今日は二十四節季の一つ「節分」。昨日までが大寒で冬の寒さから春へと「季節を分ける」という意味で節分という。今さら言うまでもないが、節分は四季それぞれにあって、年に4回の節分がある。つまり立春・立夏・立秋・立冬と季節が大きく別れる日の前日が節分と呼ばれる日。ついでにいうなら、日本では昔から春は一年のはじまりとされ、特に大切にされたようで春が始まる前の日、つまり冬と春を分ける日だけを節分と呼ぶようになったのだそうな。
いわゆる一年の始まり春の節分には「豆まきをする」「恵方に向かって巻き寿司を丸かじりをする」といった風習がある。豆まきは世にいう悪しき事を鬼になぞらえて鬼をやっつける、すなわち様々な栄養分を含んだ大豆は、その養分でもって鬼をもやっつけてくれるに違いないという願望で鬼を外に追い払い、いいことの代表である福を家の中に招き入れるという、人間の勝手な願望というか、強そうで弱い人間の幸福頼みが、このようなイベントに変わって行ったのかも。yattaro-流やぶにらみ考察です。
もう一つの恵方巻を食べる習慣は、その年の福徳を司る年神様がおられる方向、つまり恵方に向かって事を行なえば「何ごとも吉」とされていたようで、恵方を向いて巻きずしを丸かじりするようになったとか。昔の関西の大店の旦那のエロイ遊びが発端との隠避なエピソードなど諸説あるようだ。
それでもなんでも、節分にはせっせと作ってくれる巻きずしを恵方、今年は南南東に向かって丸かじりをした。うまかった。
我が家では数本の巻きずしを作って、大半が娘一家のもとへ。我が家に残るのわずか。ところが有難いことに、母親一人残しての別居住まいのお隣さんの息子が「いつもお世話になります」といって、豪華な太巻きの差し入れがあったり、他からも貴重な差し入れがあって、体重を気にかけているこの身には罪な話である。
それもこれも、なにがしかのタネを撒いているから、こういったときに実りを見せる。そのほとんどの種まきは山の神の受け持ちである。私が撒くタネは、せいぜい畑のダイコンかホーレンソーくらいのもの。平生往生である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます