安積国造神社へ
福島県郡山市・JR郡山駅から歩いて8分のところに安積国造神社がある。ここは明治の博識・石井研堂の出身地でもある。その石井の思い出から、安積艮斎の生まれた安積国造神社を訪ねました。1000円高速でしたが渋滞を避けるため、朝8時過ぎについてしまいましたが、10時から開くのを境内の掃除していた神職さんにお願いして神社の会館の4階の資料館を開けてもらいました。
エレベーターの中で若い神職さんと話しをしたところ『竜馬伝』の影響で最近ここを訪問する人が増えているという。安積艮斎は幕末の儒学者でその弟子は2000名を越える。多くの弟子の行動をみると、どちらかと言えば異国を知り、対等な国力を持とうとするように指導したと思われる。土佐藩・長州藩に弟子が多く、また土佐藩も開明の考えを持っていた人達との交友が多い。ただ忘れ去られた原因は安政の大獄時に吉田松陰を門人扱いをしなかったことにある。
二本松藩の儒者の家に生まれた服部誠一はどの様な理由があるのか安積艮斎の門人としての記録がない。しかし、一時二本松藩で教えていたので藩士に多くの弟子がいるので間接的に艮斎の弟子ともいえる。
安積艮斎資料館の中に和算の資料があり、緯度経度を測る六分儀があった。何を意味するのだろう。内田五観(弥太郎)という名前もあった。
安積艮斎は渡邊崋山、高野長英等の洋学者とも交わっていて、洋学者のネットワークが結果として福神漬の資料探しの中に現れて来る。
福島県郡山市・JR郡山駅から歩いて8分のところに安積国造神社がある。ここは明治の博識・石井研堂の出身地でもある。その石井の思い出から、安積艮斎の生まれた安積国造神社を訪ねました。1000円高速でしたが渋滞を避けるため、朝8時過ぎについてしまいましたが、10時から開くのを境内の掃除していた神職さんにお願いして神社の会館の4階の資料館を開けてもらいました。
エレベーターの中で若い神職さんと話しをしたところ『竜馬伝』の影響で最近ここを訪問する人が増えているという。安積艮斎は幕末の儒学者でその弟子は2000名を越える。多くの弟子の行動をみると、どちらかと言えば異国を知り、対等な国力を持とうとするように指導したと思われる。土佐藩・長州藩に弟子が多く、また土佐藩も開明の考えを持っていた人達との交友が多い。ただ忘れ去られた原因は安政の大獄時に吉田松陰を門人扱いをしなかったことにある。
二本松藩の儒者の家に生まれた服部誠一はどの様な理由があるのか安積艮斎の門人としての記録がない。しかし、一時二本松藩で教えていたので藩士に多くの弟子がいるので間接的に艮斎の弟子ともいえる。
安積艮斎資料館の中に和算の資料があり、緯度経度を測る六分儀があった。何を意味するのだろう。内田五観(弥太郎)という名前もあった。
安積艮斎は渡邊崋山、高野長英等の洋学者とも交わっていて、洋学者のネットワークが結果として福神漬の資料探しの中に現れて来る。