はいいます。
「真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる
不退のくらゐにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ」
政治家のみなさん、「不退転の決意」ということは自分が「不退転位」に達していないとできないのですよ。
なにやら騒がしいようですが、新代表になられる方は、多分、日本の総理大臣になるわけですから、是非本当に「不退転の決意」で政治を行ってください。
それにしても、「雨後の筍」のように沢山出ましたね。小さくても、目にみえない地中が大きいということもありますから・・・。もっとわかりやすくできないのでしょうか?
選挙権のない我々にはどうしようもないことですが、党員資格のない人が一番偉そうに見えるのは、私の錯覚でしょうか・・・。
したっけ。
古典的に見ると、「ゆふべ(夕べ)」「よひ(宵)」「よ(夜)」の順で時間が遅くっているようです。漢字の成り立ちで考えて見ましょう。
「夕」は「月」の変形で三日月の姿。月の出る時刻。夕方。
「宵」は「ウ」+「肖」で家の中に入ってくる光が小さく細くなった時刻。
「夜」は「亦」+「月」で「亦」は両脇の下。日の出るときを中心にはさんで月の出ている時間。
よ【夜】
日没から日の出までの間。よる。「―が明ける」「―が更ける」
大辞泉
「晩」は中世~近世にかけて使われるようになった字のようです。
「晩」は「日」+「免」で暗くてものの見えないころの意味だそうです。免はただの音符だそうです。ちなみに、「女偏」の記事で書きましたが「免」は出産をあらわします。
ばん【晩】
1 夕暮れ。夕方。「朝から―まで」2 夜。「あすの―は会議で遅くなる」3 晩飯。「―のおかずを買って帰る」
大辞泉
「よ(夜)」は夜中に近い刻限を指しますので、古来の日本人の生活習慣からいえば、「夕飯」「晩ご飯」というのが正しい使い方のようです。
「夜ご飯」はかなり最近になってから使われるようになった言い回しですが、私にはピンと来ません。夜中に小腹が空いたときに食べる軽食を「夜食」と言いますが、「夜ご飯」は「夕飯」、「夜食」のどちらなのでしょう。
英語では、日没から人が寝る時間までが「evening」、人が寝ている時間が「night」というのが一般的だそうです。しかし、あまり厳密な境目はないようです。
ただ、日本語では自然(日没)が基準になっているのに対し、英語では人の活動が基準になっているのは、東洋と西洋の考え方の違いなのでしょうか。
したっけ
コケモモ(苔桃) ツツジ科 スノキ属
苔桃の実がなりました。今年は花が少なかった分、実も少ないですね。当たり前ですね。
苔ではなくて、ツツジ科の木です。秋に赤く熟す 7 ミリほどの実を桃にたとえ、全体が小さいので「コケ」という形容詞がついているのです
苔のように小さく、赤いモモのような実をつけることから、コケモモと名付けられました。
※花を確認したい方は下記をクリックしてください。
したっけ。
※注意※蛾、毛虫の写真(ウィキペディアより)あり
成虫は、性的二形が顕著で、オスは茶褐色、メスは白い色をしている。大きさも異なりオスは体長20mmから50mm程度、メスは50mmから大きな個体では100mmほどにもなる。学名の種小名 dispar は本種のこの特徴に由来し、ペアになっていない、といった意味がある。
幼虫は典型的なケムシで、背面には目立つ二列の点が並ぶ。この点の色は個体にもよるが頭寄りの5対のみ青、それ以降の6対は赤くなるものが多い。成長すると体長60mmほどになり、糸を吐いて木からぶら下がっている様子から、別名ブランコケムシと呼ばれており、風に吹かれるなどしてこの状態でかなり広域を移動できる。
ドクガ科に分類されるが、アレルギーでもない限り、人が害を被ることはほとんどない。しかし1齢幼虫にはわずかだが毒針毛があり、触れるとかぶれる。卵、2齢以降の幼虫、繭、成虫には毒針毛はない。
ウィキペディア
昨日から、両腕とお腹に多数の湿疹が発生しました。今朝になってもおさまる気配なし。さらに増加していました。
とにかく痒い。耐えられなくて病院へ・・・。
医師:「草むしりか何かされましたか?」
私 :「月曜日にオンコ(イチイ)の枝切りをしました。」
