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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
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「羆霧(くまぎり)」

2024-09-21 06:06:02 | 短編小説

夏、日高山脈第二の高峰、カムイエクウチカウシ山(通称カムエク)を、目指していた登山パーティーがあった。

 山の名称はアイヌ語の「羆(神)の転げ落ちる山」に由来する。

 パーティーは高山拓真、山口宏樹、森山健太、峰野大輔、岩崎岳夫の五人構成で、年齢や職業はバラバラだった。

 彼らは、SNSで知り合った登山愛好者のパーティーだ。

 高山、山口は上級者で、森山、峰野は中級者だった。岩崎だけが学生で初級者だった。

 リーダーは年長の高山と決まり、サブリーダーは山口と決まった。

 

 山に入って一日目。

 五人は〝渡渉〟を繰り返しながら、札内川本流を進み、八ノ沢出合に到達。更に、八ノ沢を遡行し、キャンプ適地で宿泊した。

 特に事故もなく、登山は計画書通りに進んでいた。四日間の予定だ。

 

 二日目。

 八ノ沢を遡行し、〝高巻き〟や〝へつり〟を繰り返し、八ノ沢カールに到着した。

 昨晩のラジオの天気予報では、今日の天候が思わしくないことが分かっていた。

 そのため、高山は停滞を決定した。

 テントは平らな場所に張る。入り口は風下にする。ペグがしっかり打てるか確認する。川・沢の近く、崖下はテントを張らない。登山道の近くはなるべく避ける。

 高山が指示をして、設営場所を決定した。

 予報通り、雨風が次第に強くなり、テント内で簡単な食事を作って腹ごしらえをした。

 その日は、トランプをしたり、互いの経歴などを話したりと、楽しく時間をつぶした。

 天気予報を聞いて、明日の朝、小雨なら出発しようと決めた。

 二日目も特に何事もなく終了した。

 

 三日目。

 朝、一番早く起きた森山が、外の様子を確認にテントを出て、帰ってきた。

「かなり霧が出ている。待ったほうがいいかも知れない」

 高山がテントのドアパネルから外に首を出すと、辺りは霧で真っ白だった。

 朝食後、様子を見ていたが、霧は晴れそうもなかった。

 メンバーは昨日停滞したこともあって、できるなら出発したい様子だった。

 しかし、この先〝巻き道〟があり、滑落事故の危険があると高山は判断した。

 話し合い、その日も停滞することにした。

 昼、霧が更に濃くなってきた。

 雨こそ降っていないが、霧の中を歩き回るのは危険で、テントを出る者はいなかった。

 夜になってから、動物の軽い足音がテントの回りをコソコソと歩いていた。

 キツネだ。テントから出て追い払った。

「何か外に置き忘れていないか?」

 山口がメンバーに聞いた。

「あ、〝クッカー(鍋)〟だ!」

 岩崎が、慌てて〝クッカー〟を回収した。

 初心者の岩崎が、うっかり〝クッカー〟をテントの外に放置してしまったのだ。

 夜の動物が活動するこの時間、食べ物の臭いを外にじかに出しておくのは危険だ。

「おいおい、羆でなくてよかったよ。気をつけてくれよ。テントから百メートルも離れた場所で食事をした意味がないだろ」

 高山が岩崎に注意した。

 三日目はこうして終了した。

 

