東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業50年を迎えます不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

兵庫へ行ってくる・当日編

2017年09月11日 10時01分01秒 | ひとり旅の話

指折りがグーになったので、本日終業後に羽田空港へと迎う。

6月の佐賀以来、今年2回目のひとり旅の行き先は兵庫県である。兵庫へは2009年8月に家族旅行で、2014年8月には熊本1600kmドライブでも訪れたことがあるが、これまでなかなかじっくりと訪れる事は無かった県のひとつである。今回の目的は「明延鉱山」と摩耶山にある「摩耶観光ホテル」の廃墟見学であり、三ノ宮にホテルを予約した。

電車でのアクセスが悪い事もあり、今回で12回目を迎えるひとり旅で初めてレンタカーで移動することにした。羽田空港での出発ビールやランチビールが楽しめないのは残念だが、これまでの公共機関とは異なり、自由に広範囲で動けるのであれこれ調べているうちに、日本のマチュピチュ・竹田城跡や世界遺産・姫路城、明石焼き、明石海峡大橋が移動途中にあることが判明し、すっかりパンパンなスケジュールをどう調整するか?頑張れば2015年に訪れることが出来なかった和歌山県の友ヶ島まで足を伸ばす事も出来る。平日は島への就航はしていないが、本島側にも砲台跡があるらしい。また梁瀬駅は明延鉱山からすぐ近くなので、3年ぶりに挨拶は必要であろう。そしてひょんなことから関西大学へも訪問予定である。何故?大学?それはまた後日ってことで・・・ 

この時期の旅では台風を気にした事はあるが、まさかミサイルを気にしなければならないとはね・・・

【明日9/12(火)~9/13(水)は当社連休となります】

【本日はYの誕生日。いつもいつも本当に有難う。ただただ感謝です

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熊本・佐賀へ行って来た・後編

2017年06月24日 10時10分30秒 | ひとり旅の話

吉野ケ里公園駅から3駅11分で佐賀駅到着。ホテルにチェックインして佐野常民記念館を目指すため自転車を借ると、フロントで「車で15分掛かりますが・・・」と怪訝そうな顔をされる。そうなると逆に燃える天邪鬼はペダルを元気よく漕ぎ始めるが・・・途中で道に迷った事もあり、結局1時間近くも掛かってしまった・・・

佐野常民(さのつねたみ)とは・・・佐賀の七賢人の一人、は、幕末から明治の先駆者として、政治、産業、科学、芸術などの様々な分野で活躍した人物で、特に西南戦争の時、博愛社(日本赤十字社の前身)を設立し、現在では、「日本赤十字社の父」と呼ばれています・・・とのこと。

常民(つねたみ)を「じょうみん」と呼んでいた私・・・

記念館に併設されている三重津海軍所跡は一昨年世界遺産に登録されたのだが、何も無い空き地をVRゴーグルで覗くと言うシュールな内容が話題になっている場所である。何も知らなければこの空き地が世界遺産に登録されたなんて分からないだろう。

三重津海軍所跡・・・1858年に佐賀藩が御船手稽古所(おふなてけいこしょ)を置いたのが始まりで、佐賀藩が海軍の教育や洋式船の運用をしていました。1865年には、日本初の実用蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」の建造に成功しました。この場所からは、発掘調査により遺跡として現存する我が国最古の船渠(ドック)が確認されました。造船の近代化を示す貴重な遺産であり2015年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました。現在、佐野常民記念館では「三重津タイムクルーズ」と称した、当時の様子をイメージしたCG映像を通して約160年前の三重津海軍所を体感できます。

記念館を後にし、さらに東へとペダルを漕ぐ。次に目指すは筑後川昇開橋である。

筑後川昇開橋とは・・・筑後川に掛かる世界有数の昇降式可動鉄橋で国指定の重要文化財。全長は約507メートルで、その建設には大変な苦労があったと伝えられている。昭和62年に国鉄佐賀線が廃線 平成8年に筑後川昇開橋遊歩道として開通した・・・とのこと。

そもそも橋の形状に興味があったのだが、実際訪れてみると橋から旧国鉄「佐賀線」の廃線跡を利用した平坦で直線を基調とする全長約5kmの徐福サイクリングロードが佐賀市内に向かい伸びていることを知る。

これが実に気持ち良く、ずんずん進んで行く。しかし・・・電動アシスト自転車ではなく、次第にペダルが重くなっていく・・・出発から約3時間掛けてようやく市内に到着。佐賀城のお堀で一服しながら地元高校生と会話を楽しむ。そして倒れ込むようにホテルに戻り、小休止。19時半を過ぎてもまだ明るい佐賀の美しい夕陽を県内で一番高い建造物から眺めながら、ご褒美に佐賀牛とビールを頂く。

やたら疲れたな~と思い、本日の歩数を確認すると・・・恐らく自己記録を大幅に更新する3万越えの数字を見て、さらに疲労感が重なり、佐賀ナイトもそこそこにホテルに帰った。

そして最終日は佐賀バルーンミュージアムを見学。佐賀市で毎秋アジア最大級のバルーン大会「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」を開催されているほど、佐賀はバルーン熱が高い地域なのである。

そして昼前に佐賀駅から昨年末にも乗車した特急ハウステンボス号で博多駅へと向かい(4駅41分)、福岡空港から東京に戻った。私のひとり旅史上初の三県またがり旅であった。空港まで迎えに来てくれた息子の運転で帰宅し、泥のように眠ってしまった。それから数日間は疲労が残っていたものの、51歳になっても疲労困憊になるほど遊べる自分はなかなかだなと誇らしくも思えた。さて次はどこへ行こうか?いや、もうすでに二県に絞られている。(おしまい)

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熊本・佐賀へ行って来た・中編

2017年06月23日 09時45分34秒 | ひとり旅の話

熊本駅から九州新幹線で5駅36分で新鳥栖駅到着。長崎本線に乗り換え3駅で吉野ケ里公園駅に11時過ぎに降り立つ。駅前に広がる田園風景の中を約15分ほど歩いて吉野ケ里歴史公園に到着。

吉野ヶ里遺跡とは・・・紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた日本の文化の原点ともいえる時代です。弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼(かんざき)町・旧三田川(みたがわ)町・旧東脊振(ひがしせふり)村の3つの町村にまたがった我が国最大の遺跡で、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。 

とにかく広大な園内なので、入口でマップを貰い、スタッフさんにおススメの見学ルートを訊ね、約60分程度で回れる「ひみかのみち」ルートを弥生人気分で歩き出す。

展示室で歴史を学び(ちなみにビデオは約30分もあり途中で退席)、南内郭・北内閣で竪穴式住居や物見やぐら、甕棺墓列・北墳丘墓を見学し、園内無料バスに乗り込み、入口まで戻った。

戻る途中で車窓から高床式住居を発見。何故か「高床式住居=ねずみ返し」の記憶だけは小学生の鮮明な記憶が残っており、興味津津であったのだが、この時点で空腹と軽い疲労の為、ねずみ返しの見学は諦め、入場口付近で降り、佐賀駅を目指して駅へと戻った。(つづく)

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熊本・佐賀へ行って来た・前編

2017年06月22日 10時12分59秒 | ひとり旅の話

熊本空港からリムジンバスで通町筋で下車し、熊本一の繁華街「下(しも)通り」を通り、今回初めて泊まるホテルにチェックインし、荷物を置いて20時に馴染の店で友人と待ち合わせる。12回目の熊本となれば庭のようなもので、さらに不動産屋の抜群の方向感覚が加わり、熊本市内を地元民のように歩ける。そして先に入店していた友人と再会の乾杯。馬刺しをつまみつつ、グラスを重ねる。

(中略)来月の上京を楽しみに2時近くに友人と別れる。

翌朝少し痛む頭で熊本城の復興状況を確認する。城内には入れないので、(係員さんから教えて頂いた)天守閣を一番近くで見れる加藤神社から眺める。重機の音がひっきりなしに聞こえて来る。私の好きな宇土櫓はかろうじて原型を留めていたものの、周りの石垣は無残な状態だった。

城内の各地に番号の付いた石が並べられていた。これは特別な史跡の石垣を旧来の位置に戻す為、崩落した石の位置を記録し、番号を付け、台帳を作成し、石材照合、積み直し・・・と気の遠くなる復旧作業が行われていると知る。

複雑な気持ちのまま熊本城を一周して、ホテルに戻りチェックアウトをして路面電車で熊本駅へ向かい、九州新幹線で佐賀を目指す。

とにかく、がまだせ!熊本!(つづく)

