年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

紀州南部の梅祭り2013

2013年02月16日 | 梅干

寒い日が続いて、梅の便りも聞こえず、どうなっているのかと思えばようやく国内の梅の最大産地の南紀地方が満開となったようだ。それでも今日の彦根の辺りは雪の予報が出ていて寒い2月だ。昨年も同じような天候で不作だったので今年も楽観は出来ない。今年不作だと国内産の梅は庶民の食べ物と別世界になってしまう危険がある。すでに昨年の不作で一粒が大きな梅が主流となってきている。不作のときは養分が集中し梅が大きくなる。
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奈奈様のコメントから

2012年07月10日 | 梅干

福神漬の由来を追ってゆくうちに色々な過去の人に遭遇する。知れば知るほど書けないこともあるが100年過ぎれば歴史ということで許していただきたい。ただ親族に伝わる事実は歴史と異なっていてもそれはそれでもよいかもしれない。
 鶯亭金升日記 明治35年2月1日の日記に奈良の梅干の一件の記述がある。天正4年に造った梅干である。当時堺町奉行だった長井昌言が人を遣わし、江戸への土産として所望したようだ。明治15年頃、金升の母の手箱より見つかり、明治34年にこのことを読売新聞に記事となった。翌年つまり明治35年1月31日に読売新聞の記事を見た奈良の梅干を持っていた人の子孫が鶯亭金升を尋ねたという。このことがまた2001年に記事となったようだ。
 さて長井昌言は最後から二人目の堺奉行となる。1500石という。在任期間は元治元(.1864)年11月10日から慶応元(1865)年11月10日で 決してペリー来航直後の話ではない。気になるのは大坂町奉行で急死した戸田伊豆守氏栄のことである。子孫の間では暗殺されたと思われているようだ。
 花香恭次郎は今では無名の人だが福島事件を東京で盛り上げたのは彼の存在がある。浮世絵の対象ともなる人物だった。彼は明治23年8月コレラで急死した。この当時コレラを治す手段はなく、予防にはラムネが効くと信じられていた。池之端守田宝丹の薬がコレラ用としてよく売れていた。ビー玉いりラムネのビンが輸入されコレラに効くという理由でよく売れた。砂糖入りのラムネは洗浄不十分で再利用された。次第にサッカリンという人工甘味料を使用してラムネを造るようになった。このことが日本におけるサッカリン普及の原因となった。
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梅干しの売れる時期なのに

2012年07月08日 | 梅干

今年の寒さで和歌山では梅の花が咲いた時期とミツバチの活動時期がずれたことと大風で梅は近来にない不作で紀州産の梅干しは特売禁止となってしまった。今年の暑さ次第で来年は端境期が出るという。
 品数合わせで変な商品が出ないとよいのだが無名の梅産地は販売拡張のチャンスともいえる。全国には無名の優良産地が多数ある。
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水戸の梅から

2012年06月20日 | 梅干

台風で気になった梅を調べていたら、茨城県の漬物組合のホームページ梅の石碑の記事があった。
昨年の震災で石碑が倒れる寸前までいったという。この石碑には徳川斉昭公が梅栽培を普及させた理由を書いてある。
 種梅記
予自少愛梅庭植數十株天保癸巳始就國國中梅樹最
少南上之後毎歳手自採梅實以輸於國使司園吏種之
偕樂園及近郊隙地今茲庚子再就國所種者鬱然成林
開華結實適會弘道館新成乃植數千株於其側又令國
中士民毎家各植數株夫梅之爲物華則冒雪先春爲風
騒之友實則含酸止渇爲軍旅之用嗚呼有備者无患數
歳之後文葩布國軍儲亦可充積也孟子不云乎七年之
病求三年之艾可不戒哉聊記以示後人云
天保十一年歳次庚子冬十月 景山撰文并書及篆額
大津浜事件の後、水戸藩では外国の侵略を考えるようになっていたと思われる。漬物の梅干は食料としての用途だけでなく兵食としての用途もあることをこの石碑は示している。
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西蒲田の騒動の陰で

2012年06月17日 | 梅干

日本経済新聞 6月15日夕刊
 「公正取引委員会は,紀州田辺梅干協同組合,紀州みなべ梅干協同組合らに対し,独占禁止法に違反(事業者団体による一定の取引分野における競争の実質的制限の禁止)するおそれがあるとして,同2組合に対して警告を行った。
 本件は,同2組合が,かねてから特定白干梅の購入価格等について情報交換を行っており,毎年7月頃に,その年に生産される特定白干梅について両組合の組合員が農家から購入すべき価格を決定することにより,特定白干梅の購入分野における競争を実質的に制限していた疑い。」
こんな結果となったが組合での提示価格で必ずしも仕入れる人がいないことも分かったということ。売り先がない農家にとって今後は目安となる価格がないので困るだろう。古く長い付き合いのなかで価格を下げる交渉は難しく、組合価格で下げの交渉を行っていたが今後はどのように下げの交渉を行うのだろうか。今年は梅の不作で生梅の相場がかなり高い。今度の台風でどのくらい傷のついた梅が出るかもしれない。天気も気になるが目安となる価格がなくなるのも気になる。
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玉虫色の決着とミタ

