「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「早くも秋が」

2009年08月19日 | 季節の移ろい・出来事
“ 静けさや 岩にしみいる せみの声 ”と詠まれて、主役を張ったクマゼミやアブラゼミに代わって、いつしかツクツクホーシが主役を務めるようになった8月後半。
もう目の前に秋の訪れを感じる頃となった。立秋がとうに過ぎたのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

我が家に隣接する荒れ地には「荒れ地待宵草」が、愛らしい黄色の花を朝日に輝かせている。毎年眺める光景ではあるが、暑さに満足しきって、涼しさを欲しがる私に「早くも秋が…」と喜ばせる花の訪れでもある。

「宵待草」か「待宵草」か……。あれこれ考察してから早くも1年。早いなー…。

例年そうであるように、待宵草が咲く頃には、全国高校球児の夢舞台「甲子園」がクライマックスを迎える。
泥まみれのユニフォームに真っ黒い顔。こぼれる真っ白い歯。勝って泣き、負けて泣く彼らの姿、感動なしには見られない人間ドラマがある。

人は悲しいときも嬉しいときにも泣く。感動して涙することもある。
また、さまざまな状況の中で鬱積した感情に押しつぶされそうになったとき、泣くことで解放されることもある。
快楽とはいえなくともそれはたしかに快感ではある。 (モンテーニュ・フランス思想家)

日本古来の武士道精神によるやせ我慢も日本人の美徳の一つではある。
しかし、無理をして感情を抑え込むより、いっそ感情をむき出しにして泣くことによって、気持ちの切り替えにつながり、新たな笑顔が取り戻せるなら、泣くことが女々しいなどとは決して言えないと思えるようになった。

そこに、“泣くことも一種の快楽である”という言葉が生まれるのだろうか。

         ( 写真: 可憐に咲く、真っ黄色な荒れ地待宵草 )
コメント (10)
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