昨夜、藤沢の夏の風物詩でる「藤沢宿・遊行の盆」が開催され、大変な賑わいを見せていました。
例年は、7月末に開催されていたが、今年は日程が変更されて、東日本大地震の影響から「街に活気いを呼び戻そう・・」をテーマに、遊行寺で「市民大盆踊り大会」として、開催された。
遊行寺は、盆踊りのルーツと言われる踊り念仏を、一遍上人が全国に遊行しながら広められたと言われ、ゆかりの寺でもある。
今年から、各地の念仏踊りを招聘して、各地の文化・特色を伝えようと「全国の念仏踊りを遊行寺に」の企画が始まり、その第1弾として、福島県いわき市に伝わる「じゃんがら念仏踊り」が、特別出演となっており、大変興味を持って出かけていた。
日暮れ前に着いたが、既に境内には大勢の盆踊りファンや家族連れが、浴衣姿などそれぞれの衣装に身を包んで境内狭しと集まって、賑わいを見せていたが、浴衣着用者には、特性のトイレットペーパーが記念品として贈呈されていたようだ
前座イベントとして、貴婦人や子ども、外国婦人、お年寄り、若い男性など約30人が参加して浴衣コンテストが行われていたが、大賞には、浴衣や賞金、副賞など持ち切れない賞を受け取って、思わずうれし涙がこぼれていた。
本番の踊りの前に、境内を散策してみると、本堂の奥へ坂道を上ると突当りに長生院小栗堂があり、小栗半官の死後、照手姫が小栗の冥福を祈ったと伝えられる伝説の御堂であるが、お盆を前に新しい卒塔婆が、お堂の前に並べられていました。
さらに、本堂の裏手には、歴代の遊行寺の上人の霊廟がありますが、周囲の一般墓所と比べると、近寄りがたい重みがあり、しばし「南無阿弥陀経(ナミアブダブツ)」を唱えてこの国難を乗り越えるべくお慈悲をお願いしていた。
本堂に戻り、改めてお参りして念仏を唱えて、この時世の憂いの祓いをお願いしてから、宝物殿の前には、過って明治天皇が北陸地を訪れて還幸された時に宿泊されたときに使われたという「明治天皇御膳水」が残されています。
境内を一巡りして感慨に耽ってから、大イチョウ下に戻ると、丁度、盆踊り大会が始まっており、老若男女が入り混じり、綺麗どころと共に大きな踊りの輪が出来ていたが、念仏を唱えて踊っている方もあり、嬉しさがこみ上げてきた。
さらに、我が住む街から出演しているジャギー・キッズの皆さんが元気よく日頃の練習の成果を披露していたが、ベテラン踊り連からも大拍手を得ていたようだ。
日も暮れて踊りが佳境に入ってから、特別出演の「じゃんがら念仏踊り」と、秋田県の「西馬音内盆踊り(にしもない)」が披露されたが、鐘や太鼓を打ち鳴らしてのリズミカルな踊りと、黒い頭巾や編み笠を被っての優雅な踊りに、大観衆が時間を忘れて見入っていた。
その後は、市民盆踊りがさらに輪を拡げて熱が入ってきていたが、疲れも感じて帰宅すると、家に着くや、落雷が続いて大雨を呼んでいて、会場のあの盆踊りはどうなったのだろうかと心配やら助かった~と安堵した。やはり、晴れ男なのだろうか????
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