青いラインの京浜東北線(イメージ) 京浜東北線路線図
一昨夜10時40分過ぎ。そろそろテレビも終わりにしようかという時間帯に、緊急地震情報のテロップが流れた。
見れば、千葉・東京・埼玉の大都市直下で地震発生。震度5という。さぞかし大混乱であろうと想像する。翌日になって、幅広い被災地の状況が詳しく解るにつれて段々被害の大きさが伝わってくる。
他でもないが、埼玉県が被災地と聞くと、忘れもしない26年前に親戚以上に親身のお世話を頂いた、知人ご夫婦の安否に思いが行く。もちろん、東京在住の同級生や知人の安否も気に掛かる。
埼玉の知人には、何はともあれスマホメールで安否確認を。「揺れるのは揺れたけど何事もなく済みましたよ」と。ひとまず安心。
今日の新聞には、新交通システム「日暮里・舎人ライナー」の先頭車両が脱線し、交通網に大きな障害が出た、とのニュースがあった。
26年前、埼玉南浦和の単身赴任マンションから、東京駅を一つ下った有楽町に通勤したのは京浜東北線であった。話題の日暮里も朝に夕に通過した駅である。その当時は「日暮里・舎人ライナー」は存在しなかった。それに、日暮里と言う駅には一度も降り立った記憶がない。鶯谷は営業の関係で一度だけ降りて仕事したのを覚えている。
それにしても遠い遠い昔の話であるが、我が生涯の中で唯一大都会の生活体験である。たった1年余の短い期間ではあったが、「一度は東京で仕事してみたい」「都会の混雑を味わってみたい」と思い続けていただけに、刺激的であり、やる気を引き起こさせるエネルギーが溢れていたのを思い出す。それだけに色んな記憶が胸の中にいっぱい詰まっている。単身赴任マンションの管理人であったご夫婦への感謝もその一つである。ついでにいうなら、阪神淡路大震災も地下鉄サリン事件も、単身赴任中の都会で味わった。
日本列島至る所に活断層は生きている。地震がいつどこで発生してもおかしくない現状である。南海トラフという不気味な予測もあるが、大都会を地震が襲うとどれほどのことになるのか気が気ではない。地震など発生しないことを祈るかたわらで、物理的にも精神的にも、万一の備えを忘れてはならない。そんなことを思う秋の夜長である。