畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

連載56 「ユキワリ草」

2016-03-10 18:18:23 | 登山

 (腰が曲がったスベルべママママには少しきつかった)


 (かすかに見えるユキワリ草)


 (暖かな顔を見せる日本海)      

  「ユキワリ草」

 妻の友人であり、私と同じ山岳クラブに所属する女性から、山行を誘われた。
いまならきっとその山はユキワリソウの花盛りだと言う。
雪の中の生活から抜け出したい気持ちも強く、誘われたままに行く事に決めた。

 我が家からは遠くもないので、雪の中の生活に退屈している事では同じであろう妻の八十二歳の母も誘った。
四月のある日曜日の事である。

 山のふもとから少し登った駐車場に着くと、満車状態。近隣のナンバーが多く、
雪国の長い冬の生活から抜け出したい人々は多いようだ。空きを見つけて車を止め、早速足拵えをする。
大きな案内図を見て、妻の母に無難な高低差の少ないコースを歩くことにした。

ハイキングコースに近いとは言え、やはり日本海に臨むその山はそれでも起伏が多い。
歩き始めて間もなく、木陰にユキワリソウの可憐な姿を見つけた。
幾度と無く沢沿いに下ったり、尾根を登ったりを繰り返した。すると、次々に群生が目の前に現れた。

 驚くばかりに自然の姿が残されている。
しかし、それは何も人の手を加えずに残っていたのでない事は当然のことだ。
地元の人達が中心になり、道路を整備し、盗掘に対する見回りをしたりして守り、増やした努力の結果だと言う。

 頂上に着き、見下ろす日本海は春の太陽を小波に照り返しのどかに揺れている。
しかし、春霞のためか佐渡を見る事は適わなかった。
気が付くと頂上直下の斜面の一角は、カタクリの花が満開だった。

 山菜取りで足腰を鍛えた義母もさすがに疲れたようだ。
腰がかなり曲がってしまった義母は下りが辛いのだと言う。
ゆっくり休み、周回の下山コースをたどった。途中では珍しい「コシノカンアオイ」の花も見られた。

最後は有名な寺「国上寺」に着いた。近くには良寛様の終の棲家「五合庵」もある。
 冬篭り状態から脱するには義母にはともかく、私たちには程よい気持ちの良いハイキングだった。
ちなみにお寺は「こくじょうじ」。その山は国上山と書くが「くがみやま」である。


 (連載アップを飛ばしちゃいました)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

剛毅な先祖がいた

2016-03-10 05:05:23 | 暮らし

 今から140数年前の「戊辰戦争小出島の戦」の戦場です。
分かり難いが右に魚野川に注ぐ「佐梨川」が見える。

 この左には同じく魚野川に合流する「破間川(あぶるまがわ)」が有り、小出島はその間。
ここに会津藩の陣屋が有り、そこを中心に守る会津藩士と薩長を中心とする官軍が戦った。



 これは、「佐梨川」の南方の大力山から見た風景。
官軍はこちら側から佐梨川を越えて小出島になだれ込んだ。

 そして、別の薩摩、長野勢を中心とする一団は奥左の堀之内方から小出島へと攻め入った。
よほど長時間に亘る戦いのように記憶していたが、実際の戦は2時間ほどで決着を見たようだ。



 その史実を自分の体験、そして見聞した内容で記した記録が残っている。
一農民に過ぎない「小幡梅吉」なる人が、イラスト入りで書き留めていたのです。



 これは、その原本をガリ版刷りでまとめた物。
その後、近年亡くなられた「磯部定治」と言う方が現代語訳され、出版されています。

 我が家の先祖と言うか、母方の祖父の父が伝説的な豪傑でエピソード的な話を聞いている。
この「戊辰小出島戦争記」を読みながら、不思議な感覚に浸っています。


  「昔話」

 昔、夜道を歩く人々を怖がらせる人魂があったそうだ。
夜道の脇にくっきりと浮かび出て、それを見た村人は震えながら、後も振り返らずに逃げ帰った。
その夜道はしばらく人影が途絶えたそうである。

 祖母の父、私の曽祖父が繭を町場の問屋まで売りに行った帰り道の事である。
一杯やって帰路につくと山中の村に帰る道中は暗くなってしまった。
剛毅な曽祖父は期するところも有ったのであろう。

 人魂が出るという噂の場所まで来ると、道から少し離れた林の中に噂どおりに出たそうだ。
豪胆な曽祖父は「狐か狸の悪さに違いない。ここは一つ懲らしめて、悪戯を止めさせよう。」と考えた。
持っていた、竿秤の分銅を風呂敷に包み、そっと人魂に近付き思い切り殴った。
十分な手応えに良く見ると、殴ったのは狐でも狸でも無く、古びた木の切り株だった。

 曽祖父のおかげで人魂の正体も分り、村人たちも安心して夜道を歩けるようになったと言う。
想像するに、その人魂の正体は古い切り株に生えた、ある種のキノコか、
発光性の微生物だったのではないかと考えている。

 今も昔も、話には尾ひれが付くし、つまらない噂話が信じられ、怪談になったりするのは同じ事だと、
怪談話を信じない私は思うのである。

 他にも信じられない話しも聞かされた。
小出に用事に出掛けた曾祖父はあの「戊申戦争小出島の合戦」に巻き込まれたと言う話を聞いた。
戦が始まり、行き場を失った曾祖父は柳原に有った、ある料亭の傍の大きな柳の木の後ろに身を隠したそうだ。

 すると、官軍の赤熊(しゃぐま=薩長軍の冠りもの)を付けた指揮官と思われる侍と、
幕府軍会津藩士のこれまた立派な衣装の大将と思われる侍が、お互いに名乗りを上げ一騎討ちを始めた。
一騎打ちと言う時代でも無かったと思うのだが、男の意地、侍の意地だったのだろうか。

 曾祖父はそれを柳の大木に隠れて見ていたと聞かされたが、本当の話で有ろうか。
史実から見ると、小出島戦争は慶応四年四月二十七日と有るから時代的には間違いは無いだろう。

 この戦は明け六つ半(午前七時)から五つ半(午前九時)までと有る。
曾祖父は二時間余りの時間、柳の大木の後ろに隠れていたのだったろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする