奥州平泉、中尊寺金色堂 (覆堂の中に金色堂がある) 弁慶塚 (小さな石が無造作におかれていた)
今回の旅行で、自分の気持ちの中の大きな目的の一つは、「奥州平泉、藤原氏一族の栄華の名残を味わいたい」 というものであった。
同時に、小学校だったか中学校だったか、歴史に出てきた 『衣川の館はほころびにけり』 という一文が頭にこびりついている。
いわゆる、兄頼朝に追われた義経が、弁慶と共に討ち果たされた、鎌倉幕府創設の血の歴史と、討たれた者の無念の地を、この目で確かめたい。
そんな密かな思いがあった。
期待通りであったかどうかは別として、殷賑栄華を極めた藤原氏の実力のほどを垣間見る『金色堂』の素晴らしさは感動ものであった。
おまり大きくない山全体が中尊寺境内として守られており、完全な案内ガイドさんの指示で、無駄なく自由もなく境内をみてまわった。
真っ赤な上下のスーツに身を包んだ若くて声のいいガイドさんが指差す先の方に、「衣川の古戦場」がチラッと。
そして境内一帯を出たところ、大きな松の根本に、一人で抱えるには無理かな、という程度の石と祠が見えた。「弁慶塚」の表示がある。
あの歴史に名を残す武蔵坊弁慶も、この平泉ではこの程度の塚でしかない人物評価なのか??といささか気落ちした。ところが・・・
ひと回りしてみると、地元有志建立による縦2m幅1.5mもある分厚い石碑が建てられていた。ちょっと救われた思いがしたのはなんだろう。
勝手に想像するに、地元の人々にとっては、義経一党を討ち果たすために頼朝軍によって戦場と化し、田畑を荒らされた無念の思いは、決してやさしくなかったのではないか。やがて鎌倉勢に統治されることになった平泉の民百姓にとっては、有難くない義経保護であったのかな??などと。
そんなこんなを考えながら、バスは二泊目の宿、八幡平温泉郷に着いた。
翌朝8時にはホテルを出て、絶品の眺望を求めて八幡平登山。といっても私たちはバスに揺られているだけ。
錦絵を観るような、八幡平の紅葉 霧の晴れ間に遠くの山肌が見事な景色を
八幡平(はちまんたい)は、奥羽山脈北部の山群で、標高1,614 m。岩手県、秋田県にほぼ同じ面積で広がる。広い高原上のあちこちに様々な形の火山起源の小さな丘陵がそびえ、その間に無数の沼や湿原が点在する。1956年に十和田八幡平国立公園に指定されている。
高地ゆえの風と霧。今見えていた景色が一瞬にして霧に包まれて、まさに五里霧中となる。
そんな中で、なんとか絶景を楽しませてもらって、バスは次なる目的地、秋田県の大館から日本海を目指してひた走る。
静かな日本海を期待するのか、文字通り、荒れ狂う日本海を想像するのか。現実は果たしてどっちだったのか。次回にご期待(笑)
絵に描いたみたいですね。
さてさて、どんな日本海だったのか。次を楽しみにしています。
ですが、さすが北国でした。
いい方に予想が外れて、こんな素敵な景色を堪能させてくれました。
やはり日ごろの行い??
歴史のことは、アタシの場合、勉強などと言うより耳学問がほとんどですよ。