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12回目と11回目

2017年06月12日 09時44分14秒 | ひとり旅の話

本日で指折りがグーになったので、今夜から今年初めてのひとり旅に出掛ける。

行き先は数えること12回目となったすっかりお馴染の熊本である。熊本へは昨年3月以来なので、昨年4月の震災後初めての訪熊である。ひとり旅と言っても今夜は熊本で友人と会うので、ひとり旅の始まりは翌朝からで熊本から佐賀へと向かう。2010年9月の徳島から始まったひとり旅も今回で11回目を迎え、数年前から「年2回」をひとり旅のノルマとしたものの、気が付けば6月の始動となってしまったことは反省である。

佐賀へは一度福岡に転勤していた友人に呼子へ連れて行って貰ったが、そのままトンボ帰りだったので吉野ヶ里遺跡を始め、あれこれじっくりと佐賀を堪能してこようと思う。

そして最終日は昨年末以来の福岡から帰るので、状況により佐賀をさらに満喫するもよし、映画「グッバイ・エレジー」の舞台となった小倉まで足を伸ばしてもよし、愛すべき博多の街を散策してもよし・・・といつもながら足の向くまま、気の向くまま、勝手気ままなひとり旅である。ちなみに佐賀を訪れると、私にとって九州は残すところ宮崎のみとなる。ちなみに私が訪れたことになる基準は「その街で飲んだ」がである。

【明日6/13(火)~6/14(水)は当社連休となります】

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岡山・広島へ行って来た~番外編(方向感覚)

2016年10月19日 09時00分00秒 | ひとり旅の話

【本日は連休最終日。予約投稿にて】

新倉敷から岡山に戻り、ホテルでひと休み。

今回最終日が早朝5時起きで、岡山駅前からリムジンバスで岡山空港へ向かうため、前回の東口ではなく西口の駅前ホテルに連泊していた。シャワーを浴び、大将の店へ向かったのだが、新倉敷散策でかなり疲労困憊だったので、タクシーに乗った。一度訪れれば大抵の街は迷わず歩けるほど、方向感覚には自信があったので、大将のお店のある繁華街の大きな交差点で降り、迷うことなく交差点を渡り、慣れた足取りで進んで行くが・・・店がない嘘ぉ~とスマホで検索するが、自分自身が現在この交差点のどの角にいるのかさえ分からず、ほろ酔い親子に道を訊ねると、全く逆側に進んでしまったようで、タクシーで降りた目の前にお店はあった・・・

この日は結局何回道を訊ねたんだろう?岡山県民の皆様、この度(旅)は大変御面倒をお掛け致しました

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岡山・広島へ行って来た~番外編(道案内)

2016年10月18日 09時00分00秒 | ひとり旅の話

【本日は連休初日。予約投稿にて】

新倉敷で地元のおば様に道を訊ねた時、「パチンコ屋のウイングがあるので、そこを右に曲がって・・・」と地元の方言で親切に教えて頂いた。

ウイング、ウイング・・・と心の中で唱えながら歩いていると、すぐ近くにパチンコ「キング」が見つかった。おば様の説明よりもかなり近い、いや近過ぎるが、もしかして聞き間違えなのか?と疑心暗鬼のまま、とりあえず通り過ぎる。そしてしばらく歩くがパチンコ屋さん自体が見つからず、やっぱりキングだったのか~と思っていると、ぽつりとウイングが見つかった・・・こりゃ、結構遠いや・・・

【往路】

ただ私の中では、かなり遠回りした気がしたので、東京に帰ってから地図で確認したところ、迷って訊ねた結果、約3160mだったが、帰りはちゃんと確認して迷わず駅に向かったものの約3030mと思ったより大差がなかった。やはりいつでも知らない道は長く感じるものなのである。

【復路】

ちなみに途中で訊ねた女子高校生さんが「歩きですか?遠いですよ」と教えてくれ、「どれくらい掛かりますか?」と訊ねると「う~ん自転車で『3~4分』」と実に微妙な回答をしてくれたのがとても面白かった。

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岡山・広島へ行って来た~後編(広島編)

