畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

18歳で戦死した叔父の手紙(その1)

2020-01-07 05:59:49 | 暮らし

 叔父からの手紙全文(その1)


 一入春らしくなって来ました。

其の後無事に働き居る事と存じ上げます。小生も相変わらず元気にて日夜軍務に精勤致し居りますから、

他事ながらご安心ください。


 一月の三十一日に横須賀港を出港してもうすぐ一か月になります。

九州佐伯、志布志そして十六日に鹿児島に入港しました。そこで上陸も三回ばかりありました。

町は大した大きい町でもないけれど名所旧跡が多くあります。

十七日に陸軍の練兵場で大観兵式がありました。皆陸戦隊の武装にて上陸しました。


 見物人の人出も大したものでした一里もある道路が一ぱいで歩けないほどでした。

そして二十日の午後一時に抜錨鹿児島を後に桜島の煙を眺めながら出航。

一昼夜の航海で今、四国の宿毛と言うところに碇泊して居ります。


 来月の八日頃佐世保軍港に行き三月末には支那の青島に行き四月中旬頃又九州の方に帰ってきます。

横須賀入港は五月末だから休暇には田舎に行って田植えでもして来よう。

二期訓練には裏日本の方面だそうだから舞鶴に行ったら京都の糸の所へも行く考えです。


 直江津にも入港するように聞きました。今年一年航海すれば日本は大てい回ってしまう。

九州の方は横須賀よりずっと暖かいし田舎の四・五月頃の気候です。

今年は正月に田舎に行ってもろくな雪は見なかったし雪は見ないでしょう。


 今は海の荒れる季節です。出航すれば山の様な大波はあたり前のやうだ。

駆逐艦等木の葉のようにゆすられる、こうしてきつい時はきついけれど、

又寄港地に上陸すれば地方民の歓迎は到底海軍ならでは味われぬ良いところがあると思う。

 先ずは時節柄御身大切に十一月の休暇には又回って遊んで行く考えです。


            乱筆にて後便に


  18歳とは思えぬ大人びた文字でしたためられた手紙ですが、内容には若さも見え隠れします。

今から80年程前の昭和12年2月の手紙であり、盧溝橋事件から支那事変、太平洋戦争へと時代は移っていく。

今の世の緩み切った世相とはかけ離れた、緊張の時代の一つの証でもあると思える手紙でした。

差出人である叔父の住所は「第一艦隊第一水雷戦隊第九駆逐隊夕暮第一分隊」としかありません。

『夕暮』と言う艦名の駆逐艦に乗っていたのです。その駆逐艦の写真も目にしたことがあります。

なお、文中の「京都の糸」とは、一昨年亡くなられた叔母の名前です。

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