ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

VERY BUSY WEEK & GRADUATION DAY

2013-03-22 22:17:43 | 「育」業
なんとあわただしい1週間!
やるべきことが多いうえに、彼岸であった。

おまけに、職場では年度末の2大行事が木・金と連続してあった。
言わずと知れた、終業式と卒業式。
なのに、昨日の天候は、何と、雪!
朝起きると、屋根や庭に雪!
さすがに、午前中吹雪いたのみで、雪は解けたけれども、低温の中での終業式。
子どもたちも大変だったはず。

幸い、1日明けて今日は青空が広がった。
卒業する6年生の子どもたちは、結構、行事と言えば雨!だったのに、最後の最後に大晴天!
晴々した顔の子どもたちも、しっかり巣立って行った。
欠席が心配された子も、しっかり式に出席した。
よい卒業式となった。

午後からは、新年度に向けた打ち合わせ。
大事なことを決めるので、3人で、4時間余りぶっ続けで相談。

今、こうしてブログを書いている時、携帯がメールの到着を告げた。
何かと思ったら、前任の職場の同僚からのものだった。
心配だった不登校の2名が、午前の卒業式には来られなかったが、午後から別々に来校して、それぞれ卒業証書を受け取って帰ったとのこと。
よかった×2!
心配していた子たちだった。
知らせてくれた元同僚に感謝!

3年前の子のことを思い出した。
彼女も中学校卒業だったはず。
2週間前の中学校の卒業式には、卒業生全般に向けてお祝いのメッセージを送っておいたが、あの子はどうしたかなあ、と思う。

少しでもかかわりがあれば、その子が気になって仕方がないのが、この仕事をする者の性(さが)。
今日は、今の所でも、前の所でも、子どもの巣立ちにかかわって成長を感じた。
そして、教育にかかわる人の思いも…。

こういうのは、万感の思いがあるなあ…。
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「今日、黙とうしませんか?」

2013-03-11 23:02:50 | 「育」業
4時間目が終わって、給食準備に移ろうかという時、6年生の女の子が2名、訪ねてきた。
「どうしたの?何か用?」
と、聞いてみた。
すると、一人が口を開いた。
「今日、黙とうしませんか?」
どうして?と尋ねると、
「東日本大震災で、私たちと同じぐらいの人やもっと小さい子どもたちがたくさん亡くなっているじゃないですか。だから、その人たちのために、全校で黙とうをしたいと思うのです。どうですか?」
「地震の起きた2時46分に、全校のみんなにやってほしいのです。」
ということだった。
「なるほど。じゃあ、あなたたちが全校のみんなに知らせて、ぜひ、やりましょう。」
「ええ~っ。私たちがですか!?」
「そうですよ。せっかくやろうと思ったのだから、あなたたちがみんなに言うのですよ。」
このように言って、二人のやる気がどこまで本当かを確かめてみた。
「じゃあ、どうすればいいですか?」
本気だ。よし、やろう。
「では、まず、給食の時間にランチルームで、みんなに黙とうの協力をしましょう。そのあと、5時間目が終わったら、担任の先生に言って、2時45分までに職員室に来てください。ここから、全校に一斉に放送しましょう。」

果たせるかな、二人は、給食の「いただきます」の前に、全校の子どもたちに連絡をした。

そして、午後2時40分。
もう2人は、職員室に来ていた。
何やら2人で、メモ書きを考えている様子だった。
そこへ、1人の先生が駆けつけてきた。
「あら、まあ。早いね。じゃあ、言葉を言う練習でもしていなさい。」
2人は、2,3言、声を出して言う練習をした。

やがて、時間は2時46分に近づいた。
さっきの先生は、2人のために、放送のスイッチと呼び出し用のチャイムを鳴らした。
2人は、分担して、さっき考えていた次の言葉を言ったのだった。
「2年前の東日本大震災でぎせいになった方々に、『もくとう』をささげましょう。」
「みなさん、立ってください。」
2階の教室の床から、一斉にいすから立ち上がった音が聞こえてきた。
「これから、30秒間のもくとうをささげます。」
「もくとう、はじめ。」
…私も、彼女らのそばで、目をつぶり黙とうをささげた。
先生が、時間を計ってあげていたようだった。
「もくとう、終わり。これで、もくとうを終わります。」
こう言って、2人は、ごくごく当たり前の顔をして、ひと仕事を終えた。

