急いで風呂で汗を流し、その後スベルべママはお握りを作ったり、お茶を準備する。
スベルべトーちゃんも、近所への所用を済ませて出発準備は整った。
一人暮らしの叔母さんをお誘いしていたので、途中で立ち寄って合流。
そして、この「広神地域芸能祭」会場には開演後間もなくの時刻に滑り込み。
薄い敷物を敷いただけの会場に入り、後ろの方に陣取る。
以降何枚かの写真をアップしますが、会場の暗さと、カメラの性能で不鮮明です。
このメンバーの踊りを最初に見せて頂いたけれど、いやー、可愛いの何のってもう。
大きいお姉さんたちの間に入った年少の女の子は、少し動きがずれたりして、そこがまた御愛嬌。
そして、私がもっとも関心を持っていた「広大寺」が始まった。
プログラムによると、演目数は48有り、その中で「広大寺」はなんと12!
全体の四分の一を占めていて、地元でいかに親しまれているかと言う事の証です。
そして、広神地域でも集落ごとに民謡、伝統芸能の保存会が有り、特色を出しています。
どの地域も、それぞれ三味線小太鼓などの伴奏が、親または祖父母と思われる方が演奏される。
こんな男の子だけのグループも有るのですから立派です。
音頭取り、歌うたいのお爺さんが「ほら、化粧までしてもらい、
愛ごくなったんだから頑張れや」なんて気合を入れてお出ででしたよ。
このグループは男子女子が半々ですね。
子供の時から、伝統芸能に親しみ、実際に演じられるなんて幸せですね。
何にも勝る、文化とか歴史とかへの触れ合いです。
そして、実はもっとも関心が有った大人の「広大寺」が始まりました。
お父さん、お母さんが見事な踊りを披露されました。
正直なところ、羨ましかったなー。
こうして、一部地域では盛んなんだけれども、私の地域では全く見られないのです。
これもひと際、拍手の多かった「長松郷土芸能保存会」による和太鼓の演奏。
勇壮な魂を揺さぶられるような演奏のうちに、女性メンバーも入っていて驚きました。
そして、中心として叩いた若者は、牛の飼育農家の跡取り息子で、
私が、ここのところ何年も牛フン堆肥を運んで来てもらっている顔見知りで驚きました。
さて、我が地域の芸能祭には顔を出したことも無い私が今回は隣の地域にまで出掛けたのか。
それは先にも述べましたが、一重に「広大寺」の踊りを見たかったから。
何年か前に、ご近所の結婚式に列席されたお二人の高齢な男のお客さんが、
礼服の上着を脱ぎ、頭にきりりと手ぬぐいの鉢巻きをして、見事な「広大寺」を披露されたからです。
この時は、良いなー男の踊りも、しかも何歳になられても踊れるなんてと、感激したものです。
この「広大寺」の起源についてはhttp://senshoan.main.jp/minyou/minnyou-sinpokodaiji.htm
でも紹介されていますからご覧ください。
「広大寺」は別名「新保広大寺」とも呼ばれ、中越地区で広く親しまれています。
元々は十日町の新保広大寺の和尚と豆腐屋の娘「お市」との、馴れ初め、
その恋の評判が唄になって流行したとか、
また、信濃川の洪水により変わった地形の所有権争いで、一方に加担した和尚を、
追いだす作戦で、乱行したと言う話を作り、唄にして歌わせたとか言われています。
このリズムの良さが人気を呼んだようで「越後瞽女」によって全国に広められ、
津軽、青森に渡っては、なんとあの「津軽ジョンガラ節」になり、
北海道に渡っては「道南口説」「鱈釣り歌」の元になったと言われています。
一方、関東に渡った「広大寺」はなんとあの賑やかな伴奏の「八木節」になったとか。
いやー、良く遊び、良く学んだ素敵な私たち夫婦とマックスの日曜日になりました。
歌詞の中に「あまり長いのは・・・・~♪」なんて一節も有りました。
私の話も長くなりすぎたようですので「この辺で失礼仕る~♪」(大笑)。