「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「待ちぼうけ」

2022年03月07日 | つれづれ噺

  
   待ちぼうけの歌碑(福岡県柳川市)       作詞 北原 白秋  作曲 山田 耕作

♫ まちぼうけ まちぼうけ あるひせっせと のらかせぎ ・・・・・・♪ と唄われるあのお馴染みの童謡「待ちぼうけ」。
大正13年、1924年に、北原白秋・山田耕作によって作られ、満州唱歌の一つとして発表されたのだという。
その歌碑は、どういうわけか、福岡県柳川市に現存しているのだそうだ。

歌詞にあるように、そこへうさぎがとんででて、ころりころげたきのねっこ。これは怠慢堕落を戒めた厳しい教えの歌であるという。
偶然のラッキーな出来事を期待して時間を無駄にするな、勤勉に働けという言葉を隠した教えなのである。

ただし、私がここで言いたかった「待ちぼうけ」は、これほどの前置きも理屈も必要のない、ごく単純な話である。ちょっとした期待をかけて待った結果が、こちらの期待に添わなかったねーということで、一攫千金を目論んだ結果に破れてガッカリしたなどという面白い話ではない。

実は、お隣広島県に出されていたコロナ感染まん延防止特別措置が、昨日3月6日で打ち切りとなった。広島西医療センターから出されていた、外来リハビリの受診回避措置が廃止されて、明日にでも外来リハビリが再開されるとの連絡がありはしないかと、一日中スマフォを手放さず待っていた。残念ながら新たな連絡などないまま待ちぼうけを食わされた。
リハビリ再開はいったいいつになるんじゃろう。という、ちっぽけな超プライベートなつまらん話の上に、昨日のブログに重なって誠に申し訳ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「待ち望んだ花が!」

2022年03月06日 | 季節の移ろい・出来事

  
           ようやく初咲きの花を見せた寒アヤメ。例年の一カ月遅れ。

春まだ浅き2月初め、我が家に春の予兆を知らせてくれる季節の花寒アヤメ。今年は何を間違えたか一向に咲かず、今日やっと最初の花弁を見せた。例年より約1ヶ月遅れの初咲きである。
正直なところ「今年は咲かないんじゃないの?」「なんでじゃろう、何か良からぬことの前兆か?」などと心配した。
他に花らしい花もない厳寒の中で「涼やかに凛と咲く」そんな言葉がよく似合う花。今日か明日か、いつまでたっても咲かないのは実に寂しいものだった。

例年は先ず一輪がご機嫌伺いの如く咲いてみせる。しばらくするとあちこちいっぱい咲き乱れる。寒さに凍える朝でも、今日は何本咲きそうかわざわざ見に出てしまう。そんな魅力を秘めていた。それが今年の場合、出遅れの詫びのしるしか、珍しく一気に2本が咲いている。よかった!この季節にこの花を見ないのはなんとも寂しいことだ。やはり何事も普段通りがいい。何か変わったことに出会うとつい自責の念に駆られる。そして未だ癒えぬ肩の故障に連なって碌なことを考えない。

今日をもって、お隣広島県に出されていた新型コロナまん延防止重点措置が解除されることになった。ということは、病院から出されていた「外来リハビリ診療見直し措置」が解除されて、計画通り週2回のリハビリが復活することになるのだろうか。「休診中はご自身で計画的にリハビリ」を行って下さいと言われてもね~。動かせば痛いのだから、無理をしてまで伸ばしたり後ろに回したりは出来ない。そこはやはりプロフェッショナルに頼りお任せするしかない。いくら自身で頑張っても限界がある。

それでなくても元通りの動きを取り戻すのに半年はかかる。と言われて受けた手術なのだから、リハビリは大切な回復への道筋である。自分なりにあれこれ試してはいるが、間違えると大変なことになる。早くリハビリ再開を待ちたい。寒アヤメも咲いたし、いい方向に流れてくれると有り難いのだが・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我が家の啓蟄」

2022年03月05日 | 季節の移ろい・出来事

            
           水底に沈んで姿を見せなかったメダカさん、ようやく浮いてき始めた

立春・雨水・啓蟄・春分と続く二十四節季。
今日は、冬ごもりで地中に眠っていた虫たちが、春の陽気に誘われて地表に這い出し始める日と言われる啓蟄。
旧暦の1月後半から2月の前半。つまり新暦では3月初め、ちょうど今頃のことを言う。啓(けい)は開くという意味であり、蟄(ちつ)は虫などが土中に隠れ閉じこもるという意味であることは、先刻ご承知の通りである。

