鎌倉の苔寺として有名な「妙法寺」へぶら散歩してきました。
「妙法寺」は日蓮上人が安房より鎌倉に入り、初めて松葉が谷に草庵を結ばれた日蓮宗のお寺で、「松葉ケ谷法難」があった場所です。
本堂に参拝後、風格ある朱塗りの仁王門では、迫力ある金剛仁王像が迎えています。
仁王門の先には、法華堂に続く美しい苔に覆われた石段が続き、夏の陽に映えて新緑に包まれています。
石段を登りきった正面には「法華堂」があり、見上げると扁額や素晴らしい彫刻が施されて鎌倉の文化が残されています。
法華堂から苔の石段を上から望んだ光景です。
法華堂の周りにも、釈迦堂跡や立派な石仏像に出会いますが、その由来は不明でした。
苔石段の左奥に「化粧窟」が見られ、やぐらの中には日蓮坐像が安置されていました。
さらに釈迦堂跡の左手の急階段を登ると、日蓮上人が20年間住んでいた小庵があった「奥の院御小庵跡」が残されています
さらに急坂の山道を上ると、後醍醐天皇の第三皇子の「護良親王の墓」がありますが、護良親王の子である日蓮宗に帰依した日叡が父の供養のため妙法寺を再興してこのお墓を建てたそうです。
墓の裏手の小路を進むと、由比ヶ浜海岸、稲村ヶ崎など相模湾の絶景が望めました。
妙法寺を後にして、近くの「長勝寺」に立ち寄ると、本堂前の広場には辻説法姿の巨大な「日蓮聖人像」が立ち、周りには守護神の四天王の「持国天・増長天・広目天・多聞天」が立っていますが、何れも邪鬼を足下に踏みつけており、仏の守護神となっているようです。
鎌倉駅に向かう道中では、「安養院」はムラサキツツジで覆われていました。
また、安養院前の癌封じのお寺「上行寺」では、山門の裏側には名工左甚五郎作の龍の彫刻が飾られており、本堂には珍しい七福神が一堂に祀られていました。
さらに、鎌倉駅へ向かう途中には、珍しい冠木門のぼたもち寺「常栄寺」がありますが、日蓮上人が龍の口刑場へ引かれていく時に尼がぼた餅を授けたという名寺です。
鎌倉の歴史に残る名寺を巡ってのブラ散歩でした。
「妙法寺」は日蓮上人が安房より鎌倉に入り、初めて松葉が谷に草庵を結ばれた日蓮宗のお寺で、「松葉ケ谷法難」があった場所です。
本堂に参拝後、風格ある朱塗りの仁王門では、迫力ある金剛仁王像が迎えています。
仁王門の先には、法華堂に続く美しい苔に覆われた石段が続き、夏の陽に映えて新緑に包まれています。
石段を登りきった正面には「法華堂」があり、見上げると扁額や素晴らしい彫刻が施されて鎌倉の文化が残されています。
法華堂から苔の石段を上から望んだ光景です。
法華堂の周りにも、釈迦堂跡や立派な石仏像に出会いますが、その由来は不明でした。
苔石段の左奥に「化粧窟」が見られ、やぐらの中には日蓮坐像が安置されていました。
さらに釈迦堂跡の左手の急階段を登ると、日蓮上人が20年間住んでいた小庵があった「奥の院御小庵跡」が残されています
さらに急坂の山道を上ると、後醍醐天皇の第三皇子の「護良親王の墓」がありますが、護良親王の子である日蓮宗に帰依した日叡が父の供養のため妙法寺を再興してこのお墓を建てたそうです。
墓の裏手の小路を進むと、由比ヶ浜海岸、稲村ヶ崎など相模湾の絶景が望めました。
妙法寺を後にして、近くの「長勝寺」に立ち寄ると、本堂前の広場には辻説法姿の巨大な「日蓮聖人像」が立ち、周りには守護神の四天王の「持国天・増長天・広目天・多聞天」が立っていますが、何れも邪鬼を足下に踏みつけており、仏の守護神となっているようです。
鎌倉駅に向かう道中では、「安養院」はムラサキツツジで覆われていました。
また、安養院前の癌封じのお寺「上行寺」では、山門の裏側には名工左甚五郎作の龍の彫刻が飾られており、本堂には珍しい七福神が一堂に祀られていました。
さらに、鎌倉駅へ向かう途中には、珍しい冠木門のぼたもち寺「常栄寺」がありますが、日蓮上人が龍の口刑場へ引かれていく時に尼がぼた餅を授けたという名寺です。
鎌倉の歴史に残る名寺を巡ってのブラ散歩でした。