しぐれに打たれる、アジサイの一輪
立冬も過ぎ本格的な寒さを前に、ことしも年賀状に変わる喪中はがきが届く季節になった。
「エッ、あの人がもう亡くなったの?」とか、「やっぱりね~、今年あたりは危ないと思ってたよな~」などと、寝耳に水の意外性とある程度予測が立っていた場合などさまざまである。
早速に届いた喪中はがきの一枚に目が留まった。ビックリしたな~も~ の驚きである。
このたび、錦帯橋の思い出エッセイを書いて少し気持ちよくさせてもらった直後にこんな葉書が届くかね~と言う話である。
思い出エッセイの最大のテーマに掲げたのが、旅行会社から見る錦帯橋の扱いは、観光地と言うよりトイレ休憩くらいの扱いでしかないという鬱憤をぶつけたものでもある。
そんな主題の背景にあるのが、年を取ってからの単身赴任である私を、借り上げマンションの談話室に呼び出し、ヘボ将棋の相手をしてくれたり、ホームシックになりそうな私に故郷の話を思いっきりさせてくれたり、何かとお世話になった管理人さんに対して、観光旅行で岩国に立ち寄られたチャンスを捕まえて少しでも恩返しをしたいという夢を無残にも打ち砕かれた。その肝心の管理人さんが86才で永眠したとの訃報である。それも1か月と少し前というからまさに、エッセイの選考真っ最中と重なる。世の中って、ときにこうした奇怪な因縁を醸し出すこともある。
そんな奇怪への対応として、管理人ご婦人に丁重なお悔やみと少しの思い出話、そしてお線香を送らせて頂くこと了承してもらった。
老少不定、吾や先人や先。やがて往く道ではあるが、年々確実に減っていく年賀状の枚数に初冬の肌寒さを感じている。