「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「何を伝えるか・・・」

2023年12月18日 | つれづれ噺

                    
                           書き始めた年賀状

かつては200枚も出していた年賀状。虚礼以外の何物でもないものが多く含まれていた。そういったぜい肉と言うか虚礼の部分が取れて来て、今年などは130枚にまで減った。年を重ねたゆえにそぎ落とされたぜい肉もある。早い話が年を重ねて少し横着にもなって、野暮な虚礼など止めようという落ち着きが出て来たこともある。年賀状を交わしていた同級生が随分減っていったことも理由である。

何十年と書いて来た年賀状を、いまさら何を書くか悩むのもおかしいが、今年の場合少し気持ちは重くなっている部分がある。
割といい加減に、目上の人、同僚、部下、世話になった人ならなかった人、仕方ない出しておこう無難だから・・・いろんな書き方出し方を体験して来た。どれも大きな外れはなかった。大きなあたりもなかった。可もなし不可もなしか。

今年の場合実は、可愛い可愛い甥っ子が、といってもとっくに定年退職を迎えた66歳。悠々自適の生活でこれからは趣味の絵を描いたり、読みたい本もいっぱいあると言っていた。そんな彼が、脚に出来たがん細胞の上体部への侵入を防ぐためとはいえ、片方の脚を大腿部から切断するという、我が身内今年最大の悲劇に遭遇してしまった。

母親が彼のためにと、我が家のすぐ近くに数年前に建てた故郷の家に、都会から帰って一人で生活しているときに発病した。最終的には住いのある都会に帰ってからの大手術となった。元気でこちらにいた時分には何度も顔を合わせた。でも都会に帰ってからはあまり話もできないまま手術になった。術後にはまだ本人との言葉を交わせていない。不憫で話す言葉が見つからない。

そんな彼に思い切って、新たな年に向かう意気込みのような、励ましのような賀状にしたいと考えているところである。まさに何をどう書くか、あふれるこちらの思いをどう伝えるか、何を伝えるのか、それが問題である。これまでの多くの年賀状でも、やはりこの人には何を伝えたいか。その一点だけは外さないよう心掛けてきたと思う。

このたびの甥っ子君に、叔父さんとしてどんな言葉を贈るのか。今年の130枚を代表して余りある重い年賀状。じっくり考えたい。

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