2012年06月01日 | 梅干
昨年、和歌山県梅干組合の梅干し買取り価格の件で公正取引委員会に独占禁止法(事業者団体の禁止行為)で告発されていたがどうやら玉虫色の決着となって終わった。梅干し価格が低迷し、通信販売の梅干しも減っている現状では少しの課徴金でも倒産する業者が多発すると予想されていた。
 場合によっては寡占化がさらに進み、農家が圧迫を受ける可能性もあった。公正取引委員会が調査した通り、組合の提示した価格で買い取っている業者は少ないといってよい。それぞれの梅干し加工業者は丁寧な作り方をする農家と雑な作り方をする農家とは購入価格を変えているという。農産物は工業製品と違って同一とは言いにくい部分があって認定するのは難しい。多分課徴金となっても裁判まで進み、地元にしこりが残るだろう。いい決着ともいえる。
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年度代わりの初日

2012年04月02日 | 梅干
昨年は震災後で物流の安定性を不安視し、さらに余震が続いていたので年度末に通常年は在庫を絞るのだがかえって梅干し等の賞味期限の長いものが備蓄食として売れていたので、異常な量の年度末在庫となってしまった。今年は前年と比較して在庫が少なく普通の状態に戻った。
 梅の開花もかなり遅れていたので梅の実の凍害の恐れも消え、あとは5月末から6月にかけて大風による落果が無ければ、近来にない豊作となろう。中国からの安価な梅干しも為替の問題と中国の経済の好調で日本に輸出するより、砂糖漬けの梅の販売に向かうだろう。梅の国内回帰ということになる。
 日本全国には梅の産地が数多くあるが過去の人材不足が産地力の差となっている。紀州は梅と温泉しか地場産業が無かったため、ふる里振興ということで都会に出た紀州の人達による販売努力で今の地位がある。震災で故郷を奪われた人達も東京でふる里振興という手段もある。
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みなべ町の開花情報

2012年01月28日 | 梅干
例年この時期に和歌山県みなべ町から梅まつりの案内が来る。今年も建国記念日に南部梅林でイベントがある。今年は近来になく寒く開花が遅れているようである。ミツバチの行動が盛んになる時期と開花時期のタイミングのずれは梅の作柄に影響があるという。ここ何年かの不作の言い訳は結実後に寒波がやってきて凍傷になったこと季節はずれの台風で落果したこともある。南部の梅まつりには和歌山県知事が余程の要がない限り、代理でなく出席してくる。農業地場産業としてウメボシは貴重な職場である。
 今年の関西は節電で暑い夏となりそうでウメボシで塩分補給となり、大いに売れてほしい。
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梅干人生

2011年12月20日 | 梅干
ウメボシジンセイ
NHKみんなの歌で「ウメボシジンセイ」と言う歌がある。戦争前の軍国調のウメボシの歌を今風の歌詞に変更した。
 でもウメボシの歌は歌詞の内容はショッパイ。

 築地4丁目の本社があった引き売り豆腐の『野口屋』が倒産した。あのリヤカーと引っ張って販売する方法はテレビ受けが良かったが実際はどうだったのだろうか。
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梅カルテルのコメント

2011年07月13日 | 梅干
梅カルテルのコメントは難しい。梅産地の歴史を知っているだけに共存共栄し紀州梅業界が発展した。しかしバブル崩壊と共に中国梅産地の発展により国内と比較してあまり差のない品質まで中国が追いついてきた。しかし、紀州の梅農家は業者と違って農地を海外に移転することは出来ず、原料梅を低価格に抑えられた。カルテル告発はこの不景気と中国産地の発展の結果ともいえる。
 多分公取が調べても審判は難しいだろう。標準価格リストで購入している事は少ない。農家によってかなり梅干し選別技術差あるという。
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和歌山県みなべ町立図書館で

