「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「新盆に備えて」

2009年08月11日 | つれづれ噺
母を見送って、昨日でまる9ヶ月。
3日後に控えた新盆法要に向けて、あれこれ汗を流す日の連続である。

降ったり止んだりの雨の合間を縫って、お墓掃除。バケツ3杯の水と、掃除用七つ道具をひっさげて。その中に亀の子たわしも入っているが、墓石にたわしはないだろう…と思い直し、きれいなタオルでこするこする。ピカピカに磨き上げた。一つ肩の荷をおろす。

14日には、お寺さんをお招きしてある。新盆に頂いた提灯の披露もある。そんなこんなでお客さんも見える。こりゃー植木の刈り込みもしておかなければ…。

いつの時も引き受け側には、表に出ない労力が積み重ねられているのだ。まあ当たり前と言ってしまえばそれまでだが、時には気軽に親元へ帰る身分を味わってみたい…と思うこともある。
労力だけにとどまらない「+αの散財」のあることは、言わぬが花としておこう。

誰かがやらなければならないことは、誰かがやらなきゃことは前に進まない。好んで親元を引き受けているわけではない。ましてや吹けば飛ぶよな次男坊。古来の家督云々の話になれば、冷や飯食いの筆頭のはず。それがどう間違ったのか、持って生まれた運命(さだめ)か、そうなる宿命だったのか。千祖伝来のお墓もお仏壇もこの手の中にある。

愚痴ってるなどと勘違いされるのは心外である。というのも、生前の母が誰よりも私を頼りにしてくれていたのを、身をもって感じているから。そしてこの手で黄泉路への道案内をさせてくれたことを、誇りに思っているのだから。

植木の刈り込みも格好だけは一人前。でも、クロガネモチは実が生っている部分は切り落とさないよう注意を払って刈り込んだ。冬場のヒヨのエサを確保するために。

                  
                          before              after

      ( 写真: 幕末期のお盆、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より )
コメント (6)
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