「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「薄桜忌」

2009年06月12日 | つれづれ噺
6月10日、時の記念日。 いつの日か、時間を余り気にせずゆったり過ごす日を迎えたい、時間に追っかけられない日々は素晴らしいだろう……などと思いつつ、ついには無い物ねだりでここまで来た。

ということは、常に時間にせかされ追い立てられ「…カネも要らなきゃ○○も要らぬ、アタシャもう少し時間が欲しい……」などという、ゆとりなき生き方をしてきたのか…と反省する。

言ってみれば、ボーっと過ごす時間が怖くて、いつも何かをしていなければ生きている気がしない…、生きている甲斐がない…、与えられた時間はわずかなのだから……などという、単なる貧乏性だけのことかも知れない。

さて、岩国で6月10日と言えば……? 知る人ぞ知る……果たして何人が覚えているんだろう。
錦帯橋の奥座敷、川西に生家を持つ、ふるさとの文豪『宇野千代』の祥月命日「薄桜忌」である。

生家と同じ通りにある、1592年に寺号を頂かれた由緒あるお寺の、本堂前に安置されたお墓の前で法要が営まれた。 宇野千代を顕彰する会のメンバー20人が焼香した。業績の割には淋しい命日法要ではある。
小さな地方都市の、数少ない偉大な文化功労者だと思うが、行政の姿勢・経済力などで、埋もれてしまうには惜しい気がしてならない。

細々ながら、誰かが力を寄せ合って、文化遺産・業績を顕彰して行かなければならないのだと思いつつ、わずかな手を差し伸べている一人である。

それにしても、時間に追われるのも事実ではあるが、「時の記念日・薄桜忌」も二日遅れのブログアップじゃ説得力には欠けるよねー…分かっちゃいるけど、取り上げたいネタなんですよ。お察しくだされお友達のみなさん!!

ちなみに、淡墨の桜をこよなく愛した宇野千代の生前を偲んで「薄桜忌」と名付けられている。

           ( 写真: 6月10日、降り続く雨の中で行われた「薄桜忌」墓参 )
コメント (12)
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