「よくちゃんとやり切ったね。自分たちだけでしっかりやり遂げたのは、実に立派だと思う。本当にありがとう。」
私は、2人と握手をして、彼女たちの行為をたたえた。

自分たちで、全校のみんなに黙とうをしてほしいと考えた2人。
そして、何の迷いもなく全校のみんなに呼びかけ、実行した彼女たち。
頼もしいと思った。
自分の目の前にこういう子どもたちがいる。
震災復興のために、あまり力にはなれないかもしれないけれど、少しでも自分たちができることをしようとする子どもたちがいる。
今日、震災から2年を自分の中の思いだけで完結しようとしていた私は、自分が恥ずかしかった。
そして、このような子どもたちの存在と行動が、言い表しようもなくうれしかった。
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教え子たちからの年賀状に勇気づく

2013-01-15 22:34:55 | 「育」業
「現在ゴラン高原にて国際平和協力業務(PKO)に従事しています。
帰国予定はまだ先です。
元気にがんばっています。」

という年賀状を受け取って、驚いた。
発信人は、小学校6年生時、一時的に不登校に陥ったことがあるHである。
今から20年以上前になるあの当時は、毎日毎日彼の家と連絡を取り、情報交換し合っていた。
Hの心身の状態を知り、その安定化を図ったものだった。
その彼が、今ゴラン高原でPKOとは。
現在彼は、自衛隊員で33歳となっている。
ゴラン高原といえば、イスラエルとシリアが領有権を主張しているため、国連平和維持部隊が派遣されている所だ。
家族と離れ、厳しい条件の中、たくましくその職責を果たしているHをとても頼もしく思う。


「子どものためにも、元気に働いています。」

あえて「子どものためにも」と書いたのは、夫と離婚したK。
比較的早く結婚し、子どももできたのに、夫とうまくいかなくなり、別れたのだとのこと。
とてもつらかったけど、子どものためにもがんばらなくてはいけない、と思って毎日仕事をがんばっているそうだ。
仕事はつらいけど、家で子どもの笑顔に救われているとのこと。
小学校当時は、恥ずかしがりで、友だちの後についているだけの子だったが、今はしっかりと自分の意思をもって生きているのが伝わってきた。


「元気な子ども3人に囲まれて、母ちゃん(として)がんばっています。」

多少気弱で、気になることがあるとたびたび学校を休んでいたM。
勉強も自信が持てず、休むからなおさら学習が遅れたものだった。
繊細な感じで、なんとか自信を持たせようと働きかけを多くしていた。
今は、「母ちゃん」の言葉に、元気な母となっているのがうれしい。

教育に携わった仕事をしていると、教え子たちが成人し、たくましく生きていることを知るのは、最高の喜びである。
直接そういう姿に会ったりしたときの喜びは、さらに大きくなる。

今現在の子どもが、どんなに困った様相を見せていても、きっと成長してたくましく生きていけるはずだ。
そう信じて、周囲の大人たちが見守ったり声をかけて励ましたりしていけば、きっと大丈夫なのだ。

そういうことを教え、勇気づけてくれる、かつての教え子たちからの年賀状である。
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母校を食い物にする…!?

2013-01-14 22:32:13 | 「育」業
えっ!!?
こんなコラボあり?
昨日、日曜日恒例のお買い物に近くのスーパーに行った。
そのとき、見つけたのが、このランチパック。

赤ワイン入りのビーフシチュー
…がサンドしてあるとのこと。
「新発売」とも書いてある。
それはどうということはないのだが、大学名、校章、大学の写真入りである。
しかも、入っている袋は、紫色。
大学のシンボルカラーで色づけされてある。

なつかしい!
この紫色の大学は、実は、わが母校である。

すぐ隣に並んでいたのは、オレンジ色の法政大学、その向かいにエンジ色の早稲田大学、その隣には、紺色の明治大学…それぞれのランチパックが並んでいた。
サンドされている中身は、それぞれ違っていて、面白かった。

