浅草神社の「三社祭」を見た後、上野公園の東叡山寛永寺付近をブラ散歩してきました。
上野恩賜公園は、元々は、寛永寺の一部ですが、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため400年前に江戸城の鬼門に当たる上野公園に設置されたお寺で、京都の比叡山に対して東叡山寛永寺となり、将軍家の菩提寺となっています。
寛永寺の根本中堂は、以前は上野公園の噴水広場にあったそうですが、幕末の上野戦争で焼失し、明治時代に現在の場所に再建され、来年、創建から400年を迎える本堂の根本中堂は、大規模の修復工事が行われて、内部は拝観は出来ませんでしたが、江戸東京の歴史を感じる景観がみられました。
本堂の懸魚の景観
正門横には、人に驚異や不安、脅えを起こさせない(無畏を施す)を意味された、「無畏施」と描かれた大きな石壁が設置されています。
難民救済や歓学寮を設置され貢献された「了翁禅師塔碑」
現在の上野公園の黒門にあった旧本坊表門・根本中堂に据えられていた鬼瓦
他にも、歴史が刻まれた石仏像や彫刻の銅製灯籠も保存されています。
本堂から徳川家霊廟へ向かう途中には、徳川綱吉霊廟勅額門など歴史的建造物も保存されています。
徳川家霊廟入口の御門
「開山堂(両大師)」では、東叡山寛永寺を開かれた慈眼大師と慈恵大師を祀られる寺院で、江戸時代には、庶民の信仰を集めた寛永寺の原点となっていて、厄除け・疫病除けのご利益あるパワースポットとなっています。
本尊の阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂の堂内には三体の阿弥陀様が祀られています。
両大師が祀られている本堂に厄除けを祈願しながら参拝していました。
本堂前には、灯籠天女や徳川家御紋などが彫られた由緒ある銅灯籠が見られます。
本堂と輪王殿の間には、明治の文豪の幸田露伴の旧宅から移設されたの門が設置されています。
幸田露伴門を抜けた輪王殿入口には、寛永寺旧本坊の正門の表門が移設された黒塗りの「黒門」が保存されて、黒漆で塗られ威厳のある重厚さを感じられる景観が保存されています。
上野公園の旧寛永寺境内には、他にも多くの江戸時代の歴史が残されて、東京の人気スポットとなっていますが、江戸時代の徳川家の歴史を学びながらの散策でした。
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