 四日目。

 朝、高山が外の様子を確認するが、二メートル先も見えないほどの霧に包まれていた。

 本来の日程では、この日になっても停滞するようなら計画を中止し、別ルートで山を下りることになっているが、霧が濃く、行動することは危険が伴う状況だった。

 話し合うまでもなく、また停滞した。

 午後、少しでも晴れそうなら下山することを考えたが、霧はますます濃くなるばかりだった。昼とは思えないほど薄暗かった。

 トランプも飽きてきて、話題も尽きた。

 夜、早めに明かりを落とし、就寝した。

 テントの内側が霧を吸って濡れていた。テント内は強い湿気が充満し、不快だった。

 数時間後に、異変が起きた。

 最初に山口が気づき、隣に寝ていた高山を起こした。

「さっきから、足音がする。キツネじゃなさそうだ」

 眠ってはいなかったのか、全員が上半身を起こして耳を澄ます。

 重くゆっくりとした足音が、ジャリ、ジャリと音を立てる。

 時折聞こえる鼻息のような音が不気味だ。

 全員息を潜め、鼻息の主を連想していた。

 甘くすえたような独特の激しい獣臭が鼻を突いた。この臭いは羆だと高山は思った。

 どうやら、一頭だ。この時期に一頭なら、雄だ。雌なら小熊を連れているはずだ。

 誰からともなく、みんなテントの中央に集まって、身を固めた。

 そのうち、その動物がテントの布に鼻を押し付けては、激しく臭いを嗅ぐという行動を始めた。鼻の形が、内側に飛び出した。

 嗅いではテントの周りを巡り、また嗅ぐ。

 みんな、恐怖に震えながら、身を寄せて声を押し殺し、動けなかった。

 しばらくして、テントの布が内側に大きくせり出して、動物の体形が浮き上がった。

 羆だ。間違いない。全員が思った。

 せり出した羆に触れないように、全員が反対側に身を縮め、息を殺した。

 羆は木などに背を擦り付けて自分の臭いをつけ、縄張りを主張する習性があるのだ。

 見慣れないテントを見て、体臭をつけているのだろう。

 本気を出されでもしたら、羆にとってはテントなど紙風船みたいなものだ。

 悲鳴を上げそうなのを堪えながら、全員がテントを破られないことを祈った。

 羆は五分ほど鼻を押し付けることを繰り返した後、またしばらく、テントの周りを、円を描くように歩いていた。

 初級者の岩崎は、泣きべそをかいていた。

 それは明け方まで繰り返され、静かになった。全員が少し眠った。

 高山の記憶では、過去にもキャンプ場付近をうろついた羆がいた。その羆は、十日間ほど、そこに居付いたことがあった。

 羆は付近の植物を食べながら移動して行くので、しばらくは居付く可能性があった。

 高山は五人が持っている飴やクッキー、サブレ、羊羹などの行動食と水を確認した。

 行動食を十等分し、臭いが漏れないようにビニール袋に入れ、口を固く縛った。羆は犬の七~八倍の臭覚がある。

 一日一袋で、十日間持ち堪えるよう、指示した。水の量には、不安があった。

 ここでは、スマホは使えない。

 

 五日目。

 野鳥の騒がしい声で目が覚めた。

 霧は晴れていなさそうだ。薄暗かった。

 羆の臭いは、依然として、漂っていた。

 どこかで、もしくはテントのすぐ側で、様子を窺っているのかもしれなかった。

 みんな、黙りこくっていた。筋肉が硬直して動かない。長い沈黙が続いた。

 昼頃、足音が復活した。

 しばらく歩き回った後、また消えた。

 峰野が勇気を振り絞って、僅かにテントのドアを開け、外の様子を窺った。

「霧が、少し晴れている。羆もいない」

 微かに陽が差し、晴れる兆しが見えた。

 すぐに下りるべきだと主張する側と、明日まで待つべきだという側に分かれた。

 まだ、羆が近くに居るかもしれなかった。

 それに、その時間から下山を開始したとしても、登山道の途中で夜を迎えることになるのは明白だった。

 完全に霧が晴れたわけでもなかった。

 悪天候で、しかも夜に行動するのは事故の危険性が高くなる。

 高山はリーダーとして、下山を許すことはできなかった。

 数日間、恐怖にさらされて、寝不足の中、冷静な判断だったかは分からなかった。

 また、羆がやってくるかもしれない。

 高山は、持っている全てのペグを打って、テントを補強するように指示をした。

 とにかく、その日はそれで日が暮れた。

 誰も会話をしなくなった。

 恐怖からだけではなく、パーティーの考えが対立したことに大きな原因があった。

 その晩も羆は、テントの周囲を巡り、時折体を押し付けてきた。

 誰も眠らなかった。

 

 六日目。

 前日、晴れる兆しが見えたのが嘘のようだった。相変わらず霧が濃い。

 朝起きても、全員が終始無言だった。

 羆を刺激しないように、誰も行動食を食べようとしなかった。

 全員が、周囲の状況に五官を研ぎ澄ましていた。羆の臭いは薄らいだように思った。

 数時間後、森山が外に出ると言い出した。

 みんな反対した。

「様子を見るだけ、羆も今なら近くにはいないと思う。臭いもしないし…」

 森山は執拗に許可を求めた。

 周囲を見るだけで、すぐに帰ってくるのを条件に、高山はそれを許した。

 森山が霧の中へ消えて行った後、山口は高山を非難した。しかし、すぐに黙った。

 しばらくして、足音がした。

 森山の帰りを期待した高山は、テントを開けようとしたが、すぐに手をとめた。

 森山でないことは直ぐに分かった。

 獣の臭いがする。

 羆の鼻息が、今までに増して荒かった。

 すぐに体の押し付けが始まった。

 高山たちは、声にならない悲鳴を上げて、身を寄せた。

 峰野が消えそうな声で言った。

「森山はどうした?」

 誰も応えなかった。

 羆はしばらく周囲を巡ったのち、腰を落ち着かせたのか、足音は消えたものの、甘いすえたような臭いは相変わらず強かった。

 その後、羆の臭いが途切れることはなく、高山たちはテントの中で動かなかった。

 森山は帰ってこなかった。

 襲われたのだろうか? 全員がそう思ったが、誰一人口に出さなかった。

 

