ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

別れのあいさつ~離任式~

2012-03-27 17:29:28 | 「育」業
 1回勝負です。最後のジャンケンをしましょう。
 いきますよ。
 最初は、グー。ジャンケン、ポン!
 (チョキを出した私。)

 グーを出して、勝った人。(手が挙がる)
 おめでとう。私に勝ってよかったね。
 チョキを出した人。(手が挙がる)
 あいこだったね。同じで、うれしいな。
 パーを出した人。(手が挙がる)
 優しいね。負けてくれてありがとう。

 今の私の気持ちは、チョキなのです。
 チョキは、はさみ。
 はさみは、切り開いていけます。
 この学校を去る私は、次の学校に行って、未来を切り開いていかなくてはなりません。
 皆さんと別れてしまうのは残念ですが、「最初はグー」の通りグーを握って、力を奮い立たせ、未来を切り開いていこうと思います。

 ところで、未来のことを「明日(あす)」ということもあります。
 明日は、「りがとう」の「」、「みません」の「」からできています。
 今まで、皆さん、「ありがとう。」とてもすばらしい皆さんと会えてうれしかったです。
 でも、私のために、いやな思いをした人もきっとたくさんいたことでしょう。
 そういう人たちに、言います。「すみません。」
 おうちの人たちにも、いっぱいお世話になりました。
 おうちに帰ったら、私が「ありがとう」と「すみません」を言っていた、と伝えてください。

 最後に、「あす」の「あ」と「す」は、次のようにもいえます。
 いしてます、この学校
 きです、この学校

 では、皆さん、さようなら
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「がんばれ」より「がんばっているね」

2012-02-17 17:32:50 | 「育」業
 学校の行事に全校登山がある。
 「全校」だから、1年生も頂上を目指す。
 その登山中、がんばっているけど疲れてしまった1年生の子がいた。
「がんばれ。」
と励ましの声をかけた。
 すると、なんと、
「がんばれない。」
という声が返ってきた。
 え?がんばれない? 
 その返答のわけをじっくり考えたら、大人である自分自身の鈍感さに気付いた。
 「がんばれ」という言葉は、「命令形」の言葉なのだ。
 大人は励ましているつもりで発しているのだが、子どもにとっては、大人から命令されているように感じるのかもしれない、と思えてきた。
 そこで、「がんばれ」をやめて、「よくがんばっているね」と声をかけることにした。
 がんばりを認めて励ます言葉に変えたのです。
 すると、どうだろう。
 その子は、黙々と、懸命に歩いていくのだ。

 この言葉は、長距離走の記録会でも使ってみた。
 走っている子に、
「よくがんばっているぞ。えらい。」
と、声をかけていくのだ。
 声をかけられた子は、たいていその後、一生懸命走って行った。
 子どもたちは、自分ががんばっていることをまず認めてほしいのだ。
 認められるとさらにがんばることができるのだ。
 そんなことに気付かせてくれた「がんばれ」「よくがんばっているね」の言葉であった。

 新潟シティマラソンに出場したとき、脚の痛みが限界に来て、もう走れなくなった。
 ひたすら歩いているとき、「がんばれ」と応援された。
 しかし、「がんばれ」なかった。
 これ以上、がんばれないのだ。
 大人の声援はまだしも、沿道の子どもたちに「がんばれ~!」と叫ばれるのはつらかった。
 走らないのは、まるで、「やる気のない大人」のように見えただろうから。
 走らないのは、私は、「もう走れなかった」からである。

 子どもたちの生活にも、同様なことがあるのだろう。
 子どもたちだから、応援してあげようという気持ちで、「がんばれ」と声をかけていくのだが、「がんばっているね。」の方が、はるかによいようだ。

 一人一人のがんばる姿をみとめて、「がんばっているね、いいぞ。」と声をかけられる大人でありたい。
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資質や能力、職場の人間関係だけの問題ではない

2011-11-14 22:09:02 | 「育」業
「新人教職員の病気退職増」
「辞める新人教員、10年間で8.7倍 『心の病』急増」
このような記事を見ると、憂鬱な気分になる。
しかし、事実なのだ。
依願退職ということは、「とてもやっていられない」という状況だということだ。
しかも、そのうち病気退職者の大半が、精神を患ったものだという。

教育の現場ならではの大変さは間違いなく昔以上に大きくなっているのだ。
記事では、その原因を、
「団塊世代の大量退職による負担の増加や、保護者や先輩教員らとの人間関係から来る悩みを原因に挙げる声がある」
「文科省の担当者は『仕事の量や保護者対応などイメージとのギャップがあるのだろう。職場での人間関係の希薄さも背景にある』と分析している」
などと挙げている。

このように単純に原因を書かれると、「たったそれだけ。何を甘いことを言っているのだ。」とせせら笑う人もいる。
原因は、複合的なもので、実はそう単純なものではないということを実感している。
これは、教育の現場が、すでに、このままではいけないことを示しているのだ。

しかし、一般の人たちには、原因が教師としての個人の資質の問題に置き換えられていることが多い。
その証拠は、現在教育の現場とは違う政治家の皆さんの政策でわかる。
悪評高き教員免許更新制しかり。橋下知事の考え方しかり。
大阪府教育基本条例案を見ると、現場の人間は、さらに息苦しくなる。
次のような部分がある。

「人事評価」で、「校長は、授業・生活指導・学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする5段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
(1) S  5パーセント 
(2) A 20パーセント
(3) B 60パーセント
(4) C 10パーセント
(5) D  5パーセント

どの学校でも、この割合に応じた人事評価が行われ、この結果が給与や任免に反映されるなんて、正直たまったものではない。

なぜ、精神的な病で、教育の現場を去らなくてはいけなくなるほどになってしまうのか。
根本的な部分が解決されないと、まだまだこのような人々は増加していくことだろう。

教育を取り巻く環境のひどさゆえに発生している問題を、すべからく職場の人間関係や教員の資質能力の問題にされている。
以前に比べて、説明責任が伴うようになり、何でもかんでも数字で結果を表すように求められている。
ただでさえ、現状でさえ追い詰められているのに、理不尽な人事評価でさらに追い込まれていく未来が見える。

人事評価の前に、学校を支える基盤整備が必要なのだ。
教員が子ども一人一人を見とることが可能な主要教科10人以下の学級編制。
子どもの不平不満を全部聴いてくれるカウンセラーの存在。
発達障害児童への的確な診断ができる精神科医の存在。
学校をクレームから守ってくれる法律の専門家の存在。
コンピュータの入力やコンピュータによる資料作成がたやすくできるIT(ICT)専門家の存在。
そういった存在を増やし、様々な問題を確実に解消していくことができない限り、教員の資質や能力のせいにするだけでは、追い込まれていく教員は増えるだけであろう。

危機感を抱く未来が暗い情報ばかりが流れている。
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夏休みの宿題が終わらない子…

2011-09-08 18:53:24 | 「育」業
夏休み終了後、子どもと先生の様子を見ていると、時代が変わったなあ、と思う。
 以前は、例えば、夏休みの宿題を忘れた子どもに対して、
「なぜ、全部やっていないんだ。さっさと全部やって出しなさい。」
と、先生がガミガミ言っていたものだが、今は、違う。
 先生が、
「やったところまででいいから、出しなさい。」
なんて言う先生や
「まだの分、分からなかったら聞いてきなさい。」
なんて言う先生がほとんどになっている。
 そこまで言っているのに、出そうとしないで、
「先生に怒られる。だから、学校に行きたくない。」
と言ったりする、粘りがなく、極端に気持ちの弱い子も結構いる。
 自分ができなかったことに腹を立てて、「どうせ自分はダメだから、もうやらない。」と当たり散らす子もいる。
 そういった一人一人の違いに対応して、子どもに働きかけていく力が求められるのが、今の教師である。
 大勢の前で、「ちゃんとやって来い!」と怒鳴ってさえいれば指導したことになった、昔の先生に比べ、今は一人一人の個性に応じて指導するということができなくては、教師が務まらない。
 たくましく生きていける子どもを育てるために、子どもの姿について、学校と家庭とが連絡を取り合っていくことが、昔以上に求められている。
 子どものことを考えたら、互いに、学校のせい、家庭のせい、などとは言っていられないのが現状なのである。
 しかし、学校を旧態依然の存在としてしか見られない大人も多いことには、困ってしまうのである…。
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集中豪雨を乗り越えて

2011-07-31 22:53:05 | 「育」業
自分の住むところは、幸い、大した被害はなかった。
しかし、福島・新潟ともに、集中豪雨のために、特定の地域が、相当な厳しい状況下におかれた。
今日、TVで見た映像によると、地域によっては、2mを越える水が出たところもあったようだ。
7年前に比べると、豪雨にさらされた時間がより長く、降った雨の量もより多く、被害を受けた地域もより広かった。
今日も、まだ川の水は濁ったままだが、幸い、水が引いて来ている。
豪雨の影響は大きかった。
今日でも、三条市全域では断水となっている。
TVでは、あちこちで、泥だらけになりながら、後片付けに追われている映像が映し出されていた。
これからも、まだまだ復旧には時間がかかることだろう。

