「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「答辞!」

2022年03月19日 | 季節の移ろい・出来事

                
                     岩国短期大学卒業式 学位記授与式

気の重い話が多い中で、時節柄お目出度い話もある。
昨日の孫君の小学校卒業式に続いて、今日は岩国短期大学の卒業式、正式には「学位記授与式」にお招きがあり、緊張の中に背筋を伸ばす心地よさを求めて参加させて頂いた。予想通り、素敵な話を胸に刻んで帰ることとなった。

式典が進む中で、卒業生に対して在校生から贈られるお別れの言葉「送辞」がある。そのお返しとして卒業生から在校生に贈る「答辞」がある。
送辞は、初々しさの残る1年生の女性がマイクの前に立つ。対して答辞は、少し年季の入った感じの女性が登壇し、演台に立つ学長に向かって訴えかける形式となる。「多くの有能な若い卒業生の中で、答辞を述べさせていただく機会を与えていただいたことに感謝申し上げます」から始まった。

早くから幼稚園で働いていた自分は、何年かするうちに幼児教育の壁にぶつかった。色々悩んだ末にもう一度基礎から勉強のし直しが必要なのではないかと思いついた。主人に相談し、子供からの理解も得て、改めて若い人に交じって短大入学を決意した。幸いに合格はしたものの、家庭との両立には家族の理解と協力はあっても、現実には大変な日々も少なからずあった。しかし、今こうして学位も授かり卒業出来ることは、周囲への感謝の言葉はどれほど言い尽くしても足りない。クラスメートとして普通にお付き合いしてくれた仲間、教師そして短大そのものに深い敬意と感謝の念で胸がいっぱいである。「やれば出来る」を改めて思い知らされた。これら数多くの体験を生かし、幼児教育により深く関わっていきたい。 

このような内容であったと思う。後輩の在校生にとってさぞかし、勇気を与えられ、頑張る気持ちにさせられる答辞ではなかったか、と第三者の立場で耳に残して帰った。
人の集まるところ色んな人生がある。少し関わってみると、世の中って面白いものだね~と気持ちがふっと軽くなったような得をした気分の一日であった。

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「小学校、卒業式」

2022年03月18日 | カープ一喜一憂
近くに住む娘夫婦の三男君が小学校卒業式を迎えた。
今、大学3年と1年の兄たちと同じように、ジジも保護者の一人としてカメラを引っ提げて学校へ。幸い、コロナ禍による参加制限のない卒業式で、ジジも肩身の狭い思いをせず参列できた。
 
   神妙な面持ちで、式場に入場             校長先生から卒業証書を頂いて
        
                教職員が見守る中、お別れの歌を合唱
講堂には在校生の姿はなく、教職員、保護者、来賓のお歴々のみで、まさに卒業生のお祝いに徹した卒業式であった。従来の形式を思うと、少し寂しさも残る式典であったのかな、などと感じないでもないが、そこはコロナ禍。式典が催されたことに感謝である。
           
                    教室に戻って、笑顔と涙のお別れ会
教室に戻ると、式場では見せなかった華やかな笑顔や、これ切れずにあふれる涙を抑える子もいる。いずれも、6年間を共に過ごした友との別れ、あふれる思い出が小さな空間を埋め尽くす、感動の一コマである。
           
              公務員で多忙な父親に代わって出席したジジの役割、親子にツーショット    
    
              思い出のDVD映像

式典前の「思い出のDVD」で流された個人の夢を描いたプラカードを掲げて。やはり予想通り、孫君の夢はプロ野球選手ときた。
なるかならぬか、やってみなきゃ始まらない。3歳のころから共に汗を流した同志である。頑張る姿を見せて欲しいものだ。