我が家では、虫が地中から顔を出す現象は捉えていないが、虫に代わって水面近くに浮き上がって、自らの姿をはっきり見せてくれるメダカさんがいる。
一昨日、昨日の陽気に誘われて、直に太陽光線が当たる時間帯は水面に浮き上がってくるようになった。昨日少しだけエサを与えたら、最大限の警戒をしながらも美味しそう食べた。今日は明らかにエサを待つ仕草を見せる。少しバラまくともう我先にパクついてくる。これでまた、朝の行動パターンが定着した。はしゃぎながら踊るように食欲を見せるメダカに声をかけながらエサをやる。

季節は巡り春の様相を示す啓蟄の今日、北京パラリンピックの競技が始まった。
オリンピックはもちろん、必死に応援しながら見るが、パラリンピックは今ひとつ別の感情移入があって感動しながら応援している自分がいる。
今回も個々の競技においてはその気持ちに変わりないが、世界の情勢の中で考えると、今日のスタートそのものが「これでいいのか」という疑問となり、せっかくの興味までが少し薄れてくる。

ましてや、侵略戦争以外の何ものでもないロシアによるウクライナ攻撃。それに加担するベラルーシ。そのロシアもベラルーパラパラリンピック参加を認めるという案を発信するJOC。スポーツと政治の世界は別物という建前は承知している。しかし今回の場合は、世界中の人の常識に逆らうものであり、人道違反を助長する考えであることに気付かなかったのだろうか。開催国の意向や核の使用も辞さないと豪語する国に配慮したのか。結論的には世界の常識が勝ったようで、2国の参加は除外された。理の当然。

そんないきさつが背景にあるパラリンピック。多くを考えず、ただただ選手の情熱だけに応援を贈ることにしよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「キャベツご難!」

2022年03月03日 | 晴耕雨読

  
              キャベツの畑に群がって、青物の補給に余念がないヒヨの一大集団

  
               食い荒らされて小さくなってしまったキャベツや小松菜

弥生3月スタートの3日間は、窓のすぐ外の異変や野鳥のすさまじいまでの食欲と、普段とは異なる行動にくぎ付けにされてしまった。
わずかな晴耕雨読ともいうべき菜園活動もしてきたが、その中でも数えるほどしか植えていないキャベツや小松菜が、無残にも食い尽くされた。
お好み焼きか、ロールキャベツか、人間様の食べ方を予測してはいたキャベツだが、ヒヨの集団に目を付けられてしまったら、これはこれで不運と半ばあきらめて、エエイッ!こうなったらヒヨの集団にくれてやる。しっかり青物野菜を補給して元気で暮らせ!と開き直っている。

その数なんと30羽とは言わない大集団。昨日昼はまだ赤かったクロガネモチが、今日の午後には赤い実は見られない、青黒い大木に様変わり。畑はくだんの如く、折り重なるように我先に葉っぱを食いちぎる。ただ用心深い彼らは、見はり役がいて、異変に気付いたら一斉に飛び立たせる。こちらもカメラを構える手も慎重さでコチコチになる。しかもガラス越しでないと撮らせてはくれない。ピントなどあわせる暇もなくパチリパチリ。などと、己の未熟さを弁解しておく。それにしても春先の面白い3日間であった。ここらでこんな話はお終いにして・・・・・・。

理不尽で、現代社会で尚こんな事態が現実として起こるのか、という侵略戦争が続いている。
しかも狂気の沙汰かと神経を疑いたくなる「核兵器を保有している大国」と自ら豪語するに至っては、我が国なども平和条約締結どころか、北方4島の続きでロシアの出先機関だ、と言い出しかねない。侵略の対象になり得る。北がロシアで南は中国が同じようなことを言う。どちらも核保有の大国。
どうすれば独立国家として自国を守り抜けるのか。厳しい時代が見え隠れする。

せっかくの花咲く春の訪れにふさわしくない話題であるが、これもまた一つの現実ではある。
いい夢を見たい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「弥生二日は霧の朝」