犠牲者も出てしまった。
しかし、以前に比べて、人的な被害ははるかに少ない程度で済ますことができたように思える。
7年前よりも大量の雨が降ったということを考えると、被害を最少限度に抑えることができた、と言ってもいいのではないだろうか。
それができたのは、7年前の災害の時に比べて備えができていたからであろう。
7年前の惨事の後、あちこちの川の改修工事が行われた。
防災対策がしっかりしたから、豪雨時の避難勧告や避難態勢がしっかりとれていた。

だからであろう。
休日の土曜、早朝まだ寝ている時間だというのに、職場の全児童・全職員のすみやかな安否確認を求める知らせが入った。
安否確認!?
早朝とはいえ、さっそく勤務先にかけつけ、おもだった職員と対応策を検討し、すぐに実行に移した。
さすがに簡単にはいかなかったが、数時間後になんとかやり終えた。
これだけでも大変なのに、人的な被害が出たら…と思うと、さすがに緊張感があった。

今回の豪雨で、被害に遭った地域で、児童・生徒の犠牲の話を聞かずに済んだことを、最も喜んでいる。
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佐渡への修学旅行が増えている

2011-06-10 05:15:29 | 「育」業

新潟県内の小学校の修学旅行的な行事。
泊を伴うその行事での行き先と言えば、だいたい2方面が多い。
1つは、佐渡方面である。
同じ新潟県内でありながら、佐渡に行く機会というのは、ありそうでないものである。
だから、修学旅行的行事としての行き先を佐渡にする場合が結構あるのだ。
佐渡には、独特の文化が息づいている。
古き時代の能や、鬼太鼓などもある。
今年は、新潟県内の小学校の大半が佐渡に行くと言う。
なぜかというと、もう1つ、修学旅行的行事の行き先として多いのが、会津若松方面であることと関係している。
会津若松方面は、震災―原発事故の影響を考えて、敬遠されたケースが多いのだ。

佐渡に行く学校が多くなるが、離島であるがゆえに、宿泊施設やバスの数等の事情から、あまり一挙に受け入れる数は増やせないのだそうだ。
平日は、もういっぱいいっぱいだということだ。
思わぬところで佐渡に渡る子どもたちの数は多くなったが、これが佐渡観光の活性化になるかどうかというと、多少クエスチョン・マークである。
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プール掃除

2011-06-03 22:28:45 | 「育」業
運動会が終わると、6月。
次は、プールのシーズンを迎える。
今日は、5・6年生によって、プール清掃が行われた。
プールの排水栓を抜いて、しばらくは順調に水ははけていくのだが、あと少しだという辺りで、だいたい水の流れが止まる。
なぜかというと、底にたまっていた枯葉が、排水口をふさいでしまうのだ。
そんなとき、プール底は、子どもたちには、最高の遊び場となっている。
少しだけたまった泥水に向かって、スライディングを繰り返す。
水は汚れているが、滑って行くのが楽しいのだ。

そんな子どもたちの楽しげな様子を見ながら、私がしていたのは、こんなこと。

シャワー口や洗顔用の水道の穴の開いたふたの部分をとって、水を流す。
そうやって、管にたまった鉄さびを出す。
そして、ふたに開いた水の出るための小さい穴を一つ一つ確認する。
時々鉄さびが、穴をふさいでいる。
そんな穴を見つけては、1つずつ千枚通しのようなもので刺し、鉄さびを取り除く。
これをしないと、シャワーの水はまともに出てこない。
また、鉄さびの多い不衛生な水を浴びたり、それで眼を洗ったりするはめになる。
案外、これらのことをしないプールも多い。

プールも、シャワー場も、洗顔用の水道場も、みなきれいになった。
あとは、プールに水を張って、業者に機械を動かしてもらって水を循環させれば、準備は完了だ。
夏は、近い!
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運動会の後悔、40年以上たっても…