2011年02月18日 | 梅干
和歌山県みなべ町立図書館で
梅まつりでみなべ町に行く機会があったので例によって、南部駅から200Mほどの所にあるみなべ町立図書館に行き、郷土資料を探す。
 梅に関する本は多いがどれも類似していていた。その中で『日本の課長』という本があった。みなべ町は最近(2004年)合併した町で正式には和歌山県日高郡みなべ町で以前は南部町と南部川村だった気がする。山田五良(やまだごろう) - 旧南部川村長が初代のみなべ町町長となった。これは梅の力で村長が町長となった例である。この山田町長が梅まつりの席で東京の業者のアドバイスによって今日の紀州梅産地があると話していた。挨拶の時に実名で挙げられていた人は既に故人となり、大きくなった紀州の梅業界は過当競争となり、今では価格が高騰期の半値以下となってしまった。今年の挨拶でも不景気による後継者問題が浮上しているがここで基本に帰って地場産業を育成努力した人達の歴史を振り返っても良いころである。
 山田村長時代に南部川村で『うめ課』が作られたと思うが現在のH課長に梅まつりの会場であって色々な資料をもらう約束を取り付けた。不景気は品質競争をするよりは価格競争をする方が結果は早く出る。しかし過度の価格競争は不正競争を招き、品質低下した商品を提供するようになり消費者の購入意欲を低下させる。
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梅まつり

2011年02月15日 | 梅干
内中源蔵翁頌徳慰霊祭
2月11日は毎年一目百万本の梅花をめでる事ができるという和歌山県日高郡みなべ町で梅まつりが開催される。余程突発的な出来事がなければ和歌山県知事の挨拶がある。和歌山県の地域農産物として梅とミカンが東京では知られている。あまり築地以外では知られていないのだがアユも和歌山県産が築地にはかなり入荷していて県知事自らキャンペーンを築地市場内で催していた。東国原効果で漬物の行事に各県知事が昔は代理出席であったのがどうも絵になる報道のためか、最近は代理でなく知事が出席する事が目立ってきた。後で和歌山県新宮市の人に聞いたら、昼のローカルニュースで梅まつりが放映されていたという。海外に逃げないと思われる地場産業を強化しないと過疎地かますます仕事が無くなり、活気が消えてゆく。みなべ町は最近の大規模な市町村統合を拒否し、地域ブランドを残すため、ちいさな町としたようである。2月11日現在5分咲きという。
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プラムボックス ウィルス

2011年01月21日 | 梅干
昨年日本に侵入した事が知らされた梅の病気(プラムボックス)によって、都下の青梅梅林がピンチという。このウィルスの日本国内に蔓延させないため感染した、または感染したと思われる梅の木を伐採・焼却処分するしかないという。宮崎の口蹄疫と同じような処置を取らないと産地が守られないという。伐採した後も何年か植える事は出来ず青梅の地名となった梅もよそから植え替えるとしても土壌にあるウィルスが無くなるのを確認してからだという。このウィルスを運搬するアブラムシを駆除するには焼却処分が一番確実という。プラム系の植物に共通するウィルスで日本に蔓延すると果実が実らず,梅文化に多大な影響がある。
 ところで今年の寒さは梅の花の開花を遅らせ例年ならぼちぼち日本各地で梅まつりの話が出てくるのだが梅の花のない梅まつりは寂しい。しかし、このような年は台風が異常に早く来ない限り小粒の梅が実り豊作となると古老が言っていた。昨年3月の低温障害で梅が不作となり、今年の梅商品は大粒が多く、販売しにくい。漬物販売は気候変動に左右される仕事である。
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曽我梅林の被害

2010年04月08日 | 梅干
曽我梅林の被害
今年の桜は長続きしたが7日の雨が花チラシの雨となるだろう。三月下旬のある日、築地市場にみぞれが降った。その寒さで神奈川県西部の小田原市曽我の梅園の小さな梅の実が凍結被害を受けたという。このままでだと収穫は期待できないという。国内最大産地である紀州はどんな具合だったのだろうか。
農産物の被害は他産地の常態や代替食品の状況によって、消えてゆくことがある。神奈川県三浦市の大根が一回の10月末の台風で青首大根に切り替わった。曽我の梅は県の支援があれば復活は可能だろう。
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梅干の日

2009年07月31日 | 梅干
梅干の日
夏の土用に梅を干すのが最適な梅干しです。今年の夏は天気が悪く、ビニールハウスの中で干しているでしょう。もちろんうなぎの日でもあります。7月30日に梅干を食べて難(7月)を去る(30日)という。申年の梅ということもあった。食べ合わせの悪い例で「うなぎと梅干し」があります。
いろいろ語呂合わせの日があるが次は8月21日はつけものの日、萱津神社の例大祭となる。
欲しいイベントは年金支給日の漬物販売記念品。2ヶ月無事生きたご褒美として食べる漬物。年金は死んだら支給されない。
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