阪神淡路大震災から29年
そのとき私は
高齢の母と妻を残して、ふるさとから遠く離れた東京都世田谷区三軒茶屋の単身赴任寮で、出勤を前に朝ご飯のテーブルに着いた。その時、いまでも体中を衝撃が走る凄まじい光景がテレビ画面いっぱいに広がっていた。大きなビルが根元から折れて真横になっている。今にも倒れんばかりに傾いたビル。その向こう左右あちこちから煙が立ち上っている。メラメラ燃える炎も見える。
しばらくして阪神淡路大震災のまさに第一現場を捉えたNHK報道写真の一部であることが確認できた。
どれだけの人が亡くなったのか、家族や家や家財一式を失い途方に暮れる人がどれだけいるのだろう。などと混乱する頭の中であれこれ想像するばかり。
会社に着いてようやく、断片的ではあるが信ぴょう性のあるコメントが投げかけられる。
陸上の完全道路はもちろん、JR山陽線など軒並み不通となり、岩国工場と本社の通路は一時的に断ち切られた。こんな地獄絵が容赦なく目の前に晒される自然災害は、全く意図しない我々の前にいとも簡単に表れる。陸路を断たれた本社と工場間、大量の製品輸送の最初に開通されたのが海路であったと記憶する。人の往来は空路となった。
阪神淡路大震災から神戸が、関西が復興して一安心したころに東日本大震災。さらには熊本地震など多くの自然災害が重なってまた今回の能登半島地震襲来。
災害は忘れたころにやって来るはずなのに、忘れるどころか舌の根の渇く間もなく襲い来る災害。どうやって
自身を守り家族を財産を守るか、厳しい宿題が投げかけられている。
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