一口に50年と言ってしまえばそれまでのことだが、家族、親戚一同、そして多くの友に祝福されてスタートした新たな生活。小さいながらも夢も希望もあこがれも持っていた。その反面で「人並みの生活ができるのだろうか」という不安も付きまとうスタートでもあったような気がしている。何しろ貧乏だった。「所帯を持つなら新居を構えてから」という一つの信念みたいなものがあって、そこそこの給与はもらっていたのだが、身の丈を超えた新築のローンを抱えた新所帯。苦しかったという印象が強かった。でもそのローン支払いを家賃だと思いを替えることで、目先を変えて、なんとか乗り越えてきたのだと思う。
そしていま、あれこれ思い起こせば、なんてったって50年の歳月なのだから、ありとあらゆることが凝縮されている。それはそれは大いなるよろこびであったり、互いの両親の見送りなど深い深い悲しみであったり。語りつくすには生涯かかりそうなほど際限なく積み重ねられているものだ。それこそが人生そのものと言える事柄なのであろう。
そうしてこうして今思うみるに、山あり谷ありなどという生易しい起伏ではなかったこの50年を、なんとか繕い、破綻させずにこの日を迎えられたことに、言葉にならない慶びをジワ~っと胸の奥で感じている。
その一つは、互いに健康を保ち、どちらかが病気で欠けるなどという一大不幸に遭わなかったことである。何はともあれ、二人揃っていてこその50年、いわゆる金婚式なのである。格別にこだわることではないかもしれないが、長い人生の一つの通過点として心に刻んでおきたい。
その意味では、記念旅行の一つもコロナ禍で遠慮している私たちを娘が気遣って、岩国のシンボル錦帯橋を見下ろすホテルの豪華食事と一泊をプレゼントしてくれた。ここはひとつ、お言葉に甘えて、秋の紅葉をイメージしてライトアップされた錦帯橋を眺めながら、至福のひとときを味わった。
そしてまた明日からも、これまでと変わらず健康を保ちつつ一歩一歩、確かな足取りで進めることを願っている。