年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

贈答品文化

2020年09月28日 | 宅老のグチ
 1980年頃だったと思うが暮れに歌舞伎座に出演している端役の人が座長に贈答するため、広島県名産の広島菜(日本三大菜・高菜・青菜―東北・山形)を求めに築地市場の会社にやってきた。これは当時個人向けの冷蔵便が無くて、広島の漬物業者に聞いてやってきたようだ。勝鬨橋のたもとに日本冷蔵勝鬨工場(今はニチレイ本社)があって、地下通路の隙間に広島菜が冷蔵されていた。
 荷物の受け渡しの間の雑談で彼らも公演の端役確保で使い走りをしているという。どんな仕事も末端はいつ仕事を失うか恐れているようで華やかな世界の怖さを知ってしまった、今コロナで全ての演劇関係者が無職の状態であるが先の見えない今不安だろう。命があればなんとかなることを歴史は示しているが、この戦後の不幸な時を若い人は教えてもらっていない様だ。
  • 歌舞伎座12月大川橋蔵特別公演(1967年~1982年)
  • 1976年1月20日「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」というコンセプトの商品『宅急便』が誕生したのでした。ただ始まりは低温流通便が無かった。1987年よりク-ル便が始まる。 
  • 江戸時代の日本は比較的に平和だったため、贈答品の記録が残っている。
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