水底に沈んで姿を見せなかったメダカさん、ようやく浮いてき始めた
立春・雨水・啓蟄・春分と続く二十四節季。
今日は、冬ごもりで地中に眠っていた虫たちが、春の陽気に誘われて地表に這い出し始める日と言われる啓蟄。
旧暦の1月後半から2月の前半。つまり新暦では3月初め、ちょうど今頃のことを言う。啓(けい)は開くという意味であり、蟄(ちつ)は虫などが土中に隠れ閉じこもるという意味であることは、先刻ご承知の通りである。
我が家では、虫が地中から顔を出す現象は捉えていないが、虫に代わって水面近くに浮き上がって、自らの姿をはっきり見せてくれるメダカさんがいる。
一昨日、昨日の陽気に誘われて、直に太陽光線が当たる時間帯は水面に浮き上がってくるようになった。昨日少しだけエサを与えたら、最大限の警戒をしながらも美味しそう食べた。今日は明らかにエサを待つ仕草を見せる。少しバラまくともう我先にパクついてくる。これでまた、朝の行動パターンが定着した。はしゃぎながら踊るように食欲を見せるメダカに声をかけながらエサをやる。
季節は巡り春の様相を示す啓蟄の今日、北京パラリンピックの競技が始まった。
オリンピックはもちろん、必死に応援しながら見るが、パラリンピックは今ひとつ別の感情移入があって感動しながら応援している自分がいる。
今回も個々の競技においてはその気持ちに変わりないが、世界の情勢の中で考えると、今日のスタートそのものが「これでいいのか」という疑問となり、せっかくの興味までが少し薄れてくる。
ましてや、侵略戦争以外の何ものでもないロシアによるウクライナ攻撃。それに加担するベラルーシ。そのロシアもベラルーパラパラリンピック参加を認めるという案を発信するJOC。スポーツと政治の世界は別物という建前は承知している。しかし今回の場合は、世界中の人の常識に逆らうものであり、人道違反を助長する考えであることに気付かなかったのだろうか。開催国の意向や核の使用も辞さないと豪語する国に配慮したのか。結論的には世界の常識が勝ったようで、2国の参加は除外された。理の当然。
そんないきさつが背景にあるパラリンピック。多くを考えず、ただただ選手の情熱だけに応援を贈ることにしよう。