「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「晩夏のふる里」

2022年08月21日 | 季節の移ろい・出来事

              

忘れていたわけではないが、何かと忙しく過ごした今年のお盆月。思い出したように今日、カミサンのふる里を訪ね1週間遅れのお墓参りをした。
目に映る景色、セミの声、耳に馴染んだ川のせせらぎ、カジカガエルの鳴き声など、迎えてくれるふる里の表情は50年前の結婚当初と大きく変わらない。変わったのは人の姿が見えない、人の声が聞こえないということ。

義兄夫婦も今は高齢となり、病も得てこのふる里に住むこと叶わず、繁華な街中にある介護施設で生活している。鍵の掛けられた実家を横目に見て、物言うこともなく、ふる里の一角に佇む先祖代々の墓石に静かに手を合わせる。このお墓も義兄が場所を移して新しく建て替えたから、私たちも簡単にお参りできるが、初代のままであったら草深くてお参りも叶わなかったはずである。

直前に降った驟雨のお陰か、川の水は溢れるほどに岩を噛み白く泡立っている。
" 瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に逢わんとぞおもう ”という古歌を思い出させるような、ゴーゴーたる賑わいを見せているというのに、人と人の賑わいは遠く影を潜め、集落の面影さえ失われつつある。さてこの後何年持ち堪えるのだろうか。

そんな我がふる里から2km山奥に入った場所に、鉱山跡の鉱脈を活用した観光施設が出来ている。「ムーバレー」と呼ばれ、地底探検の穴場として観光客を集めている。夏休みも終わりに近づいて、子どもたちにせがまれて押し寄せてきたのか、他県ナンバーのクルマとの出会い・離合が激しい。普段のこの道は、私たちの里帰り専用道路みたいな感じで、ゆったり穏やかに迎えてくれているのに。

事ほど左様に、何かの産業を産み出さなければ、高い山と森林に囲まれた昔ながらの小さな集落は立ちゆかないことを、改めて実感させられる。
森林作業や、国内材木供給の振興など、税金の使い道を考える奇特な政治家が出て来ないものかねー。それで無くても自給資産の乏しい我が国なのだから。

コメント
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