医師:「ああ、それでは間違いないですね。毛虫です。マイマイガですね。」
私 :「毛虫は1匹も見ませんでしたよ。」
医師:「そうですね。もう、成虫になっている時期ですから・・・。しかし、毛が残っているのですよ。それに触れると、こうなります。完治するのに10日から2週間ほどかかります。」
ということで、看護師さんに優しく塗り薬を塗ってもらい、帰ってきました。
暑かったので、Tシャツで作業していました。長袖を着ないとダメですね。マイマイガは去年までいなかったのに・・・。毎年、勢力を拡大しています。
とにかく、カイーノ・・・。
したっけ。
「てぐすね引く」の「くすね」とは、弓道用語で「薬煉」、また「天鼠」と書いて「くすね」と読みます。「薬煉」は、松ヤニを脂で煮て練り固めたものだそうです。これは、弦につける接着剤のよう なもので、これを弦(つる)につけてから「麻薬煉・麻天鼠(まぐすね)」と呼ばれる草鞋のようなもので擦ることで、熱で現に染み込んでいる「薬煉」の松脂が溶けてから固まることで弦が強くなります。弓を使用する前後に「麻薬煉・麻天鼠」で摩擦することで弦が長持ちするそうです。
「薬煉」は粘着力が強く、弓を射る際には左手(弓手:ゆんで)にも塗られていたようです。矢を射たときの衝撃で、弓が左の手のひらから飛び出さないようにするためです。
「手薬煉引く」ということは、つまり「薬煉・天鼠」をつけた弦を引っ張ることで、弓を引くということになります。戦場で弓に矢をつがえてその弓を引いたまま、向こうから敵が来るのを待っている状態のことです。
そこから「準備万端整えて今か今かと機会を待つ」 という意味になったのです。
手薬練(てぐすね)引・く
1 十分用意して待ちかまえる。準備して機会を待つ。「―・いて待ち受ける」2滑りをとめて弓返りを防ぐため、弓手に薬練を塗る。 「―・き、そぞろ引いてぞ向かひたる」〈保元・中〉
大辞泉
近頃では「人を騙すために 、いろいろ策をねって準備をする」、みたいな悪い印象しかありませんが、本来の意味とは少し違いますね。
※「てぐすねひく」で調べると、「薬煉」という漢字が使われています。しかし、「弓道」では「天鼠」という漢字が使われています。日本語は難しいですね。
したっけ。
「パイナップル(pineapple)」は熱帯アメリカ原産の多年草です。名前の由来は、松を意味する「pine tree」と、昔は広く果実を意味していた「apple」を合わせたもので、松傘に似た実の意味といわれています。また、香りや味がリンゴに似ているから「apple」という説もあります。
パイナップルの実に「うろこ」のようなものがありますが、この一つ一つが花の跡です。パイナップルは一つの茎に約150個の花がつきます。一般的に食べられる部分は、花托(かたく)と呼ばれる花を支える部分がふくらみ集合したものです。つまり150個の花の「花托」が肥大化し一つになったものが、一般にいうパイナップルの実なのです。これは、イチゴと同じですね。
パイナップル(パイン)は学名では「Ananas Comosus」、英名で「Pineapple」といいます。果実を食食べるのがパイナップルで、葉や花を観賞するのがアナナスだそうです。
パイナップルは果実を食用とするパイナップル科(アナナス属)の植物なのです。パイナップルの原産国は南米で、ブラジル南部、アルゼンチン北部、パラグアイにまたがる、南緯15~30度、西緯40~60度に囲まれた地域で、古くから熱帯アメリカでも栽培されていて、草丈60㎝~120㎝程になる多年草です。
く‐だ‐もの【果物/菓物】
《「く」は「木」、「だ」は「の」の意》 木および草の実で、多汁でふつう甘味があり、食用になるもの。果実。水菓子。フルーツ。
大辞泉
上記の定義からすると、果物にはなりません。農林水産省でもこの定義を用いています。
また、おかず(調理、ドレッシング)になるものが野菜、そのまま食べるのが果物というのもあります。これだと、どちらにも入ります。
さらに、1年で枯れてしまうものは野菜、何年も実をつけるものは果物という定義もあります。この場合、パイナップルは多年草ですから果物になります。
市場では果物扱いで、スーパーでも果物コーナーで売っています。
パイナップルを野菜だと思っている人はいないと思います。
したっけ。