2016年10月17日 09時51分09秒 | ひとり旅の話

新幹線で岡山からわずか30分ほどで広島到着。

広島駅は構内から駅前まで赤、赤、赤一色で、赤いユニフォームを着用したカープファンたちと一緒に「もしかしたらジャイアンツ戦にならないかな~」と淡い期待と共にマツダスタジアムまでを歩く。入場してすぐコンコースで広島のおじ様と2年ぶりのご対面。この日の為に福岡から駆け付けたご友人ともすぐに意気投合し、三人で再会とカープ25年ぶりの歓喜に祝杯を上げる。16時になると着席可能となり、靴を脱いで鯉桟敷に座りながらも会話が弾む。そして何杯目かの祝杯の後、おじ様のゲン担ぎでカープうどんを食べる。 

話に夢中になり、なかなか球場に目をやることが出来なかったが、夕暮れの球場に照明が灯り、おじ様おススメの天然芝が実に綺麗に映える頃、いよいよプレイボール。

そして次々とおじ様ファミリーが集結して、8名全員が揃ったところで記念撮影。

もちろん私はジャイアンツのビジター用ユニフォームを着用。完璧に浮いているぜ・・・

おじ様の奥様(自称38歳)から広島名物「むすび・むさし」のお弁当の他、息子さんからもおつまみ、お酒など次々と御馳走になってしまった。恐縮・・・

試合中にも関わらずついつい話に夢中になってしまい、気が付けば21時前に試合終了。で?何対何だったの?

大混雑する駅へと向かう帰り道。新幹線の時間の為、私は途中で別れた。23時近くに岡山駅に到着し、翌朝5時に起床、9時30分の始業時間には何とか間に合ったが、その夜はさすがに泥のように眠ってしまった

Hさん、たくさんのお心遣い有難うございました。また奥様を始め、息子さん、お嫁さん、お孫さん、お友達も実に素敵な方たちばかりでした。みなさんのおかげで楽しい野球観戦でした。来年のクライマックスファイナルは東京ドームでカープを向かい撃ちますので、皆さんと東京での再会を楽しみにしています。

明日から「番外編」を四日間連続掲示予定です。

【おまけ】 球場で元タイガースの桧山氏を発見し、記念撮影。とても感じの良い方だった。

【明日10/18(火)~10/19(水)は当社連休となります】

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岡山・広島へ行って来た~中編(吉備津・津山編)

2016年10月16日 10時07分24秒 | ひとり旅の話

新倉敷駅から約30分で岡山駅まで戻り、ホテルでシャワーを浴び、前回お邪魔した小料理屋さんに向かった。店内は早い時間にも関わらず満席で、予約しておいて良かったと、指定したカウンター奥の席へと腰を下ろす。大将におまかせで注文し、料理が運ばれて来るまで、ビールでのどを潤す。フルーツトマトから始まり、刺身、はまぐりと続き、リクエストしておいた黒毛和牛のねぎ塩昆布。正直これを食るのが最大の目的だったが、今回もしみじみ美味しいな~とひとり呟きながら口に運ぶ。

大将に別れを告げ、「心残りリスト」のひとつである「焼きあご出汁」のペットボトルをホテルへの帰り道で購入。自販機がなかなか見つからずに夜道をウロウロしてしまった。

岡山二日目の朝。岡山駅から吉備線で15分移動し、桃太郎伝説のモデルとされる吉備津神社を目指す。

長~い渡り廊下である廻廊に惹かれて訪れたのだが、時間がなく廻廊だけを見学してすぐに駅へと戻った。岡山駅から津山線に乗り、約1時間で津山駅到着。「津山まなびの鉄道館(旧津山扇形機関車庫)」を見学。現存する機関車庫の中では二番目の規模を誇るそうで、どの角度から撮影してもどうしても全部が収まらないほどの規模であった。

見学後、津山城をチラ見して、時間が無かったので今回はB級グルメグランプリで有名な津山ホルモンうどんはお預けとなった。心残りリストに追加しておこう。帰りは快速では無かったため、約1時間半掛けて岡山まで戻り、新幹線に乗り込んだ。そしていよいよ広島入りである。

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岡山・広島へ行って来た~前編(玉島編)

2016年10月15日 10時17分03秒 | ひとり旅の話

当社連休初日の火曜日午前中の羽田空港。普段の連休前夜の空港とは違い、午前中の空港はまた違った趣がある。

広島のマツダスタジアムに向けて、「岡山」行きの便に乗り込む。ん?岡山?今回の目的はもちろんマツダスタジアムでのCSファイナル観戦であるが、試合は水曜日の為、試合後に東京に帰るのが難しく、翌朝木曜日の始発便で東京に向かわなければならなかった。ただ広島空港の始発だと9時30分の当社始業時間に間に合わず、色々と調べた結果、岡山空港だと間に合う事が判明。広島まで新幹線で約30分というアクセスなので、4ヶ月ぶりに岡山へ「戻る」ことにした。

岡山空港に到着後、リムジンバスで岡山駅に到着。ホテルに荷物を預けて、前回やり残したことのひとつで倉敷市の思い出商店街~玉島通町1丁目商店街へと向かう。倉敷観光WEBには・・・230mも続く長いアーケードは昭和ムード満点!パチンコ「思ひ出」の電飾看板や「東映」の映画館跡が、当時の賑わいを感じさせます・・・と書いてあった。

岡山県倉敷市の西部に位置する港町「玉島」はかつては四国航路の要所で、備中松山藩の藩港として栄え、映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地にもなった昔ながらの面影を残す街である。私がこの商店街を知ったきっかけは、前回岡山を訪れた際にたまたま見つけたもので、商店街の入口の画像を見てからずっと恋い焦がれていた。そして今回岡山再訪に際し、「岡山・心残りリスト」の一番としてここを選んだ。出発前に改めてあれこれ検索すると、この商店街の和菓子屋さんの娘さんがガイドをしてくれるとの情報を得て、事前に予約した。

新倉敷駅に到着し、歩き出す。「車で約10分」と書かれていたが、方向は大体分かっていたので、そのまま歩き出すが、それらしき雰囲気は一向に出て来ない。途中で道を訊ねると、口々に「徒歩だとかなりある」とのことだったがこの時点で結構歩いてしまったので、ここからタクシーに乗るのも・・・と教えられた道順に従ってまた歩き出す。ただ教えられた道がどうも皆さん微妙に違うので、途中から迷い出しながら歩くこと約40分。ようやく商店街の入口が見えた時には、つい声を上げてしまった

【私が撮影して加工】

そして商店街内の和菓子屋さんで娘さんと笑顔のご対面。ガイドさんは各店主さんと引きあわせてくれ、各店舗(今回はお好み焼屋さん、化粧品店さん、呉服店さん、金物屋さん、自転車屋さん)の店主さんから玉島の歴史を教えて頂いたり、各店の昔ながらのお宝を見せて頂くスタイルだった。皆さん、仕事の手を止めてまで色々とご親切に説明してくれ、興味深く耳を傾ける。中でも「昭和40年代頃の自転車(それも新品)」が飾られており、ぴったり世代の私はブザーの形を始め、食い入るように見つめてしまった。

ガイドの途中で商店街を見上げる度に懐かしい看板を次々に発見する事が出来る。

ついついシャッターを押す指が激しく動いてしまう。

そして商店街の空きスペースを利用して、懐かしのおもちゃが展示されている「思い出館」は、私の子供時代そのままの展示品が数多くあった。またそれらの展示物のほとんどは店主さんから持ち寄ったものらしい。

【ガラスケースの上に数々の商品が並べてあったな~】

約350年前に港町として栄えた面影が至る所にある一方、改装されてしまった店舗や入口横のパチンコ店「思ひ出」はすでに空き地になっていた。これは時代の流れであり、よそ者がとやかく言うことではないが、少しだけ残念であった。最後に和菓子屋さんに戻り、お茶をお菓子を頂戴する(こちらの和菓子が実に絶品)。ご両親も笑顔で歓待して頂き、最後に皆さんと一緒に記念撮影をして別れた。いや~何とも素敵な人達ばかりだったな~としみじみしながら、教えられた道順で新倉敷駅に約30分で到着した。

ガイドをして頂いた娘さんを始め、ご両親、商店街の店主の皆様、本当に有難うございました。

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岡山へ行って来た・おまけ2編

2016年07月01日 09時37分58秒 | ひとり旅の話

岡山には路面電車が走っている。

そう言えば私のひとり旅には路面電車がよく登場するな~と思ったら、鹿児島・熊本・長崎・愛媛広島・そして岡山の6県をひとり旅で訪れていた。帰ってから調べてみると現在日本には16都道府県で19本が走っており、ひとり旅ではないが本ブログにも高知神奈川(江ノ電)東京(荒川線)がすでに登場しており、残すところ10本である。こうなったら残り大阪・京都・福井・滋賀・愛知・富山(3路線)・北海道(2路線)を制覇しちゃおうか?と思う。

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岡山へ行って来た・後編

2016年06月30日 09時29分21秒 | ひとり旅の話

岡山最後の朝を迎えた。倉敷美観地区で9時30分からのガイドに間に合うように岡山駅から山陽本線で倉敷駅を目指す。わずか16分で到着するが、同時に小雨が降り始めた。10分ほど歩くと倉敷美観地区に到着。観光案内所でガイド(無料)を申込み、おば様と私の二人の参加者と女性ガイドさんと一緒に見学開始。

まるで映画のセットのような街並みを歩きながら、「倉敷を語るには大原さんの存在は欠かせない」とクラボウ(倉敷紡績株式会社)の創業一族の大原家の功績、人柄等を中心にガイドが始まる。これだけの財力とキップの良さそして大原美術館と児島虎次郎との関係等・・・とても興味深い内容だったのだが・・・

一緒に参加したおば様が実に疎ましかった・・・最初に会った瞬間から嫌な予感はしていた苦手なタイプのおば様で、ストレートな物言い、ガイドさんの説明を遮る質問、説明を聞いていない・・・と言うまあまあいるっちゃいる典型的な嫌われおば様で、最初こそ大人の対応を心掛けていたが、次第に景色が目に入らなくなり、耳から苛立ち始め、「美観地区だから、建築・改築が制限されていると先程ガイドさんが説明してくれましたよ」と物凄い汚い言葉で吐き捨てたくなる気持ちを必死に抑える。

ガイドさんの説明はとても興味深く面白かったのだが、90分の終了と共におば様から解放される喜びが上回り、逃げるようにその場を離れた。もうこの頃になるとすっかり疲労困憊で、時間的には新倉敷の玉島へも行けたのだが、そのまま岡山まで戻り、ホテルに預けた荷物を受け取り、遅めのランチ(ビール付き)をして、空港へと向かった。リムジンバスでも帰りの便でも熟睡してしまい、空港に迎えに来てくれた息子の車が実に有難かった・・・まだまだ見ていない場所がたくさんある岡山は再訪の可能性があるな~

ちなみに岡山空港でお土産を購入しようとしたが、キオスクサイズの売店しかないので、お土産は市内で購入されることをおススメします。(明日はおまけ編2)

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岡山へ行って来た・おまけ1編

2016年06月29日 09時00分00秒 | ひとり旅の話

【本日は定休日。予約投稿にて】

岡山の繁華街で変わった自販機を発見した。

「焼きあご入りのだしのペットボトル(650円)」

買う勇気は無かったけど・・・今となってはちょっと後悔・・・

 

桃太郎推し岡山には至る所に銅像が立っていた。

お供を全員コンプリートしたものの肝心の桃太郎が実に微妙だった・・・

 

お店でアルコールを注文するとついてくるおつまみ。

何故かマカロニやパスタを揚げた(炒った)おつまみをよく見掛けた。

おつまみだけでもその地域性が実に面白い。 

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岡山へ行って来た・中編

2016年06月28日 09時34分39秒 | ひとり旅の話

貸切のバスで山道を下って行くと、雨が次第に激しくなってきた。途中で下校する生徒さんが乗り込んで来たが、またすぐに貸切になった。気が付けばすっかり雨も上がり太陽が差し込んでいた。終点の高梁駅まで戻らず途中下車して、美観地区から事前に入手しておいた映画「バッテリー」のロケ地マップ片手に散策開始。城下町は歩くだけで何だか清々しい。すぐに主人公の自宅と思われる建物を発見。

ただ一回しか観ていないのでとりあえず撮影して、ちょうど下校途中だった高校生に正解の確認した。

その後ロケで使用された武家屋敷を通る。

「こんなシーンあったかな?」と再び高校生を捕まえて確認するが、彼らもよく分からなかったようで、東京に戻ってから再確認した。

【このシーンだったのね】

それにしてもこんな素敵な街並みを通って通学するなんて羨ましい限りである。そのまま美観地区まで戻り、栄町商店街を通過して、備中高梁駅に到着。約2.2kmの散策後、駅前の喫茶店で一服して、18時05分発の特急やくもに乗り、岡山へと戻った。よく歩いた一日だったが、傘要らずで大満足の一日であったものの、次第に足が痛み始めたぜ・・・