年の離れた3人目の倅が晴れて小学校を卒業する。さて親の気持ち如何ばかりか。子煩悩な父親もさぞかし出席したかったであろうが、仕事柄、どうしても抜けられないという気の毒な事態ではあった。
長いこと降らなかった雨が、今日に限って本降りの大雨をもたらした。
これもまた、大きな節目の日の思い出に重なるのかもしれない。晴れていたら運動場に出て、それはまた違ったお別れの仕方もあったのかもしれないが、
教室には、教室でのお別れという親しみもあったろう。
 
一区切りついた。また一つフンドシを占め治してジジの応援の気持ちに火が点くのかな(笑)        
 
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「肝をつぶすような!」

2022年03月17日 | ビッグニュース

                                                          
                   地震発生により脱線した東北新幹線

またまた東北地方で大きな地震が発生した、と昨夜の寝入りばなスマフォの緊急無線がけたたましく鳴った。夜11時半頃だったろうか。慌ててテレビのスイッチを入れると、福島県沖を震源とする地震発生、と先ず第一声が。何はともあれ「津波の発生は」と気に掛かる。宮城県から福島県にかけて、震度6強の揺れを観測した、と速報が伝えている。

やがて震源や地震の規模が分かってきた。マグニチュード7.4であった。気象庁は「大きな津波はない模様」との推定を出し、取り敢えずはホッとした。東日本大震災から11年という追悼記念式典が行われてから、1週間になるかならないうちに、これほどの肝を潰すような地震発生である。災害は忘れた頃にやって来ると言うが、とんでもない、忘れるどころか思い出の哀しみに浸ってまだ涙も乾かないうちの地震災害。しかも、交通機関も稼働している時間帯で、東北新幹線の脱線という、あわや大災害につながる恐ろしさを秘めていた。幸い、こちらも乗員乗客合わせて78人に怪我がなかったことは、まさしく不幸中の幸いである。

地震から遠く離れた地方でも、スマフォの緊急発信で知り得て身体が震える思いがするというのに、実際に揺れの大きさを体感した人たちの思いは如何ばかりであったろう。時間の経過に従って被災の大きさが判ってくるのだろうが、兎に角大きな災害にならないことを祈るのみである。

ご心痛に眠れぬ夜を過ごされたであろう多くの皆様に、ただただお見舞いを申し上げます。







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「ワクワクのネタも」

2022年03月16日 | カープ一喜一憂

             

時は春、世に咲く花々に先駆けて梅がほころび、多くの花が追いかけるように咲き競う。
今やカンザクラや川津桜は咲き誇っており、間もなくソメイヨシノの開花宣言が耳にうるさく聞こえようかという季節を迎えた。
そんな中でも楽しみなのはプロ野球広島カープの躍動である。あと10日もすればいよいよペナントレースが始まる。

そんな楽しみを大声で喜ぶのは、何か悪いことをしているように肩身の狭い思いをするのも、あのプーチンロシアの野望のせいである。このような人類の敵を早くプッチンする英雄・ヒーロー・月光仮面・白馬の天使みたいな人が現れないかしらねー。それとも、話し合いの下で人道開眼させて矛を収めさせる説得ジョーズは出てこないものだろうか。

そんな閉塞感にさいなまれながらも、ひとりの野球ファンが小さな声で静かにプロ野球の開幕を待っている。お隣広島に本拠地があり、子供のころからプロ野球と言えばカープと聞かされて育った。音声が時々途切れる古いラジオを、叩いたり撫でたりして耳をくっつけるように実況放送を聞いていた親父さんの姿を思い出す。今は地上放送、BSにCSがあれば、名古屋も神宮も横浜も、どこでやっていてもカープの試合は見られるご時世。負けてガッカリ寝付きの悪いこともたびたび。それでもやっぱりカープさんなのだ。

今年は固定の4番バッターがいないカープ。この点では物足りなさもあるが、野球とは9人が束になって戦う団体連携ゲームである。一人に頼るよりみんなが精一杯の力を出し合う方が強いし、面白さが倍になる。小粒の集団でいい。負けん気とやる気をみせてくれたら、成績もあとから付いてくる。待ち遠しい。イヤな浮世を瞬間的に忘れさせるエンターテイメント。それを野球に求めたい。クルマで30分も走ればカープ二軍の本拠地がある。それに4月からは中学校野球部として白球を追う孫君の応援も出来るというもの。塞ぎ込んでばかりいられよう。

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「アイタタッ!!」

2022年03月15日 | 健康イチバン!

