畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

さて畑の雪は?

2012-03-26 04:49:56 | 

 雨にたたられたりで延ばし延ばしにしていた畑の除雪を、
従兄に頼んで小雨が時折降る中で始めた。
昨年は除雪機を借用して自分で除雪をしたのだったが、今年はオペレーターも頼んだ。


 とにかく、苗作り用の温室と、さつま芋の温床の場所の除雪を急がなければならない。
消雪促進剤で、大まかな位置を線引きして除雪場所を設定。


 ディーゼルエンジン搭載の除雪機は力強いエンジン音を立てて進む。


 いくら強力な除雪機とは言え、さすがに一回で地面近くまでとは行かない。
除雪機の横が一回目の除雪跡で、今は二段目の面を除雪中。


 雪を吹き上げる除雪機の向こうは、昨年まではガソリンスタンドの大きな看板が見えた。
寂しい事に、昨年七月末の大洪水で、再起不能の被害を被り、廃業してしまった。


 気まぐれに変化する空は青空も時たま覗かせる。
青空に向かい、三段目の除雪中だが、この細い溝はスベルべママのお花畑用にと除雪。


 少し、土が見え始めたところで作業終了。
立てかけたスコップの長さで分かるが、まだ2メートル近い残雪が有る。

 今年の春の気候の特徴として、中々気温の上昇する日が少ない。
日中晴れ上がり、夜は放射冷却現象で雪が凍み、「凍み渡り」が出来る日が無いのです。

 除雪は昨年秋に植えた「トウ菜」の畑の上もして貰ったが、
まだ多すぎる雪のため、あまり早く「トウ菜」を出しても、
凍みて風邪をひかせそうだから、雪を多く残して作業を終えてもらった。

 この日、土曜日は夕方から農家組合の総会が有り、その設定のために私は帰宅。
後始末は全て従兄に託しました。

 さて、夕方七時からの農家組合の総会で、平成24年度も引き続き、
私が組合員47名の農家組合長をするということに成りました。
今年も、皆様のため、自分のため農業振興のために粉骨砕身頑張ります。
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春の淡雪

2012-03-25 04:35:44 | 自然

 数日前の朝です。
三月も下旬に入り、南では桜の花の便りも聞けるのに、
こちらは新雪が15センチ近くも積りました。


 東電の鉄塔の改修が計画され、そのためにこの広域農道は早く除雪された。
そのため、一旦黒々と舗装が現れていたのに、また白一色の世界に後戻り。


 春の山は斜面の雪が緩み、割れて滑り地肌を見せていましたが、
また、地肌も雑木も新雪に覆われています。


 除雪作業に使うバックホウが見え、手前には交通止めの標識が。
まだこれだけの残雪が有ると、農道の雪を除雪して開けても、
斜面の上から大量の雪が、底雪崩となって滑り落ち、自動車なんて潰してしまう事故となる。


 さて、マックスそろそろ帰ろうか。
喜んで新雪を踏み、張り切って歩いていたマックスも不承不承したがって回れ右。


 淡雪の山に別れを告げて帰宅の道へと付く。
でも、思わず古い唄が甦り鼻歌交じりになりました。

 「カチューシャ可愛いや分かれの辛さ~
せめて淡雪溶けぬ間に~神に願いをららかけましょうか~♪」

(歌詞が間違っていました、訂正です)

  はい、お粗末さまでした(笑)。
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夕食は任せて頂戴な

2012-03-24 04:28:32 | 食べ物

 種の話でも触れたけれども、二十日で除雪作業の契約は終了。
晴れてスタイルだけは「専業農家」になったけれども、まだ2メートル近い雪が残り仕事にならない。

 そこで林のマリちゃんじゃないけれど、ルンルン気分で一人で買いものに。
家電量販店を覗いた次は、食品スーパーへと向かい、こんなものを発見。

 天然物で、しかも安価ときたらこりゃ見逃す手は有りません。
さくどり2本入りの刺身を買ったついでに、アラもひょいと買い物かごへ。


 少し遅めの昼食を一人で食べ(スベルべママはパートに出勤)エプロンをして試合開始のゴング。
昼食の後片付けをして、先ずはブリのアラに熱湯を掛けて霜降り状態にする。 


 大根の皮を引き、輪切りにして面を取る。そう、「ブリ大根」ですね。
ほら、自慢じゃないけれど計らなくたって厚さはぴったり揃います(笑)。


 じっくりと煮込んだ方がアラの美味しさは出るけれど、時間の都合で圧力鍋。
一時間弱のタイマーをセットして、アラが煮上がるまでに、「八色菜の煮びたし」を一品。


 これも色合いと「宮城県産」の表示に誘われて買った「茎ワカメ」。
心の中でブツブツと「東北支援、東北支援」なんて呟きながら買ったのでした。
さっと茹でて、斜めにそぎ切りしただけのシンプルな一品。