わが母校がビーフシチューということだが、残念ながら、自分の在学中の昭和50年代には学食にそんなメニューはなかった。
きっと今はあるのだろうなあ。
経営学部のゼミの学生たちとの共同企画製品らしい。

しっかり1個買ってきて食べた。
それなりに学食の味のような気がして、楽しかった。

他大学の味はというと、法政大学は焙煎キーマカレー、早稲田大学はメンチカツ&たまご、明治大学はオムレツハヤシ風…。
帰宅後調べてみると、製パン会社のホームページにその商品たちを発見することができた。
慶応大学、そして国立の東京大学の商品は、なかった。

こんなの、よく大学が許可したなあ。
母校を食い物にするとは…(意味が違うか!?)
大学と製パン会社に、ひたすら感心!
約7年前に、サークルの前後10数年分まとめての同窓会に行って以降、大学は訪れていない。
皆さ~ん、お元気ですかぁ~…(約20年前の井上陽水の車のCMの口調で…)。

なんともなつかしい珍商品であった。



ごちそうさまでした
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成長している子どもの話を聞くのは本当に楽しい

2012-10-26 22:22:39 | 「育」業
昨日は、残念な思いのまま、去年の思い出を書いた。
今日は、勤務時間終了後、およそ35kmを車を走らせ、前の勤務先に行ってきた。
明日は来られないけど、代わりに今日、あいさつに来たよ、と。
夜なので、子どもたちはいないが、去年一緒に勤めていた何人かの職員の方々が、残ってくれていた。

どうしても、話は、私の知らない今年の子どもたちの活躍している姿が中心となった。
去年までの姿とは違う姿は、十分な成長をうかがい知ることができた。
今は最高学年となった子どもたち。私が着任した時は、トラブル続きだった。
今は、聞いていて、とても頼もしかった。
登山の折も、軽率な行動が目立った子が、体重が軽いのに、2学年下の体重がかなり多い子を支えて、最後下山したとのこと。
音楽会の練習で、皆の中に入って練習できなかった子が、今は普通に練習しているとのこと。
毎日母が送迎しなければならなかった子が、今は一人でバスに乗ってきているとのこと。

こういう、子どもたち一人一人の成長こそが、この仕事をしている喜びだと思う。
残ってくれていた皆さんのおかげで、たくさんの子の成長した話を聞くことができた。

そのうちのお一人から、

「普段接していると見過ごしがちな成長を改めて口にしてみると気付くものですね。
“即時賞賛”忘れず頑張ります。話ができ楽しかったです(^.^)」

というメールをいただいた。
自分と同じ思いで仕事をしている人がいるとわかり、うれしかった。

今の勤務先でも、たくさんの子どもたちの成長している姿を認めていきたいと思う。
それこそが、私の仕事の生きがいなのだから。

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2人の若者から、吉報届く

2012-09-28 23:20:17 | 「育」業
よかったなあ。
今日、23歳の男性と、31歳の男性から、
「合格しました!」
と報告を受けた。

何かというと、教員採用試験。
少子高齢化が進む本県では、ほとんどの市町村で著しく子どもの数が減っている。
そのあおりを受けて、学校統合が進み、教師がどんどんいらなくなってしまっている。
教師を志す若者は多いのだが、正式教員としての採用者数は、少ない。
30年前の4分の1程度である。
だから、大卒で即採用試験合格、というケースは少ない。

今の勤務先のIさん。
補助教員として、この4月から働き始めた。
子どもと一緒に過ごすことを好む、素晴らしい若者だ。
1次試験に合格し、2次試験の面接に備えた練習をしてあげた。
すると、あれほど日頃しっかりして見えるのに、ちょっと意地の悪い、突っ込んだ質問をすると、しどろもどろになってしまう。
自分の中の教育に対する信念、柱をしっかり立てることが大切だ、とアドバイスし、後日再練習を行った。
その成果が見事に実った。
おめでとう!

前の勤務先で一緒だったKさん。
「社会の教科書を見ていると、何時間でも飽きない。」と言っていた研究熱心な人だ。
当時、8回連続で本県の試験に落ちている、と言っていた。
9回目は、1次試験に合格した。
しかし、2次試験で落とされてしまった。
失意のKさんだったが、遠い他県の採用試験に合格。
それを機に、彼女と結婚し、二人で他県で生活を始めた。
子どもも生まれたし、正式に教員になったが、やはり夢は故郷に教員として勤めることだと言っていた。
昨年は、遠い他県での暮らし。
初めての正式な教員としての生活と、厳しい初任者研修でまったく暇がなかったそうである。
しかし、2年目の今年、やはり多忙なことは変わらなかった。
現在の仕事をないがしろにする人ではない。
仕事をしながら、採用試験用の勉強もがんばったようだ。
夜、7時過ぎ、吉報を知らせてくれた。
来年は、同じ県で同じ仕事ができることをうれしく思う。
様々な大変さを乗り越えて、よくぞ合格した!
おめでとう!

同じ勤務先で時間を共にした若い人が、正式に採用される。
この道を志し、思いを成し遂げたことがうれしい。
だけど、2人とも、まだスタートラインにつくことが決まったばかりだ。
教員としてのスタートは、これからだ。
おめでとう!
目の前の子どもたちのために、これからも、共にがんばっていこう!
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中学生の「主張」を聴きに行く

2012-07-27 20:28:21 | 「育」業
市内の中学生が集まって、「わたしの主張」を繰り広げる。
そんな大会を見に(聴きに)行った。
自分のメッセージを発表する中学生一人一人の言葉に感心した。

○他人と比べることでしか自分の価値を見いだせない、そんな悲しい人生にはしたくない。

○自分の長所が分かると自分に自信が持てる。自分を大事にしようと思う。自分だけでなく他の人も大切にする思いやりの気持ちが生まれる。

○人には変わるチャンスが何度もめぐってくる。今からでも変われる。

○人に優しくされると、心が温かくなり、気持ちがよくなります。私が思うのだから、そうされた人も良い気持ちになると思います。

○将来、どういう人間になれることが正解なのか―数学の方程式と同じで、簡単には出ない答えです。将来に向かっている途中で見つけていくものなのかもしれません。

○自分から変えていかないと、何の変化も起こりません。ですから、自分の能力や価値観に自信を持って、ほんの小さなことでもいいので、自分の意見を、周りに伝えてみよう。

○もしけんかをしても、相手だけを悪く見ず、自分のことを見つめ直す。自分の欠点が見つかり、相手の良い所が見つかるもしれません。

…大人が聞いても、本当にそうだよなあ…と、うなずく言葉が多かった。

小学生とは違う、確実に大人になりつつある中学生。
一人一人が、悩みながらも、今を真剣に生きていることが伝わって来た。
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金のまど

2012-06-26 23:12:57 | 「育」業
この頃、夕方走っていると、東側に、夕日を反射して窓が金色に輝く家を見かける。

子どもの頃、小学校の国語の教科書に、「金のまど」という話があったことを思い出す。


貧しい農家に男の子が住んでいた。
毎日一生懸命働く男の子は、夕方になると、いつも丘の向こうに、きれいに光る金の窓がついた家が見えるのを、あこがれをもって眺めていた。
ある日、男の子は、よく働くので、一日休みをもらった。
男の子は、、いつも見ていた向こうの丘の金の窓の家に行ってみることにした。

川を渡るなど苦労してその家に着いてみると、どこにも金の窓はなく、ガラスがはまっていただけだった。
がっかりして、その家のおばさんに聞いてみると、「うちは貧乏だからそんなものはありませんよ。」との答えだった。
夕日を浴びたガラス窓が、金の窓に見えていただけだったのだ。

その家の女の子と遊び、金の窓の話をすると、女の子は、「私もいつも見ているわ」と指差した。
指差した向こうの丘の家は、確かに、金色に光る窓が付いていた。
しかし、それは、なんと貧しい自分の家であった。
同じように、夕日を浴びて金色に光っていたのだった。