ホテルに戻り、汗を流し、ひと休みしてから美味しいと評判のお店で岡山ラストディナー。

現地野菜の「黄ニラ」「ふくとま」を始め、「塩コンブ」を乗せた黒毛和牛等がとても美味しく、ビールが進み過ぎてしまい、ほろ酔いのまま、ベッドに倒れ込む。気が付けば明日でもう岡山も最終日である。 (つづく)

【明日6/29(水)は定休日となります。明日予約投稿にて「岡山へ行って来た~おまけ編1」を掲示予定】

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岡山へ行って来た・前編

2016年06月27日 09時36分19秒 | ひとり旅の話

18時の終業後、新小岩駅から羽田空港へと向かう。やはりこの時間が一番楽しい。浜松町でモノレールに乗り換え、まだ陽が高い街並みを高揚感と共に眺める。新小岩から1時間足らずで空港に到着し、573kmの距離を1時間余りで私を初の岡山に運んでくれる。リムジンバスで30分ほど走ると岡山駅に到着、22時近くにようやくホテルにチェックイン

翌朝7時に起床し、日本三名園のひとつ岡山後楽園まで散歩。手入れの行き届いた広大な庭園にただただ感動。そして庭園に感動する自分にもまた感動。時間の関係で岡山城はチラ見して、今回のメインイベントである吹屋ふるさと村を目指す。

出雲行きの特急やくもに乗り込み、岡山駅から30分で備中高梁駅到着。この「高梁(たかはし)」という地名が、妻の旧姓の一文字と私の苗字の梁との組み合わせだったので何かご縁を感じつつ、バスに乗り込む。ちなみに備中はびちゅうではなく「びちゅう」と読む。

駅前でバスに乗り込む。出発時に数名乗っていた乗客も30分も経つと貸切になり、アクロバットなドライブテクニックを見せつけるように細い山道をグングン登って行き、約1時間で標高550mの山間に忽然と現れる吹屋ふるさと村に到着。終点のバス停で事前に申し込んでおいたガイドさんと笑顔でご対面。

吹屋ふるさと村とは・・・赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産。豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想・・・(高梁市観光ガイドホームページより)

 

ガイドに参加したのは私ひとりだったこともあり、山上社、「近世ベンガラ商家の典型」旧片山邸(本片山)、郷土館(片片山)と順番にとても親切にゆっくりと分かり易く説明して頂き、気が付けばガイドの時間を30分以上も延長して頂いていた。長崎の軍艦島といい、愛媛の別子銅山といい、栄枯盛衰の歴史はいつも儚くも美しいものである。そして映画「八つ墓村」の広兼邸は徒歩で1時間ほど離れていると知り、愕然としているとガイドさんが営業日外にも関わらずわざわざレンタルサイクルを手配して頂いた。Tさん、何から何まで本当に色々と有難うございました。

電動自転車にまたがり、銅山とベンガラの原料であるローハ製造で巨大な富を得て築かれた広兼邸を目指すもののアップダウンが激しい山道で、自転車のバッテリーが悲鳴を上げる。20分ほどで広兼邸に到着。個人邸とは思えないお城のよう石垣に圧倒されつつ、山本陽子は出迎えてくれなかったがショーケン気分で入館。

ただバスは平日わずか行き帰り共2本しか出ておらず、私は15時45分の最終バスに間に合うように、途中にあるベンガラ館を捨て、笹畝坑道だけを見学し、再びふるさと村へと山道を登る。平成24年に閉校するまでは現役最古の木造校舎だった旧吹屋小学校は平成32年3月まで改修工事の為、シートが被っていて見学は出来なかったが、それは4年後のお楽しみにしよう。

自転車を返した後、バス出発時刻までメイン通り沿いの喫茶店で吹屋出身で吹屋小学校卒のママさんとあれこれ話しこんでいたら、あっという間にバスの時間となった。

ママさんに見送られる直前に雨が降り出しした。やっぱり晴れ男なんだな~と思いつつ、私以外誰も乗っていないバスに乗り込み、素敵な吹屋の街並みとお別れした。(つづく)

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