「玉子焼き」(その2)
まだ外が暗いうちに出かけ、夜半に帰宅する父に、畑仕事をゆだねる訳にも行かない母は、
来る日も来る日も朝から晩まで、畑で働いていた。
そんな母に、食事にさく時間は少なかった。
食材も新鮮な野菜を除けば、肉や新鮮な魚など望むべくも無い。いつ頃からか数羽の鶏を飼うようになった。
楽しみにして、餌をやり育てているとやがて卵を産み始めた。
しかし、それが全部私たち家族の口に入るものではなかった。いくつかまとめては売るのである。
いや、売る数のほうが多かったと思う。
たまさかの楽しみ「玉子焼き」も、美味しく食べるためと言うよりも、増量するための混ぜ物が入るのが常だった。
そんな「食い物の恨み」的な思い出のある卵は、今でも私の好物なのは変わらない。
(続く)