今日もJアラートスピーカーから「恒久平和への願いと、岩国駅前の空襲による戦没者の霊を慰めるため、午前11時15分にサイレンを吹鳴します。1分間の黙とうを捧げましょう」という案内の後、黙とうを捧げるサイレンが鳴り響いた。
当然ながら手を止め、直立不動の黙とうを捧げた。今のこの平和が本当に恒久的なものなのだろうか、という不安が胸をよぎる。
朝からの暑い日差しに悩まされながら、お盆の一日が過ぎた。普段と大きく変わることもない我が家の盆行事ではある。ただ今年の場合は、姉の初盆、父親の50回忌法要という特別メニューが加わったため、早くから色々計画し、順を追っての行動が順調に運んだこともあって、特別メニューの割りには慌てることもなく、一通りを無事に済ませることができた。
折良くというか、倅一家の里帰りがお盆に重なったので、孫の相手という余分が入って何かと忙しい思いはあったが、忙しさがまとまって過ぎていく有り難さみたいなものも感じるから、人間の感情とはうまく対応できるよう柔軟に出来ているものではある。
昼間の渋滞を避けて夜に走る方が楽だ、というので飛び入りの悠雅君も交えて定番の花火に歓声を上げて帰って行った。孫は来てよし、帰って尚よし、の言葉通りの定番盆行事をひとまず終えた。
お盆と言えば、かつては各地区毎に大なり小なりの盆踊りが華やかだった。広場の真ん中に櫓を組んで、音頭を唸る。その周りを老若男女が思い思いに踊って汗をかく。笑顔が弾ける。恋も生まれる失恋も生まれる。これぞ昭和の夏の夜の一幕であった。
そんな情緒はとっくの昔に消えていった。惜しいね~と未だに少しの未練が胸の中でくすぶる。何かに付けて年を重ねたね~と、ネガティブではなくポジティブに受け止めている暑い夏の夜である。