(中学3年生の修学旅行。お定まりの二重橋前での記念撮影です。やはり、この年代の同級生は、
結びつきが強いですね。今でも日常つきあっている友達も多いですよ。)
いじめられっ子の元祖だったみたいだった私(その2)
いつの間にか、登校時刻になると腹がチクチクと痛み出す。
もう登校拒否、不登校の前兆そのものだった。
それでも、腹が痛いと訴える幼い息子をおんぶして母は学校まで送ったりもした。
いや、母親ばかりか女の先生にさえ負ぶわれて登校した記憶さえある。
母に送ってもらい、玄関に入ると私の下駄箱の前からこそこそと逃げ出す腕白ども。
せっかく、送り届けてもらったというのにその姿を見て、思わず母にしがみついて泣き出してしまうような私だった。
当時の担任もさぞかし困っていたのでしょう。しかし、なかなかいじめが収まることは無かった。
でも、学年が進むにしたがって、存在が認知されたのか、私の体力がついてきたのか、いじめは無くなっていた。
そして、今度はいじめを見つけるとそれを止める存在にもなった。
弱い者いじめは見逃せない正義感が育ったのも、いじめられた経験があったからかも知れない。
自分が子供を持つようになった時代にもいじめは益々社会的な問題化し少なくなることは多発する傾向に。
私は自分の娘たちには「もしも、何かが有ったら命がけで守ってやる。
もしもそんな事が有ったら隠さないで言ってくれ」と言い聞かせた。
(続く)