                 

左肩故障による手術執刀から、今日で丸4カ月が経過した。
定期検診が予定日の今日は、2月8日以来1カ月と1週間ぶりの主治医とのご対面となった。
簡単な問診と、身体全体の活動状況や患部の可動具合をチェックされた。次回5月半ばの術後6ヵ月のCT検査、同じく7カ月目のMRI検査予定を告げられて、久しぶりのリハビリステーションに送られた。

こちらはコロナ蔓延防止特別措置のあおりを食って、外来リハビリはしばらくの間ご遠慮を申し渡されてまだ解除されていない。
いわゆる自習によるリハビリがひと月半続いていて、それらしいプロフェッショナルによるホンモノのリハビリから遠ざかっている。自分自身が痛いのを我慢して伸ばしたり縮めたりひねったりする作業。これは至難の業である。それでなくても、痛いこと怖いことはあまり好きでないタイプ。少し痛ければすぐに辞めてしまう。

そんな状況を見透かしたように、久しぶりにお手合わせ頂く担当の女性療法士さんの手はしっかり動く。ここはこうして少し力を入れて押さえる。こんな治具を使ってこういう姿勢を保ってください。などと多くの注文が出される。
そのたびにこちらは、マスクの下の口を大きくあけて「アイタタッ!」「ヒー、イタイツ!」と悲鳴を押し殺して我慢をする。そっか~、このくらいまで患部を攻め続けないと、元通りへの回復は難しいのだということを気持ちの奥で納得する。でも、家に戻ってから本当に出来るか?出来そうにない。

こんな甘え体質じゃどうもならんな~と思いながら、やはりアイタタッ!は怖い。などと言ってるといつまでもリハビリが続くことになる。仲間が待っている。早く可動域を広げて人並みに動かせるように。少しだけ残っている根性とやらを刺激して、本気で頑張ってみよう。

と、ここで宣言しておかないと、どうも自分の誓いだけでは長続きしそうにない。困ったものだ。

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「戦争とスポーツ」

2022年03月13日 | ニュース・世相

          

北京パラリンピックが、10日間の熱闘を繰り広げ、今夜静かに幕を閉じた。
個人的には、かなり熱を入れて応援したつもりではある。しかし、飽くまでも私個人の熱の入れ方、気持ちの入り方は、先日のオリンピックほどの盛り上がりに至らなかった。これは、パラリンピックに出場した選手に大変失礼なことだと自分自身反省している。

但し、オリンピックとパラリンピックを比較したり、好みがどうだとか、そんな次元の話ではない。
パラリンピックも手に汗して応援したかった。そのスポーツ観戦に必死になる自分を「浮かれるんじゃないよ」と戒める声がどこからともなく聞こえてくるようで、100%の情熱を傾けるに至らなかったということである。その戒めの声はウクライナという主権国家の危機に瀕した悲鳴の声であったり、世界中の「戦争反対・大国の横暴を許すな」という声である。

B29の爆撃から逃れるために、どこをどのように逃げたのか、千切れそうなほど手を引っ張られて、足にミミズ腫れを作りながら、兎に角逃げた。手を引っ張るのは10歳の兄で、手を引っ張られるのは3歳の私。今も微かに残る唯一の戦争体験である。これだけは、3歳の記憶として不思議にも気持ちと頭の中に生きている。

