年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

二本松で何が

2010年05月09日 | 福神漬
歴史読本 第49巻 第10号 通巻779号 2004年10月
二本松藩 最後の藩主夫人 丹羽久子 戦火からの逃避ルートをたどる
戊辰戦争の中で二本松藩は藩主婦女子を篭城させず、米沢に逃避させる方針を採った。
丹羽久子は天保7年(1836)3月に大垣藩主戸田采女氏正の息女として生まれ、明治33年死去した。嘉永元年二本松藩主丹羽長国と婚約、嘉永6年4月成婚。結婚時長国は19歳・久子は17歳であった。この結婚後間もなくペリー来航があって、大垣藩は浦賀に警備の出陣等があって忙しかっただろう。
 戊辰戦争で西軍の先鋒となっていた大垣藩は二本松に密使をおくり、藩主夫人久子を大垣に連れ戻そうとしたが夫人に断られた。また維新後長女舞子に養子を迎え、二本松藩を維持した。東京の生活で二本松藩の交渉役であった服部誠一とはどの様な交流があったのだろうか。ここに戸田家によってその縁者の花香恭次郎が服部誠一の公益問答新聞社へ就職した事が想像できる。
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