午前11時02分。Jアラート防災スピーカーから発せられるサイレンに合わせて、南の方角に向かって1分間の黙とう。
今日は、長崎に原爆が投下されてから77年の『長崎平和祈念式典』が行われた。
♫ こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ
うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎のああ長崎の 鐘は鳴る ♪
長崎の悲劇を思う時、真っ先に浮かぶのがこの詩である。
どれだけ多くの人が一度に亡くなり、どれだけの多くの人が塗炭の苦しみを味わい、人生の絶望感にさいなまれたことか。被害に遭った者にしか訴えられない苦しみである。
世界の為政者たちにこの苦しみをどうしたら伝えられるのだろう。常識論や知識といった頭の中では理解するかも知れないが、実際の『被爆という悲惨さ』を本当に理解している為政者がいるのだろうか。
そんな人間には、核の恐ろしさを目の前で実体験させるしかないのではないか、とさえ考えてしまう。
今や、アメリカンファーストだの都民ファーストだの言ってる場合ではないんじゃないのかね~。言うなればワールドファースト・アースファースト、つまり世界規模、地球規模で、人類の安寧を測る時が来ているのではないのかねー、などと考える。
コロナウイルス感染もそう。年々高くなる一方の地球温暖化。こういった地球規模の災難に対抗するのに、ロシアだ中国だアメリカだ、発展途上国だなどと小競り合いしている場合かよ。少しは本気で考えろよ。プーチンさん習近平さんバイデンさん、そしてロケットマンさんたち、世界の中で賢いと思っている人たちに忠告したいね。
ノーモア・ヒロシマ。ノーモア・ナガサキ。ノーモア・ヒバクシャ。ノーモア・ピカドン!!
8月の平和祈念の日に寄せて、こんなことを思うのである。