2022年03月02日 | 季節の移ろい・出来事

冷たい春雨でスタートした弥生3月。二日目はなんと、この目で見たことのないような白い世界が広がっていた。
それも、雪が降ったように地面が白いのではなく、空気が白い。目の前に広がる景色が白い。数十メートル先は何も見えないただ白い厚い壁。
そんな夢のような世界が広がる、弥生二日目霧の朝であった。

大洋を航海する船乗りさんにとっては死活を分ける厄介な霧が、部分的に切り取ってみると意外な一面を見せてくれる。
この地方では滅多に見ることのない陸上の霧の世界。季節の変わり目は、想像を超える色んな形を見せる自然という怪物。簡単に見逃さないようしたいものだ。

そんな魔法みたいな「霧」というものの発生する条件とは、簡単に言うと「風のない晴れた夜などに放射冷却で地面の温度が下がり、それによって地表付近の空気の温度が下がる。 このとき空気に水蒸気が多く含まれていると、水蒸気が水滴となってが発生する。 は内陸の盆地などで発生しやすい。」と説明されている。

         
         遠くに海が望めるはずの窓の向こう。一面に白い世界が広がる。   

         
          真っ白い霧に包まれて、数10メートル先は視界が消える。

そしてこの白い世界は、野鳥たちの行動にも異変を来していると見た。
あの縄張り意識が強く、自分たちつがいの食域によそ者が侵入しようものなら、あのとてつもない甲高い声で執拗に追い払う。
我が家に実るクロガネモチの赤い実は、いつもやって来る二羽のつがいの独壇場であった。それが、今朝に限っては30羽近くが、折り重なるように仲良く赤い実をついばむ。
赤い実に飽きたら今度は畑に降りて、取り残しのキャベツの葉っぱをかじるかじる。それも半端な数ではないので、飛び立った後を見ると、キャベツ3本の葉っぱの先は見るも無惨な残骸となっている。
やるもんだねー。野生には野生の仁義があって、霧で見えにくい危険を冒して遠くまで飛ばずに、今日はここで宴会でもしようや、という粋な計らいをするリーダーがいたのだろうか。

色んな思いをさせてくれる弥生のスタート。なんだかいい方向に向いてくれるといいねー。

                        。
            これまで見たことのないヒヨの意外な光景
       
            縄張りを越えた異常な集団行動を見せる        
    一本の木に群がるヒヨ。今朝の濃霧は彼らにとってどんな働きかけをしたのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「雨の弥生ついたち」

2022年03月01日 | 季節の移ろい・出来事

                
                     バーバ心の詰まった宅急便

何かしらいいことを期待したくなる弥生3月。いよいよ今日から。
梅の花は今を盛りと咲き匂い、3年間の高校生活に別れを告げる高校卒業式の日でもある。昨日まで続いた好天気がもう1日待ってくれたら良かったのに。残念ながら朝から冷たい雨に見舞われた。それでなくとも、彼らの3年間は新型コロナウイルスの陰に怯えながら、何かと行事や活動が縮小される窮屈な生活を強いられてきた。

せめて卒業式は、在校生や保護者の祝福を浴びて晴れやかに大声で校歌を歌い、進路が異なる友と笑顔の別れ、笑顔の再会を誓う姿を熱望していたのだが。現実は在校生不在。保護者も人数制限、校歌も声を出しては歌えない。お世話になった地域の人や来賓などの祝福もシャットアウト。本当に気の毒な現状を目にした。但し、これらの原因のほとんどは彼らの手の届かないところで発生したこと。運命のいたずらとも言うべきことなので、落ち込むことなどではないことを自覚することだ。そして、人生には想像だにせぬことが起こり得ることを肝に銘じて、強く逞しく幅広く、くじけない人生を送って欲しいと願うばかり。

いつまでも続くコロナ禍は、長いこと孫にも合わせてくれない。3月3日のお雛様にはせめて雛あられでも食べさせようとのバーバの願いを込めて宅配便発送を計画。あれもこれも欲張ってしまう。そんな感情も2月は、いまだ寒さに閉じ込められて行動を起こせない億劫さがある。なにの、3月の声を聞いたとたんに「孫の笑顔を呼び覚まそう」などと、身体が動くようだ。それが春と言う季節の特徴なのかも。

弥生三月春はそこに。何か面白いことに期待しよう。身体を動かそう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい