香月家は 母あやかの歯科医院の収入で生活する母子家庭
山本一男は 先輩の家庭に 妻に憧れて 未だに独身
香月一郎は 父の死後 未成年ながら 家族でただ一人の男として 家族の安全を殊更気にかけている
その責任感は押さえつけるまではいかず 冗談めかした短い言葉だったが気持ちは伝わった
「さやか 危ないことは するんじゃないぞ」
さやかはにっこりした「無邪気な中学三年に何ができるっていうのよ」
「お前から無邪気って言葉を聞くと 寒気がするのは 何故なんだろうねぇ」
そう一郎は妹をからかう
遅く帰宅する母あやかの為に さやかは兄の一郎と交代で 胃にもたれない食事を作る
そして母を囲んで短い団欒を持つ
外見は元気でも夫を失った母を 兄妹は気遣っている
気丈さを保ってみせているあやかは 今回殺人事件に巻き込まれた娘さやかのことは当然 ひと息に大人になってしまった感もある 一郎の事も心配していた
あやかの兄である高崎士郎との暮らしは 何より一郎の為になるだろう
血は繋がらないが士郎の養子 亜貴欧など年上のイトコの存在は 一郎に良い意味で精神的ゆとりを与えてくれないだろうかと
その頃 すずかは 父親から情報引き出すべく あれこれ話しかけていた
「お父様 姫御前神社の姫御前って どういう方ですの」
「時の将軍 家光が姉の千姫の天寿院に預けて育ててもらった 徳川の血筋の姫らしい
嫁いで間も無く 狂乱の気味ありと幽閉され 数年で死亡した
その姫が埋蔵金に関わっていた―なる風聞もあるが 確たる証拠はない」
「お姉ちゃん 余りおかしな事はしないでね」
すずかとよく似た二つ下の妹しずかが釘をさす
名前はしずかだが口うるさい
「毎回{あの安倍すずか}の妹さん?って迷惑してるんだから
今度はお姉さん 死体まで拵えたの?
なんて聞かれたのだからね
お姉ちゃん妙なの拾うのも大概にしてよね」 とキツイ
母のちずかは 妹が言うので 余り口うるさく言わない
礼儀作法 言葉使いは時たま注意するけれど
今も夫の涼明と目を見交わして笑っている
娘と同じ聡明女学院の出身だった
聡明女学院はアルバイトは原則として禁止だが
それがおかしなものでなければ 許可していた
姫御前神社の巫女も認められているものの一つだ
髪が長かったちずかは学生時代に巫女のアルバイトを頼まれ
それが縁で後に涼明と結婚することになったのだった
賑やかな姉妹のやりとりで安倍家の夜は更けていく
藤衣なつきはインターネットで検索をかけていた
埋蔵金について
宿題のことでパソコンを使いにきた弟の賢吾は 姉のしようとしていることを知ると目を輝かせた
パソコンを得意としているのだ
姉のなつきに代わり 宿題の方の作業を終わると
調査にかかった
なつきは弟にミルクセーキを作る
いつもこれみよがしに出してあるホットプレートでパンケーキを焼いた
なつきの数少ない自分で作れるレパートリーの一つだ
ホイップした生クリームを添える
幾つかのサイトのページを賢吾は 押さえていた
「一番ひっかかるのは これなんだけどね」
「ああ ニュースを見た 大学部の少し上にあるお寺―」
風姫山にある景海寺 半年前 火事騒ぎがあり 燃えないように持ち出された寺の仏像その他の美術品や 代々の住職が残した記録や あれこれが 盗難にあったという
それからの噂話
「埋蔵金の記入あり 金儲けと売りつけた人間
信じて動いた人間がいる―」 声に出して なつきは読んだ
「穏やかじゃないよね」
姉弟は検索を続け 情報を集めた
二人は知らないが 安倍涼明がいらざる騒動が起きてはと 埋蔵金のことは口にしていないので 警察は知らない
この事だけは 子供達がリードしている
それぞれが集めた情報は次の日に学校で交換され 他の級友達も 色々耳に入ったこと
推測を言い合う
そんな時 スポーツ紙が 死体と遭遇した三人について 未成年なので実名は出さないが 誰か分かりやすい記事を書いた
