子供の頃から、家のすぐ近くにインド兵の兵舎が建ち並び、すぐそばの小高い山の上に、兵士のお祈りする場所があった。夕方になると、大声で「アラーの神」を呼ばわる声が響き渡っていた記憶がある。また当時は韓国も北朝鮮も区別がつかず、ひっくるめて朝鮮人のというものがあちこちにあった。
そして良きに付け悪しきに付け、我が町岩国は米軍海兵隊の基地がある。小さいころからアメリカ人は周囲にあふれていた。
そう言う意味では、異国情緒という感覚には敏感であり、受け入れる気持ちの寛さも十分に植え付けられて成長してきたように思う。
青春の真っ只中、外人さんとの付き合いのエピソードは数多い。
高校時代、ホンの少し英語が理解できたからという理由で、基地内での交流会に招かれて、数人で英語劇「桃太郎」を演じたこともある。ただ出来映えはよくなくて、意味が通じなかったらしく、キョトンとした観客の顔が今でも目に浮かぶ。
今は基地の諸問題を含め、政治がらみで色々取り沙汰されている。
個人の見解を述べれば、朝までかかっても書き尽くせないかも知れないので、それは非公開の自分の日記にゆっくりしたためることにしよう。
アメリカさんが一段上という感覚が強かった子供時代に比べ、大人になるに連れて徐々にそのコンプレックスが薄れ、いつしか対等な立場に変わって行く様子を、肌で感じて来たものである。
今や基地との民間交流も華やかで、日本の伝統文化に積極的に参加されている。
いわくに祭りにおいても、基地内の奥さんや子供さんが、大正ロマンと呼ばれ歴史を感じさせる着物を着て、メイン通りを練り歩く姿も見られた。それも年々着こなしが板に付いてきた感じさえある。
このような異国情緒を味わう感覚が上辺だけのものではなく、芯からお互いを尊重し合い、利己主義を捨てて真の友好的な関係を築きたいものである。
アメリカも韓国も中国もロシアも、そして北朝鮮も仲間に入ってくればなー……。
( 写真: いわくに祭りの、大正ロマン姿のアメリカ女性 )
そして良きに付け悪しきに付け、我が町岩国は米軍海兵隊の基地がある。小さいころからアメリカ人は周囲にあふれていた。
そう言う意味では、異国情緒という感覚には敏感であり、受け入れる気持ちの寛さも十分に植え付けられて成長してきたように思う。
青春の真っ只中、外人さんとの付き合いのエピソードは数多い。
高校時代、ホンの少し英語が理解できたからという理由で、基地内での交流会に招かれて、数人で英語劇「桃太郎」を演じたこともある。ただ出来映えはよくなくて、意味が通じなかったらしく、キョトンとした観客の顔が今でも目に浮かぶ。
今は基地の諸問題を含め、政治がらみで色々取り沙汰されている。
個人の見解を述べれば、朝までかかっても書き尽くせないかも知れないので、それは非公開の自分の日記にゆっくりしたためることにしよう。
アメリカさんが一段上という感覚が強かった子供時代に比べ、大人になるに連れて徐々にそのコンプレックスが薄れ、いつしか対等な立場に変わって行く様子を、肌で感じて来たものである。
今や基地との民間交流も華やかで、日本の伝統文化に積極的に参加されている。
いわくに祭りにおいても、基地内の奥さんや子供さんが、大正ロマンと呼ばれ歴史を感じさせる着物を着て、メイン通りを練り歩く姿も見られた。それも年々着こなしが板に付いてきた感じさえある。
このような異国情緒を味わう感覚が上辺だけのものではなく、芯からお互いを尊重し合い、利己主義を捨てて真の友好的な関係を築きたいものである。
アメリカも韓国も中国もロシアも、そして北朝鮮も仲間に入ってくればなー……。
( 写真: いわくに祭りの、大正ロマン姿のアメリカ女性 )
この気持ちを大切に、我がブログネタの2人の特派員をうまく育てなければいけませんね。
その点、お嬢さんなどは、率先して架け橋にになっていらっしゃいますね。
アメリカ人に、日本の童話の世界を知ってもらいたくて「ももたろう」だったのでしょう。それにしても、きょとんでした。
美味しい写真パックリ頂きました。
お陰様で、柄にもないブログネタに挑戦できました。
またいいのがありましたら、ご協力ください。
申し遅れました、有り難うございました。
貧乏でいいから、いさかいのない世の中であって欲しいね。
主にブラジル、ペルー・中国の子供たちと放課後を一緒に過ごしていた時期があります。
日本語がほとんど話せないのに中学校で一日じっと座っている、それができなくなると時間給1000円で工場にアルバイトです。教育委員会と相談しながらでも改善は難しく、彼らの腰掛け的な不安定さも問題でした。
中にはひらがな・漢字の練習したりする子もいますが、まったくの親の都合で、日本に連れて来られ、プイと帰国してしまうわけです。出稼ぎと言ったって今はそんなに甘いものではありませんからね。日本語検定に向けて頑張る人も多いのですが、こういう立場の人の日本での暮らしは必死です。
自分にできること…があるとしたら、こういう民間レベル、個人のレベルでかかわりを持つことでしょうか。やがては架け橋になる子が出てくれることを祈りたい思いです。
あ~、なにゆえ「ももたろうさん」だったのでしょう~。
きょとんとした雰囲気を想像すると…やはり笑いが出ます。
その割にはまだまだ自分の国さえよければ、がまかり通っています。その解消に、岩国祭りは貢献できている? ほんのちょっとばかりか。