しぐれが音もなく降り続いている。時雨と書く。秋から冬にかけて、降ったり止んだりする雨で、間もなく冬の訪れを告げる季節の便りでもある。俳句の世界では、冬の季語となっている。
外国の人からみれば、日本語は難しいと思われるだろうなと思う理由の一つに、雨一つをとっても季節や時季によって色々呼び名がある。
それらを全て、解釈・理解しようとすれば無理があるだろう。「雨が降る」の一言で片付けられないわけではない。
ただ、我々日本人の心の中には、やはり先人の知恵や伝統を重んじる心意気がある。それが、たかが雨一つと言えども呼び方を大切にし、しかも季節感を言い表す端的な方法として重宝している。
今降る雨を しぐれ もう少し先で雪交じりの雨を 氷雨 と言う。年が明けて梅をほころばせ、桜のつぼみをふくらます雨を 春雨 次に菜種梅雨 そして さみだれ 梅雨 夕立 秋雨・・・と続いて一年を巡る。
細かく分類すればもっと増える。それぞれの呼び方によって、雨の降り方が微妙に異なることを、なんとなく身につけて知っている。それが、短歌や俳句などの季語として、また詠まれる内容としても大事に扱われている。
短歌や俳句をたしなまない私のような凡人には、しぐれと言えばその昔、NHKのど自慢で、参加者の3分の1が歌ったと言われるほど、空前のヒット曲となった ♪ 旅の落ち葉は しぐれに濡れて 流れ果てない ギター弾き 望みも夢も はかなく消えて~~…♪と歌われた、「落ち葉しぐれ」を思い出す。
この歌のように、しぐれは、どちらかと言えば、暗い背中を物語る世界へ引き込まれる。
もう一つ言えば、しぐれは和傘の蛇の目がお似合いである。
小さなこうもり傘で肩を寄せ合うのもいいが、やはり蛇の目傘の竹の柄にそーっと手と手を添える風情はもっといい。
そんな夢でもみて、早く寝ようっと……。
( 写真: 独断と偏見の犠牲になった 蛇の目傘 )
外国の人からみれば、日本語は難しいと思われるだろうなと思う理由の一つに、雨一つをとっても季節や時季によって色々呼び名がある。
それらを全て、解釈・理解しようとすれば無理があるだろう。「雨が降る」の一言で片付けられないわけではない。
ただ、我々日本人の心の中には、やはり先人の知恵や伝統を重んじる心意気がある。それが、たかが雨一つと言えども呼び方を大切にし、しかも季節感を言い表す端的な方法として重宝している。
今降る雨を しぐれ もう少し先で雪交じりの雨を 氷雨 と言う。年が明けて梅をほころばせ、桜のつぼみをふくらます雨を 春雨 次に菜種梅雨 そして さみだれ 梅雨 夕立 秋雨・・・と続いて一年を巡る。
細かく分類すればもっと増える。それぞれの呼び方によって、雨の降り方が微妙に異なることを、なんとなく身につけて知っている。それが、短歌や俳句などの季語として、また詠まれる内容としても大事に扱われている。
短歌や俳句をたしなまない私のような凡人には、しぐれと言えばその昔、NHKのど自慢で、参加者の3分の1が歌ったと言われるほど、空前のヒット曲となった ♪ 旅の落ち葉は しぐれに濡れて 流れ果てない ギター弾き 望みも夢も はかなく消えて~~…♪と歌われた、「落ち葉しぐれ」を思い出す。
この歌のように、しぐれは、どちらかと言えば、暗い背中を物語る世界へ引き込まれる。
もう一つ言えば、しぐれは和傘の蛇の目がお似合いである。
小さなこうもり傘で肩を寄せ合うのもいいが、やはり蛇の目傘の竹の柄にそーっと手と手を添える風情はもっといい。
そんな夢でもみて、早く寝ようっと……。
( 写真: 独断と偏見の犠牲になった 蛇の目傘 )
言葉に敏感なYさん・
最近、腹話術のできる人に出会いました。
歌って、その合間に腹話術ですよ。すごいですよ。
「心なき身にもあはれは知られけり…」 ではありませんが
少し寂しげに、でもしめやかに降る春の雨、ひと雨ごとに暖かくなって、そして命あるものには恵みの雨ともなり、冬の到来を予告するしぐれの冷たさ…
こうした諸々の感覚を表現する言葉があること自体、まったくもって賞讃に価すると思いますね、日本語は。
それへの鈍感さがもったいないと思いつつ暮らしていますが。
「季節」は様々に身にしみるわけです。
あのー、私は「落ち葉しぐれ」を知らないようなのですが…
それにしても日本語は難しいね。でもそこに奥深い味わいがあるのかもね。
これは、少ーしと言うかもっとと言うか、ついこの前の話ですよね。
螺旋絵日傘に可愛い振り袖…やっぱりハンドルネーム替えましょうよ。ラビアンローズ、ハニーローズ、プチキャッツそれとも みすずかわ こんなの如何??
蛇の目でシッポリ…ええですねー!!
アナタは生涯、オンナなのですから…。
目に映った瞬間を「絵」として捉えるのがねー。今一です。
鈍感どころか、季節を・季節の言葉を見事に身にまとってお暮らしですよ。
ただ、「落ち葉時雨」をご存じないと??当時は真面目一筋の向学少女だったのでしょうか。
かの有名な作曲家・吉田 正門下生の筆頭として昭和30年代の歌謡界を代表する、抜群の歌唱力と憂いを帯びた美声の持ち主“三浦洸一”の代表曲です。思い出して下さい。これを分かって頂かないと、昨夜のブログはパーになってしまそうです。トホホホ…。
パーにしてしまうのでしょうか…そんな~トホホホ…
三浦洸一は知っています。歌を聴けば、聞いたことあるなとわかるかもしれませんね。yattaro-さん、聞こえるように歌ってみて下さいませんか?
ヨーシッ、思いっきり大きな声で……。でもこの声ではねー。千里を渡る澄み切った声に生まれ変わりたいですね。
ちなみに、30年代前半は、中学・高校を駆け抜けた頃でした。