2011-05-29 20:31:48 | 「育」業

子どものころの私は、走るのが苦手だった。
だから、運動会が好きではなかった。
当時はひょろひょろしてひ弱な子どもだった。
運動、特に短距離走が苦手だった小学校の頃の私にとって、運動会は、一番嫌いな行事だった。
ところが、昔は運動会というと、地域中の人たちが集まるのだった。
衆人環視の中、50m走や100m走などでいつもビリを走る姿を見られるのだ。
小学校の6年間、毎年、子ども心につらくて仕方がなかった。
クラスのほかの子からは、
「男のくせに、おまえは、女子より遅い。おまえ、本当に男か?バ~カ!」
「おまえは足が遅いから、おれたちと同じ組だと負けてしまう。同じ組に来るな。」
こんなふうに馬鹿にされていた。
 いよいよ小学校最後の6年生の時、私は、作戦を立てた。
「100m走は、どうせビリの5位だ。だから、興味走の『障害物競走』に集中して3位を目指そう。1位や2位は無理でも、3位になって、少し見返してやろう。」
 運動会当日、その作戦通り、障害物競走はうまくいっていた。
なんとか3位でゴールテープの前まで来た。
後ろから別な組の子が迫って来るのを、なんとかぎりぎり抜かれずにゴールした。
「やった。目標どおり、3位だ!」
そう思ったのに、ゴール係をしている赤組の、けんかの強い子の一言がすべてを変えた。
「今のは、最後に赤組の子が抜いて、3位だ。絶対、最後に抜いた!」
そう言うと、周りの子どもたちを、じろっとにらみつけた。
周りの子たちは、怖くてそれに従い、3位だったはずの私は、4位になってしまった。
悔しくて悔しくてたまらない私は、もう、完全にやる気を失くした。
その後に、徒競走の100m走があった。
「一生懸命にがんばったのに、4位にさせられた。100m走なんて、どうせまじめに走ったって、オレはビリに決まってる。バカバカしくて、まじめに走ってなんかいられるか!」
そう思った私は、わき腹に手を当てて、腹が痛いふりをして、100m走をタラタラ走ったのだった…。

あれから、40年以上がたった。
小学校最後の運動会のことを思うと、今でも悔しくてたまらない。
でも、悔しいのは、4位にさせられたことではないのだ。
あの後、なんで100m走を本気で走らなかったのか、手を抜いてダラダラ走った自分のことが悔しくてたまらないのだ。
最後までがんばって走ったのなら、堂々とビリになっても、きっと自分をほめてやることができただろう。
当時の学校も、統合されてすでになくなっているというのに、こんな悔いを40年以上も残している私である。(苦笑)
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よい運動会ができた…

2011-05-28 22:18:45 | 「育」業

朝、6時過ぎに雨が降り出した。
一時的なもので、やがて止んだが、すぐに「今日の運動会はやるのですか?」という電話が何本か入る。
こんな時代なのだなあと思う。
ピンポイント予報では、6時台に1mmの弱い雨。
その後は、くもりで、降水量の予報は0mm。
3種類の天気予報を見てみたが、大きく変わらない。
日中まとまった雨にならないことは、予報ではっきりしているのに。
大雨などで中止の場合のみ連絡が行くといってあるのに。
大人なのだから、少しは自分で考えてほしいなあと思ったりもした。

さて、運動会は、子どもたち一人一人がすばらしい姿を見せてくれた。
あんなにひ弱だった子が、転んでも泣かずに走りとおしていた。
特別な支援を要する子が、練習にはまったく参加できなかったが、本番は、自分なりに懸命に競技や演技を行った。
人間関係が苦手な子が、借り物(人)競走で、「きれいな女のひと」というのを引いてしまったが、自分で働きかけていって、まったく知らない人を連れて走っていた。
応援席で、応援団でなくても、たくさんの子が自分たちから声を出して応援していた。
高学年の子どもたちは、自分の仕事をするために一生懸命に走ったり運んだり声を出したりしていた。
応援団のリーダーの子は、競技の部では負けたが、応援賞を獲得できたことに、心から喜びを表していた。
閉会式終了時には、自分の目に涙が湧いて来たのを感じ、何度も急いでぬぐってしまった。

すばらしい姿を見せてくれた子どもたちを、指導・支援してくれた職員にも感謝したい。
駐車場の整理や演技中の用具の移動、運動会終了後の後片付けを積極的に片付けてくれた親御さんたちにも、心から感謝している。
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明日は運動会

2011-05-27 21:58:01 | 「育」業
明日は、運動会。
1学期最大の行事と言ってもよいだろう。
個と集団の力が発揮され、高まりが感じられるはずだ。
見る大人にはなんてことのないことばかりなのだが、子どもの動き一つ一つに実は大きなドラマがある。
どの子を主役にしても語れるくらいのストーリーができあがる。
天気が不安だが、雨が降らないことを願いつつ、明日の子どもたちの健闘に期待しよう。
明日は4時起きだ!?
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