1週間以上前の古新聞になってしまいました。先週末の木更津散策の最後の記事となります。八剱八幡神社の次に訪れたのは證誠寺です。證誠寺は狸ばやしの伝説が残る木更津市で唯一の浄土真宗のお寺です。
證誠寺のHPから抜粋します。
江戸時代の初期(17世紀中頃)に證誠寺は誕生しました。初代住職の了念は、実弟と共に鎌倉より川﨑を経て陸路当地に到着、この矢那川河口の地を選び、この地域に初めての浄土真宗のお寺を建てました。江戸時代の当寺は寺子屋で、大人も子供も大勢が勉強に来ていたようです。師匠であった住職を偲んで生徒である筆子達が建てた筆小塚が、境内にひっそりと建っています。また、五昼夜連続の雅楽演奏による音楽法要が行われるなど、地域の人たちに大変なじまれ、心のより所になっていたものと思われます。
当寺には、開基間もない頃から狸ばやしの伝説があります。萩や薄の咲き乱れる境内で、中秋の名月に照らされながら、住職と大小百匹ばかりの狸が一緒に、「證誠院のペンペコペン、己等(おいら)の友だちゃドンドコドン」と歌いつつ、幾晩も楽しく踊ったと伝えられています。
證誠寺の狸塚の説明板がありました。狸塚の伝説がもとになり野口雨情により狸ばやしの童謡が生まれ、中山晋平の作曲により天下に広まりました。
證誠寺の境内図です。
童謡碑、狸塚、句碑、筆子塚の説明板です。
近くに咲いているのはエゴノキでしょうか・・・
向かって右側には立派な鐘楼がありました。
まずは童謡碑です。明治38年、当寺門徒の松本斗吟氏が地元の郷土史『君不去』に狸ばやしの伝説を紹介、大正時代に当地へ講演に訪れた野口雨情先生がそれをもとに作詞、中山晋平先生が作曲し、昭和の初めに大ヒットしたのが、童謡「証城寺の狸ばやし」です。
童謡「証城寺の狸ばやし」が大ヒットしたことを記念して、昭和4年に狸塚が、昭和31年に童謡碑が建てられました。
童謡碑の前には楽譜が彫られています。
狸?の置物の先に見えるのは筆小塚。
狸塚にやってきました。
狸の置物の表情が可愛いい。何だかトトロみたいですね。横になった狸のような形の石に彫られた「狸」の字は、雅号を”狸庵" と称し狸の愛好家として知られた政治家 中橋徳五郎氏によるものと説明にありました。
こちらも狸でしょうか・・・
狸塚の先には光輪堂。納骨堂です。
こちらは本堂です。
家紋は五三の桐。そして賽銭箱には ”千社札は貼れません" 掲示されています。無断で貼っていく人が後を絶たないのでしょうか。鐘楼入口にも同じ掲示がありました。
木更津市のHPによると、毎年10月の第3土曜日に證誠寺で「狸まつり」が催されるそうです。市内の児童が独特の衣装とメイクで大狸、小狸、和尚さんに扮し、おなじみの童謡にあわせておもしろおかしく踊る、何とも微笑ましいまつりで、県内外から文学愛好者を始め、多くの見物客が訪れるそうです。