 そのまままっすぐ帰ったら良いものに、Aコープに立ち寄り買ったもの。
そう、ハウス物でも地元産の表示が有った「アスパラ菜」です。
これも心の中で「地産地消」なんて呟きながら買って帰りました。


 さて、あまりビューティフルじゃないけれど、味噌味の「ブリ大根」が完成。
で、これ位で治まっていれば百点の亭主なんだけれども、そうは問屋が卸さない(笑)。

 写真は省略しますが、これにお得意の「牛筋牛蒡」が加わったのです。
鍋をフルに三個も使い、獅子奮迅と言ったら聞こえは良いけれども実はてんてこ舞い。
調子に乗ってマックスの餌まで、スーパーの目玉、「鶏の胸肉」を使って煮始めたのでした。

 「お帰りー、夕ご飯は出来ているよー」なんて、迎えるはずだったけれども、
最後のマックスの餌の分だけが余計な仕事になってしまった。
結局、マックス用のジャガイモの芽取りと、ブリの刺身はスベルべママの仕事にしてしまった。

 でも、ほら、そんなに費用も掛けず御馳走の山が出来ちゃいましたよ。
除雪の仕事を無事に終えた解放感も手伝ったのでしょうか。
こうして、ルンルン気分の一日は、美味しい晩酌で締めくくられました。
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種の病か、病の種か

2012-03-23 04:53:23 | 

 さて、先日二十日で除雪仕事の契約は無事に終了。
翌日の21日はなんだか、解放されたルンルン気分で買い物に。

 先ず、電気量販店に立ち寄り、チラシに有った外付けHDDを買う。
大切な電子アルバムとか、その他の資料のバックアップを取るためです。

 次に立ち寄ったホームセンターで、種子物のコーナーを覗く。
もう、欲しくてたまらない種子がずらりと見えるけれども、以前にもアップしたように、
「春一番種物フェア」と、その後にネットで注文し大量の種子は確保してある。

 でも、このフランス産の「黄色ニンジン」だけは昨年に引き続き、ここで購入です。
私はフランス語は得手で無い、どなたか意味を教えてね(笑)。


 そして、昨年の水害で全滅状態になってしまった「ルバーブ」の種子もついでに。
って、私の場合は種子物については「ついで」が多すぎるのですけれどもね(笑)。


 これなんて、クラシックスタイルで代金を郵便振替で前納し注文したもの。
びっくりするほどマニアックな種子の袋ですね。品種名だけで、余計な説明は一切無し。

 「スクマイキ」や「パースニップ」なんて私も初めて作る品物。
単に「西洋白ゴボウ」なんて書いて有っても誰も分かりませんよね。
これは、別名「サルシフィー」ですから、関心を持たれたならばネットでお調べ下さい。
なお、この変なものを食べて見たかったら、スベルべの「農天市場」へどうぞ(大笑)。


 昨年は「越後の台所 すずきち」さんのお客さんで、食べたニンジンが美味しくて、
「このニンジンを売って頂けないか」と言われた方がいらっしゃったとか。

 その言葉に乗った訳でもないけれど、今年はニンジンの種を紫、黄色、赤と大量に仕入れています。
こんな種類のものを作りますが、それぞれが一袋では無くいくつか買っています。


 昨年は「すずきち」さんのマスターに「紫ニンジンがもっと欲しい」、
なんて言われていたので、「紫ニンジン」も沢山仕入れて有ります。


 通販で仕入れて笑ってしまったのは、この「紫ニンジンパープルスイート」です。
別々の会社に、一袋ずつ発注したのに、届いたのは全く同じ包装の種子袋でしたよ。
これでね、単価が違ったら怒るところだけれど、幸いなことに同じで安堵(笑)。

 と、まー色々な経緯と言うか、目論見から10袋を超える大量のニンジン種を買ってしまった。
病の種と言うか、頭痛の種でも有りますよ(笑)。
ま、本当に種中毒シンドローム患者でもあるスベルべは、まるで玩具を欲しがる子供のように、
後先も考えずに、種子を買って買って買いまくってしまいました。