その上 埋蔵金の噂についても 景海寺の盗難と結び付け触れていた
警察は犯人が犯行を目撃されていないかと娘達を襲うかもしれないことを警戒する
犯人は 下手に動くのは命とりだと思う気持ちと 見られていたらと不安な気持ちで 疑心暗鬼になっていた
毎日 殺人しているのでないから 無理もないが
「聞かれたぞ 生かして帰すな」
―頭がカッと熱くなり 刺してしまっていた
死んだと思ったのに
後で死体を捨てにいこうと―
殺人犯は頭を抱える
授業の合間の休憩時間にトイレに行こうとした藤衣なつきは異常事態に気が付いた
「何処に行かれるのでしょう?」
下級生の団体が廊下にたむろしている
「あ 君達 何?」
「わたし達 先輩を守ります
安心して下さい」
―冗談・・・だろ?―
それを聞いたさやかは大笑いをする
「笑い事じゃないぞ トイレにも行けね~」
すずかも同じ善意の攻撃にあっていた
「私達が守ってあげますからね」
こちらは上級生のお姉様達だ
「警察!頼むから!早く犯人を逮捕してくれ~~~」と なつきは吠えるのだった
「私達のなつきちゃん」部室にいても声が廊下からかかる
彼女達は包囲陣からの脱出を図った
まず足には自信のあるなつきが逃げる
体育大会ではアタランテーと呼ばれ 誰も追いつけないスピードを持つ
輪が散らばった間に さやかとすずかも 違う方向へ逃げた
落ち合う場所は姫御前神社
すずかの家と同じだから 安心だ
遅れて さやかとすずかが顔を見せると なつきがひどく大きな欠伸をした「ああ眠・・・」
残る二人は嫌な予感に囚われ 例の声が聞こえた時『やっぱり』という表情になった
「何と入りやすい体であろう
良い居心地じゃ」
「あの どうしていつも なつきの体に」すずかは自分が神社の娘なのに―と少し淋しい
「欠伸に呼ばれるのじゃ
この娘はな わらわが愛しく想うておった者の子供の頃に似ておる」
「でしたら なつきには弟がいますけど」さやかの言葉に にべもなく姫御前は答えた
「男の体に入るは気持ちが良くないのじゃ」
さやかとすずかは絶句する
「それで好きだった方は どうなられました」気を取り直して すずかが尋ねる
姫御前は暗い表情になり「死んだ」と一言
寂しげに笑って続ける「それも わらわの為なのじゃ」
ずうっと眠り続けていた姫御前が 今なつきに乗り移ってでも この世とコンタクトを取るのは 好きだった相手の面影宿す少女を守ろうと思っているのだろうか
兄 家光に頼まれたこと
島原の乱に手を焼いた将軍は 将来に備えての財宝資金を 姫御前に託した
彼女はそれを雪景新九郎に隠すよう命じた
自分が知っていては 人に洩らしてしまうかもしれない
その用心は 正しかった
姫御前が嫁いだ相手は その宝のことを知り 家臣にも唆されて 我が物にしようとした
姫御前が体は自由にされても 心は別物 明け渡さないことが 男を残酷にした
幾ら責められようとも 知らないことは答えられない
一室に閉じ込められた姫御前を救おうとして 新九郎は罠に落ち殺された
「殿が殺(あや)めた男こそ 宝の行方を知っておりましたのに」 その姫御前の言葉に狂乱 激怒した男は彼女を殺した
姫御前の不自然な死を知った家光は 姫を殺した大名を切腹させ 藩は取り潰した
秀忠は晩年 お江与の方に似た娘を愛し 子供が出来た
家光は末の妹になる赤ん坊を 天寿院の千姫に託し
天寿院は奈都姫(なつひめ)と名付け 可愛がって育てる
なつひめ なつきとも読める
更には なつきは知らぬ事だが 新九郎の子孫になる
だが それを この娘達に言ってどうなるのだろう―と 姫御前は思うのだ
思いがけず 祟り神として この世に引き止められたこの身
姫御前は 三人の上に不吉な気配を見て それを取り除いてやりたいと願っている
それに この娘達といるのが 楽しかったのだ
「眠うなったゆえ 戻るが そなた達 はよう家に戻るがよい
くれぐれも・・・気をつけるのじゃぞ」
欠伸一つ 姫御前は消え なつきが戻る