その遠い記憶が、今のウクライナの惨状と重なって、パラリンピックに心からの声援を贈る気持ちになれなかったということだと思う。
パラリンピックは静かに閉幕した。一日でも一時でも早く、ウクライナの人々に静かな安心の夜が訪れて欲しい。戦争を、ロシアによる侵略を早く閉幕してほしい。そんな祈りと重なるパラリンピック閉会式であった。

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「成長の春!!」

2022年03月12日 | 家族・孫話

             
          卒団式セレモニー。整列して監督から賞賛の言葉を受ける。  前列左、孫君

幼稚園年少のころから、カープ坊やのプラスティックバットを振りまわし、俊敏にボールを追いかける孫三男君にぞっこん。流れる汗もいとわず一緒に公園を走り回った。せがまれるままカープ二軍の本拠地由宇球場に何度も何度も足を運んだ。そうこうするうちに小学生になり、間もなくソフトボールチームに入れてもらった。学校は宿題を追っかけるのが精一杯。完全なアウトドア派にさせてしまったようだ。

5年生以上からなる、地域の選抜チームには特別枠で4年生から入れてもらって、先輩たちに揉まれた。様々な対外試合や遠征にも連れて行ってもらい、監督はもとより、よきコーチよき先輩に可愛がられた。そんな孫君も小学6年生の3月、まさしく大きく成長する春を迎えた。小学校のソフトボールチームを卒業することになり、その卒団式が今日執り行われた。昨年12月ごろから期待を寄せていた小学校生活最後となる公式試合が、ことごとくコロナ禍による中止となり、本人は落胆を口にしないがジジとしては「見たかったな~、声援を贈りたかったな~」と愚痴になる。

卒団式のメインである監督から選手一人一人へのねぎらいの言葉では、「悠雅君とは長い3年間の付き合い。よく頑張った。仲間をまとめてくれてありがとう」と言われて、本人よりもジジが感動した。そして選手一同や保護者から、監督・コーチへの感謝の言葉や記念品が贈られると、子ども達や親御さんに代わって、このジジの感謝の気持ちを監督やコーチに贈りたくなったりする。それほどジジにとって元気と勇気をくれる大切な応援時間であった。

  
 新チーム相手に最後の練習試合          監督・コーチ・スタッフにお別れの挨拶を

セレモニーの後、卒団チームと現在チームとの練習試合が行われた。このバッティング姿もピッチング姿も今日が最後と思うと、感無量。但し、1ヵ月もしたら、今度は中学生として、クラブ活動で一つ成長したユニフォーム姿を見せてくれるだろう。
勝手な言い分だが、まだまだ楽しみは続く。この春をステップにまた色んな成長を見せてくれることだろう。たとえ迷惑がられようと、出来るだけ長く、元気で応援団を勤めたい。

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「3.11 祈り!」

2022年03月11日 | ニュース・世相

2011年3月11日。あれから11年を経た今も、心の奥に鮮明に息づく「東日本大震災の痛み」。自然災害の猛威、恐ろしさ、追悼の念。 
NHKニュースに流される映像の一つ一つが、忘れ得ぬ記憶として胸に突き刺さる。そして、近い将来発生が予測される南海トラフ大災害。その時私たちはどんな行動をとるのか、どんな行動を起こすのか。11年前の体験は過去ではない。現在に生き、将来への道しるべの役割を果たしている。

   
 
                   追悼の祈りは、途切れることなく永遠に続く。

      
    何もできなかった、何もしてあげられなかったが、私たちの仲間は、粛々と完全復興を目指して、元気を取り戻しつつある。

あれから11年、私たちに突き付けられた課題に、どれほどの対応が取れているのだろうか。自然災害と言う魔物は、まさに我々の遠く及ばない魔力を秘めている。魔力が発する課題は無限であり、対応もまた無限である。それでも、自分を守り、近くの大切な人も守るにはどうすればいいのだろう。
常日頃から考えておきたいことである。よくわかっているのだが。災害は忘れたころにやってくる。3.11は忘れてはならない。                                      

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「保険あれこれ」

2022年03月10日 | 健康イチバン!

            

このたびの手術を伴う長期入院では、県民共済や任意で入っていた生命保険などには色々お世話になった、というか助けられた。
後期高齢者医療保険機構からは、医療費の支払額に応じて、高額医療費と判断されたら払い戻しが送金されていた。
幸いなことに、このたびのようなアクシデントでもない限り、普段は高額医療費を支払うような病気を持っていないことは有難いと思う。

30歳代に入った保険で、今もって保険料を払い続けているがん保険もあれば、若いころに無理をしてでも掛け金をやりくりして払い終えて、終身保証されている保険など、数多くの保険にお金をかけ、悩みを託してて来たものである。
給与収入がなくなる60才定年の時に、大幅な保険の見直しをした。多くが掛け捨てなので、どうかすると保険料倒れになりそうな時期もあった(笑)

そして今回、80才を超えると、掛け金は同額でも保障内容が一気に減額される。
これはちと淋しいものがある。とは言っても年金収入では、満足いくまでの保証を求めるには無理がある。
それでも80才を契機に、新たな共済やら新しい保険など色々勧めて頂く。なるほど、掛け金支払いに余裕さえあれば、それもいいね、これも入っておくと安心ね、などと思うには思う。だが現実問題としてお断りすることになる。このお断りするのにかなりのエネルギーを要するのである。

そして最後には、この掛け金で支払う2年間分の金額と、2年後に病気にかかって受け取る保険金額と天秤にかけてみたりする。
案外、貯蓄したと思って掛け金分を通帳に残すもの悪くはないねー、などと思ったり複雑である。
そしてとどのつまりは、「如何に平生の健康管理をしっかりして、病気にかからないこと」という誓いを立ててみる。
ウ~ン、これも一理はあるが危うい橋ではあるね~などなど。年齢の節目、色々悩みはあるものですな~、ご同輩。

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「見切り発車!」

2022年03月08日 | スポーツ・観戦

              

なんと、4ヵ月以上120数日ぶりに、仲間が待ってくれているG・ゴルフ同好会に顔を出した。
肩腱板損傷修復手術の主治医からの正式な許可も未だもらってはいない。リハビリ担当医学療法士さんからも「G・ゴルフを再開してもいいですよ」などという話も聞いてはいない。それどころか、リハビリの先生とはもう1ヵ月以上音信不通である。

時は春。そんな中で、鬱々とおこもりばかりもしていられない。いつ来るとも分からない電話を待ってばかりもいられない。無理のない範囲で、痛さも我慢できる範囲で、セルフリハビリを兼ねて可能な限り、肩を、腕を動かしたい。動かさないと益々動きがぎこちなくなる。半分身勝手な理屈で、正式な許可もないまま、見切り発車のG・ゴルフ復活である。

やっぱり楽しい。仲間との会話はいい。ボールを打つ時の「カチン!」という音と手に残る感触は、始めて間もなく3年になるが、これまでの感触とは違う新鮮さが感じられて気分爽快。ただ、はしゃぎ過ぎて肩に掛かる負担を忘れないようにしないと。もっとも、今日のところはただただ普通に、ホールポスト目掛けて、打ち過ぎないように優しく優しく。意外にもスコアーは4ヵ月前と大きく変わらないのは、若さゆえか?そんなこともないか。

コロナ対策、インフルエンザ対策など、まっとうな対策を講じる中で、少しの勇気を奮って仲間とのつながりを求める。心身のリフレッシュになる。

今日も病院からの「リハビリ再開」のお知らせの電話もなかった。見捨てられたわけでもないだろうから、今はただ待つだけ。
足腰や肩だけでなく、脳みそを含めた身体全体の老化と闘わなければならない。人との付き合い、本との出会い、自分自身でも書いてみる。老化との闘いのエネルギーは色んなところにあるものだ。

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