 ニンジンも早播きの「金港四寸」を除くと、種蒔きの時期はみな同じですからね。
六月の末から七月の初めにかけて播くけれども、その頃はさつま芋の植え時期とも重なる。

 本当に、「種の病」か「病の種」か状態ですよ。
この哀れな患者を気の毒と思われたら、見舞いに来て、一緒に種蒔きをして下さいな(大笑)。
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悲しい話

2012-03-22 04:57:13 | 暮らし

 何時も来る、先輩からの年賀状が届かず、少し気がかりだった。
年が明けそして、正月も終えた二月に入り先輩からのはがきが届いた。

 その葉書には、簡単に奥様が年末にお亡くなりになり、年賀を欠礼しました。と、あった。
もう、長い間お会いしていないので、事情も分からなかったけれど、
取りあえず、短い手紙を添えてユリの花の宅配を「滝沢種苗」さんに託した。

 しばらくすると、宅急便で先輩からの荷物が届いた。
開けると、大きなお菓子の箱が三個も重ねて入っている。
休みに帰宅した娘達は「このお菓子、ラスクって有名なものよ」と言う。

 うーん、先輩らしいな、豪気なお返しだな。
上州人を代表するような、豪快で男気の強い先輩だった。

 すぐに先輩に荷物を頂いた旨の連絡をしようと、気の重いところも有ったが、電話を入れた。
電話口からは、昔と変わらぬ元気な先輩の声が響いた。

 「綺麗なユリを沢山ありがとうな、手紙を読んでな、涙が出ちまったよ」
なんて、相変わらず威勢の良い、歯切れのよいお話。
でも、その後の話には驚かされ、そして、悲しくなってしまった。

 奥様は暮の二十五日に、突然お亡くなりになられたと言う。
心臓の具合が悪く、定期検診には通われていたそうです。

 その日は、定期健診の日に当たり、朝から行く準備をしていると、
「今日は体調が良くないから、後日にします」と先輩に告げられ、
その会話のわずか五分後には、先輩の見守る中、心筋梗塞で息を引き取られたとか。
本当に、お慰めの言葉も見つからないお話でした。

 新潟、群馬県県境の温泉の町「水上町」には五年間滞在した。
独身時代の最後の頃から、結婚して初めてアパート暮らしまでその町で経験した。

 仕事も出来たけれども、悪戯も含む遊びも一生懸命だった。
仕事の最中にからかわれ「スベルべ!ちょっと来い!」なんて呼びつけられ、
先輩のデスクに行き、何の話かと思い、脇の椅子に座ると、
「ちょっと、これ飲むか」なんて、机の下でウイスキーを注ぐではないか。
ま、飲んだかどうかは、忘れたしまった。と、言うことにしておこう。

 水上町の温泉の歓楽街「湯原」にもよく、連れて行って頂いた。
地元で、どこにでも、誰にでも顔が広かったなー。
賑やかな事が大好きで、女性の多いバーにもよく繰りこんだっけ。

 そして、度重なるお誘いに「先輩、今日は私にお勘定させて下さい」と切りだすと、
「なに!スベルべ!じゃなにかい、俺の酒が飲めねーんってのかー!」ってこれですからね。
先輩の伝法な口調が今でも耳によみがえる。

 登山を好んだことも話が合う所以の一つでも有ったなー。
谷川岳の主と言われた「中島喜代志」さんとも知己で有り、一ノ倉沢などにも明るかった。

 昭和三十年代の後半だと思われるが、谷川岳一ノ倉沢の「衝立岩」と呼ばれる難所で、
クライマーが遭難死して遺体はザイルで結ばれたまま、岩壁の空中に、
吊り下げられた形のままとなってしまい、オーバーハング状態の地形での収容作業は困難を極めた。

 最終的には、自衛隊が出動して、ザイルを銃撃して切断すると言う、
未曾有な収容作業となったのだったが「あれを提案したのは俺だよ」、事も無げに言ったっけ。

 「一ノ倉もな、フリークライミングできるコースが有る、マチガ沢よりも、
上部にガレ場が無いから登りやすいぞ、今度連れて行くからな」なんて言われたけれども、
とうとう、実現せずに今日まで来てしまった。

 気の合う二人の除雪車、ロータリーの作業なんて凄かったなー。
だって、皆が怖がって作業しない場所まで、このコンビは突っ込んで行くのですから。
とうとう、最後は固い雪に阻まれて、機械を壊したことさえ有ったっけ。

 「先輩、春になって暖かくなったら、こちらにも来て下さい」と、結んで電話を置いた。
遠くなった歳月が、昨日のことのように、脳裏に浮かぶ、
甘酸っぱい、切ない思いの出来事では有りました。また、近いうちに水上に行こうかな。



 
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