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あの史上最大とも思われる惨劇、「東日本大震災」から一年経ちました。
あの日は、大きく続く揺れに、山の雪が大量に雪崩となって崩落しないかと表に出て、
同じく、外に出てきた人たちと、これは少し離れたところで大きな地震が起きたと心配したのでした。
その後、目を疑うような惨劇がニュースで伝えられ始めたのでしたが、
テレビの画面を見ても、現実のものとしての実感も、すぐには湧かず信じられない気持でした。
その後一年近くを経過したと言うのに、復興は遅々として進まない様子。
不自由な暮らしを強いられている皆様の姿を見るたびに涙をこぼしています。
毎日、朝昼晩、それぞれのニュースで最近の様子、思い出が語られるたびに涙です。
政治を中心に、なんと思想が貧困になってしまった我が国日本でしょう。
大切な復興を主眼とした国会では無く、未だにつまらない足の引っ張り合いを演じています。
石原都知事殿でも無いけれど「自分のところで起きたら」と、考えてもらいたい。
本当に私もそんな風に思ってしまうのです。
全く規模が違うから、同列には語られませんが、
私も、中越地震、新潟福島豪雨による水害と、立て続けに災害を経験させて貰いました。
どちらの災害も、最初の驚きに続き湧いた気持ちは、遅い対応や遅い復興に対する怒りでした。
でも、最後は人間は諦めてしまうものですね。
「これは、やはり自分で対処するしかない」と。
あまり、良い言葉でも有りませんが、「時間が解決してくれる」。最後はこれでした。
あの、中越地震からは七年半も経ちましたが、当初、元の姿を取り戻すには、
何十年もかかる、ひょっとしたら自分が生きているうちには無理か。なんて思ったものです。
でも、自然そして人間は案に相違して強いものでした。
多少の後遺症は引きづってはいますが、あの剥げた肌をさらしていた山も、
翌年からは、徐々に緑を取り戻してきてくれたのです。
解決してくれる「時間」は私にとっては今となれば短いものでした。
きっと、私の大好きな朴訥な北の人々にも再び春は廻って来ると信じています。
涙を流すだけで何も出来ない自分自身を悲しく思います。
でも、私は今でも苦しんでおられる方たちを、一時も忘れることは有りません。
もう少し時間が経過して、私の気持ちにも余裕が出来たならば、
きっと、東北へのお見舞い行脚に出かけます。
その日が来るまで、私も精一杯に生きて行きたいものと思っています。