司馬遼太郎は週刊現代で率直な意見を書いていた。その中で、二つ印象に残っている内容が有り、一つは、「日本の未来が心配だ」、次が「日本は難しい」だった。司馬遼太郎は小説を書くにあたって、莫大な資料を集め、事実関係を分析したに違いない。
私が知る限りで、日本が心配だと表明した最初の知識人だった。その後、田原総一郎もテレビで同じような趣旨の発言をしていたが、私が驚くのは、日本を代表するような知識人が日本の未来に危機感を持っていない事だった。
日本は難しい・・との表現は感覚的には何となく理解できたような気がしたが、具体的には何を指すのか、分からなかった。長い間考え続けた。
端的に言えば、日本は社会や組織やルールなど至る所で問題だらけだが、それが分かっていても指摘できないというか、事実を明らかにすると、自らに災いが降りかかり、摩擦が生じ、阻害されるのだ。
現状を改革しようとすると、些細な事であれ、非常に大きな抵抗を受ける。日本人は新しい物好きで、飽きっぽいと言われる。しかし実は大変保守的で、現状のカラーを破れない。
司馬遼太郎と言えども、知り得た事実を明らかにすること自体が、多大な不利益を被る事になったのだろう。だから、当たらず触らずで、綺麗ごとに徹していかざるを得ない。
日本は空事、嘘事、綺麗事社会。一部の職人的なプロを除くと、アマチュアで満たされた社会である。何が事実か分からない。日本を支配する官僚組織は、余りに嘘が多くて、本人たちも何が真実で何が嘘か分からなくなっている。
未来に向けて日本が生き残って行くには、事実と正面から向き合ってゆかなければならない。感情とか気持ちとか気分とか、そういう要素を出来るだけ排除して、論理的に判断しなければならないのである。
そのためには大学から改革しなければならない。カビが生え固定化された情報を頭に植え付けるのではなく、大学生は広範囲に新しい情報を集め、分析し、評価し、目標を立て、戦略的に実現する能力を獲得しなければならない。
大学のランクを気にするのではなく、未来の日本を躍進させる能力を身につけるための教育を目指すべきである。
司馬遼太郎の本意が解読され、日本のあるべき姿が具現されるべきである。