 七日目。

 相変わらず、霧が濃かった。

 羆の気配が消えた。どこかに行ったのか、まだ近くにいるのかは分からなかった。

 しばらくの沈黙の後、岩崎が山を下りると言い出した。

 この状況は初級者には限界だった。寝不足から目が血走って、声はヒステリックだ。

 高山が、「霧が濃いから危険だ」と説得を試みるも、岩崎は聞く耳を持たなかった。

「下りたら助けを呼んでくる。待ってろ!」

 岩崎は、荷物を持って霧の中に消えた。

 五人いたパーティーは、高山、山口、峰野の三人になった。

 羆のいない間に、小分けした行動食を食べた。火を使った食事は、臭いが出るので、できなかった。

 会話はなかった。時間だけが過ぎた。

 昼頃、外を見たが霧は晴れていなかった。

 日暮れ時に、また羆がやってきた。

 三人は中央に固まり、羆の気配に耐えた。

 湿気が多く、汗がしたたり落ちた。みんな震えていたが、なんとか声は出さずにいた。

 岩崎は下山できたのだろうか…。

 

 八日目。

 朝になっても霧は晴れなかった。

 羆の気配はしないが、安心はできない。

「下山しよう」と言う者はいなかった。

 霧の中に出て行くことを、躊躇していた。

 高山は、今までのことを、日記に書いて気をまぎらわした。この日記を持って、無事に帰りたいと思った。

 十四時ごろ、山口が狂った。

 ケラケラと笑い出し、キーッと甲高く叫んだ後、笑いながら何も持たずに、テントを飛び出して行った。

 山口は霧の中に吸い込まれて行き、笑い声だけが残った。その笑い声も、山口を追いかけるように、霧の向こうに消えた。

 峰野が静かに、テントのドアを閉めた。

「行ったな…」

 峰野が、ぼそっと呟いた。

 その夜も羆が来た。

 高山と峰野は二人抱き合って夜が明けるのを待った。

 

 九日目。

 今日も、霧が濃い。

 羆は相変わらず近くにいるようだったが、昼ごろどこかへ行った。

 中央で寄り添ったまま、少し眠った。

 霧が山の気配を消し、ひどく静かだ。

 夕方、羆の足音で目が覚めた。

 体をテントに擦り付けられると、泣き叫びたくなるが、どうにか耐えた。

 帰りたい。二人は思った。

 羆はなぜ、襲ってこないのだろう。

 

 十日目。

 朝、相変わらず霧が濃い。

 午後、薄日が差した時に、峰野が立ち上がって、高山に言った。

「今がチャンスだ。俺は出て行く」

 高山は、もう止めなかった。

 みんな出て行って、高山一人になった。

 高山は、霧が晴れるまでは、動かないと決めていた。

 羆は夜遅くに来た。

 高山の脳は凍り付き、思考が停止した。

 

 十一日目。

 やっぱり霧が濃い。

 羆はいた。甘いすえた臭いがしていた。

 

 十二日目。

 依然として霧が濃い。

 

 パーティーの登山届は、事前に警察に提出されていた為、異常事態は発覚していた。

 しかし、稀に見る悪天候に、帯広警察署は捜索を考えあぐねていた。

 その後、天候が復活し、発見されたのは、無人のテントと荒らされた荷物だった。

 高山の日記も見つかった。

 最初に出て行った森山健太は、テントから五十メートルほどのところで、腹を食われた遺体で発見された。

 喉の傷が致命傷となり、即死状態だった。

 次に出て行った岩崎岳夫は、登山道の途中で、崖から滑落した遺体で発見された。

 山口宏樹は、一キロほど離れた笹薮で、無残に食い散らされ、土が掛けられていた。

 羆は獲物に土を掛けて、隠しておく習性があるのだ。

 峰野大輔は、巻き道の崖下から、遺体で発見された。

 高山拓真は、未だに行方不明である。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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