「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
予感はあったが、その日は突然やってきた。十五日火曜日のことです。
次姉を訪れ、義兄の話をしているところに携帯に着信。一瞬胸をよぎる予感。
話をしていた義兄の連れ合い、長姉からの電話で、一瞬戸惑いながらも出る。
「今朝、とーちゃんが亡くなりました。二回の洗面所で倒れていました」と・・・。
十五日の午前中のことです。出かけ先、次姉の家を辞して帰宅し、昼食もそこそこに急行。
まだ、搬送先の病院から帰宅していず、家の片づけをしながら待つうちに葬儀社の車で帰宅。
葬儀社の二人と力を合わせて、仏様となった義兄を自宅に迎え入れました。
次々と帰宅、来宅する子供たちに後事を依頼して帰宅。葬儀は十九日になりました。
姉が納棺の際に花と一緒に入れたのは一枚の感謝状。
ある団体からのもので、市町村合併を巡って住民間に諍いが起きた際に、一方に肩入れした際のものでした。
その感謝状にあった言葉が冒頭の言葉。西郷隆盛の言葉だといいます。
本当にその通りだと思います。けっして権力にはおもねらず、間違ったことにはきっぱりと反対する。
命もいらず、官位もいらず・・。の生き方を貫いたと思っています。
私自身の生き方にも思わず重ねてしまう言葉でもあります。常に権力権威に逆らって生きてきました。
義兄御自身も自分の生き方には納得されていたと思う。官位にもそして卑近ですがお金にさえ拘らなかった。
私とは十歳の違いで、常に十年後の自分の姿と重ねて、励みにそして参考にさせていただいていた。
さようなら、男の生き方を貫いた一生だと思います。十年後の私自身の生き方に重ねます。