先回アップしたと同じ風景ですが、山を見るとマックスとの登山を思いだす。
左のややとがった山が「上権現堂」そして、少し右の丸みがかった山が「下権現堂」です。
そして、その又右の雪で白く見える山は「毛猛山」で下権現堂との間が旧広神村の最高峯だった「唐松山」です。
フィルムカメラの写真をスキャナーで取り込んだ一枚で日付が01.10.21とありますから今から13年前の写真。
マックスは二歳半でしょうか、子供から完全に大人になっていました。
天気の良い日に夫婦でマックスを伴って登った「権現堂山でした。
マックスは先頭を切り、先に登ってはまた戻って来る事の繰り返しで私たちの倍は歩いていました。
でも、この登山の後大事件が勃発。
マックスは「レプトスビラ」と言う法定伝染病に指定されている病気の病原菌を拾ってしまったのです。
それから半年近くも生死の狭間をさまよう事になります。
獣医さえ見放すような重態から回復させたのは、スベルべママと長女の献身的な手当て。
マックスの前の飼い犬「チロ」を事故で亡くしていたスベルべは悲嘆に明け暮れ、
ただ、おろおろとし、そして夜は居間でマックスと共に寝て泣いていたものでした。
話しは前後しますが、これはその前の年の10月の「唐松山」登山。
14年前の若き日のスベルべと一歳半の若き日のマックスです。互いに若かったなー。
紅葉に混じって、赤い実が点々と見えますがそれは「ナナカマド」です。
その真っ赤な実をレジ袋いっぱいに採って持ち帰り「ナナカマド焼酎」を作った記憶も有ります。
さて、先を行く登山者はその健脚に驚かされた人で、「権現堂山」から縦走してきたと言い先を急いでいました。
そして、その後にスベルべママを従えてリーダーのように歩くマックスの姿が見えます。
スベルべのマックスに対する躾けも有ったのでしょうが、リーダーのような気質で何時も先を歩いていました。
実は、写真は見つからないのですが、この前年には生後8カ月余りで、「浅草岳」にも登っていたマックスです。
あの、「レプトスビラ」事件さえ無かったらもっと一緒に山に登っていた事でしょう。
でも、病気から奇跡の回復を遂げてからも、新潟、山形県境の「日本国」などにも一緒に登っています。
あのころの一つの夢として、夫婦でマックスを伴いテント泊で山の縦走と言うのが有りました。
残念ながら、夢は果たせないままに、マックスも飼い主も年老いてしまったと言う訳です。