作詞家の阿久悠が尿管がんのため亡くなった。享年70歳。
彼は言わずと知れた大作詞家で生涯作詞した曲は5000曲以上、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、「雨の慕情」(八代亜紀)は日本レコード大賞を受賞した。彼が一番輝いていた1970年代の楽曲は毎週ザ・ベストテンにチャートインしており、彼の書いた哀感あふれる演歌からコミカルなポップスまでどれほど耳にし、口ずさんだ事だろうか?また「舟唄」の良さもこの歳になってようやく分かってきた。
特に作曲家都倉俊一と組んだピンクレディーの数々のヒット曲は小学生の私たちを夢中にさせたが、阿久悠&都倉俊一コンビから離れると、ピンクレディーの曲もヒットチャートから離れたと思っている。
その当時は演歌も歌謡曲も同じ番組で出演しており、家族揃って歌番組を観たものだったが、現在ではまずあり得ない光景である。
本当に素敵な曲に感謝しつつ、合掌・・・
有限会社やな瀬不動産
彼は言わずと知れた大作詞家で生涯作詞した曲は5000曲以上、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、「雨の慕情」(八代亜紀)は日本レコード大賞を受賞した。彼が一番輝いていた1970年代の楽曲は毎週ザ・ベストテンにチャートインしており、彼の書いた哀感あふれる演歌からコミカルなポップスまでどれほど耳にし、口ずさんだ事だろうか?また「舟唄」の良さもこの歳になってようやく分かってきた。
特に作曲家都倉俊一と組んだピンクレディーの数々のヒット曲は小学生の私たちを夢中にさせたが、阿久悠&都倉俊一コンビから離れると、ピンクレディーの曲もヒットチャートから離れたと思っている。
その当時は演歌も歌謡曲も同じ番組で出演しており、家族揃って歌番組を観たものだったが、現在ではまずあり得ない光景である。
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