3月1日、暦も新しいページをめくる。たったの1日しか違わないのに、昨日までの2月とは何かしら気分が変わり、まさに春本番が目の前、胸弾む思いがする。
母校の「卒業証書授与式」に、例年通り参列した。
49年前の同じ3月1日。 あの時一体何を思い、何を考えたのだろう……。
ビシッと決めた礼服に身を包んだ、ほどよい緊張感の中で、ちょっとセンチな自分を感じながら、校長式辞・来賓祝辞・生徒代表による送辞・答辞に真剣に耳を傾ける。 ウーンなるほど…うなずく言葉も幾つかある。
頂いた資料の「○○学園新聞」卒業生のつぶやきという、ある意味本音とも思える一人一人の短い言葉、これがなかなか面白い。
大きな失敗を学んだ・いろいろ疲れた・たぶん明日は明日の風が吹く・楽しかった・物理学サイコー・東京でがんばるゾー・ゲンコツ痛かった……等々253通りのメッセージ。
あふれる思いが伝わってくる。 そこでハタと思う。 今まさに飛び立たんとするこの子たちを前に、何かをしゃべりなさい…と時間をもらえたら、さて一体何を話すのだろう。 世の中全体が打ち沈んでいる感じの今をどのように説明し、どのように対応するアドバイスが贈れるのだろう。
やはり、言葉を飾らず自らの言葉で、50年近い経験の一端を述べ、いい意味の開き直りとともに、「今がチャンス!」を胸に秘め、自らの夢や理想を追っかけなさい…程度のことしか言えそうにないなー…。
何処まで行っても何をやっても、自分との闘いは終わることはない。だとしたら常に身の回りには、ピンチもあるが「今がチャンス!」がいっぱい転がっていることを信じたい。 オット…彼らに言うのではなく、自分に言い聞かせる言葉になってしまったようだ。
( 写真: 卒業式で頂いた資料の数々 )
母校の「卒業証書授与式」に、例年通り参列した。
49年前の同じ3月1日。 あの時一体何を思い、何を考えたのだろう……。
ビシッと決めた礼服に身を包んだ、ほどよい緊張感の中で、ちょっとセンチな自分を感じながら、校長式辞・来賓祝辞・生徒代表による送辞・答辞に真剣に耳を傾ける。 ウーンなるほど…うなずく言葉も幾つかある。
頂いた資料の「○○学園新聞」卒業生のつぶやきという、ある意味本音とも思える一人一人の短い言葉、これがなかなか面白い。
大きな失敗を学んだ・いろいろ疲れた・たぶん明日は明日の風が吹く・楽しかった・物理学サイコー・東京でがんばるゾー・ゲンコツ痛かった……等々253通りのメッセージ。
あふれる思いが伝わってくる。 そこでハタと思う。 今まさに飛び立たんとするこの子たちを前に、何かをしゃべりなさい…と時間をもらえたら、さて一体何を話すのだろう。 世の中全体が打ち沈んでいる感じの今をどのように説明し、どのように対応するアドバイスが贈れるのだろう。
やはり、言葉を飾らず自らの言葉で、50年近い経験の一端を述べ、いい意味の開き直りとともに、「今がチャンス!」を胸に秘め、自らの夢や理想を追っかけなさい…程度のことしか言えそうにないなー…。
何処まで行っても何をやっても、自分との闘いは終わることはない。だとしたら常に身の回りには、ピンチもあるが「今がチャンス!」がいっぱい転がっていることを信じたい。 オット…彼らに言うのではなく、自分に言い聞かせる言葉になってしまったようだ。
( 写真: 卒業式で頂いた資料の数々 )
そこへ、熱気あふれる生徒の笑顔が満ちてくると、何かしらほのぼのとした暖かさを感じます。
一年に一度の卒業式ですが、ここ数年連続参列させてもらっています。そう言えば、同窓会入会式で、歓迎の挨拶を2度経験しました。
これらの役回りは、お互い避けられそうにありませんね、いや、避けるべきではないですよね。
「このころが一番よかったね」…matsuさんのご意見と全く同感です。あの頃もよかった、色んなことがあったから。でも今は、もっと多くの事柄を見て・知ってきた過去があるから更に楽しいと、いつも思います。
やはり、“今を大切に”ですよねー。
そして、その前日『同窓会入会式』があります。
足掛け10年、同窓会の仕事に関わっている関係から今日その式を終えてきました。
会場の生徒は3年生だけ、既に、進路が決まって社会に飛び出す直前の生徒達です。
この3年間同じ学校で過ごした200人ほどの生徒達が明日を最期にそれぞれの方向に飛び立って行く、生徒の数だけの人生が作られていく、この若い子たちにどんな喜びや苦労が待っているのだろう、楽しい時や幸せな時ばかりではありません。辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも必ず出会う筈です。
それを乗り越える力をこれから培って欲しい・・と。
入会式で毎年思うことです。
溌剌とした生徒達をみて、
「このころが一番よかったね」
と言った人がいました。
そうかなあ、私は若い頃に戻りたくはありません。もう一度、違った人生歩むなんて出来そうもないし、やはり同じ事を繰り返しそうなのです。おろかなことばかり重ねてきたように思うからでしょうか。
そういえば、今思い出しました、セガレの言葉を。「お父さん、PTA会長の挨拶なんか誰も聞いてないんだから…兎に角短いのが一番ええんよ…」と釘を差されたことが何度かありました。
そうはいってもねー、曲がりなりにも保護者の代表だしなー…と悩むことしきりだったことを。
人生の区切り、真新しい制服・真新しい運動靴そして初めてのスーツ・ネクタイ…この時ワクワクした気持ちを、今も時々思い出してワクワクしたいです。“ときめき”を忘れちゃならん…と言い聞かせたいですね。自分に。
私たち、おっと私は、当たり前以前のガチガチ努力してもなかなか追いつきませんが…。
そうなんよ、あれから半世紀近く…。あの日・あの時何を考えていたんかねー。
周りの者の目・耳もある、自尊心もある、かっこ悪いのも嫌だ・かっこもつけなきゃならない…
捨てがたい人間の見栄・執着??
そして、聞く側にしてみれば、祝辞など早く終わってほしいと願うのが「世の常」。
だとしたら何をどうしゃべりましょう…
真意がどこまで伝わるのやらわからないのも現実のようですが、一人でもと思って思いのたけをしゃべりましょうか…
まあ、その機会が来た時に考えるとしましょうか~。
人生、いくつかの区切りをつけながら新たな始まりを迎えるのでしょうか。そんな時、できることなら誰しも、わくわくした気持ちで前を向ける状態であったらよいのにと感じます。
イチローが休みでも練習するのは『努力』ではなく本人にとって『当たり前』だからだと説いてくださいました。
娘の心に留まっていてくれればいいのですが…