ストーリーからすると、O.ヘンリーの書いた短編かな?と思っていたのだが、ネットで見つかったのは、違っていた。

「岡の家」という題で、日本人、鈴木三重吉の書いたものであった。
国語の教科書だったから、多少は改作されたのかもしれない。
だいたい、「岡」なんて字は、小学校で習わない。
「おかの家」というのではなく、あくまで「金のまど」という題だったように記憶している。


それにしても、小学校の教科書にあったものが心に残っているなんて、やはりこの物語のどんでん返しが、子ども心にとても印象深かったのだろう。

今日も「金のまど」を思い出しながら、夕方6日ぶりに11kmのジョギングをしてきた私であった。


なお、今回の写真は、すべてひと月ほど前のものです。
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出会った人々が勇気を与えてくれた~前任校の運動会を訪れて

2012-05-26 19:45:43 | 「育」業
以前に比べて、日曜日ではなく土曜日に運動会を行う小学校が多くなった。
5月に運動会を行う場合、今年は今日26日か先週19日がその開催日だ。

今日は、前の勤務先の運動会。
久々に、車を走らせていく。
不思議なものだ。
勤務先が変わってからもう2か月近くになるのに、かつての通勤路を進んでいっても、ちっとも違和感がない。
人間の感覚というものは、そう簡単に変わらないものらしい。

さて、運動会。
6年生の赤組・白組双方の正副の団長たちを見て、驚きながらもうれしかった。
体は大きいながらも、目立たず積極性に欠けていた子、低学年時は発達障害傾向がみられると言われ自己中心的なためトラブルを多発していた子、何度も登校しぶりになり教室の中で親と一緒に過ごしていた子…。
様々なことがありながらも、小学校最高学年で、この輝かしい(?)ポジションでがんばっている子どもたちが、応援団のリーダーになっていた。
すごいなあ。

おや、ラジオ体操で前に出て体操を見せている子どもたちの中に、低学年時代は登校しぶりで校長室や職員室に登校し、中学年時代まで毎日1日中母親がそばにいなければ学校で生活できなかった子がいるじゃないか!
この子も、大きく成長したなあ。

今さっき徒競走で走って行った子は、3年前1年生のとき不登校になった子だ。
すごい追い込みだ。
残念、2位か。
でも、すごい、あきらめない強い走り。

応援席の中に、静かに座っている子は、落ち着きがなくよく教室を飛び出していた子だ。
応援席では、たくさんの子が手を挙げ、ハイタッチを求めてくる。
彼らの小さな手から、勇気が伝わって来る。

応援に来ている親御さんからも話しかけられる。
そして、その中には、2年前に午後からたった一人の卒業式を行った、あの子もいた。
中学校に行ってまた不登校に陥ってしまったけど、今は中学3年生。
次への進路も気になるところだが、高校には進みたいから勉強もしている、少しだけど学校へも行っていると伝えてきた。

午前の部の最後まで競技を見たりたくさんの人々と話したりしてきた。
今の勤務先では、まだそんなにたくさん話せる人々はいない。
これから、子どもたちとも、保護者とも、地域の人々とも、職員とも、人間関係をさらに作り深めていかなくてはいけない。

でも、今までの自分の生き方は間違っていなかった、今の勤務先でもそれを続けていけばよいのだ。
知っている人々との再会が、そう思わせてくれた。
それは、教育に携わる者にとって、最大の再発見だ。

たくさんの勇気をもらった前任校の運動会であった。


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桜満開の高台に立つ~今はなき小学校~

2012-04-22 23:09:23 | 「育」業
ようやく新潟県のあちこちで桜が開き始めた。
南の方に行くと少しは満開の桜が見られるのではないかと、県内で「桜の名所」と言われているところへ出かけてみた。
しかし、まだまだ桜のつぼみが開いているものは、ちらほら。
まだまだ咲き始め、ということでとても残念であった。
南の方へ行けばいい、と単純に考えたのは間違いだったようだ。
仕方なく、せっかくだから、少し遠回りしてドライブして帰路に着くことにした。

その途中、少し高台になっているところに、満開の桜が何本か咲いているのが見えた。
とても美しく見えたので、狭い道に入り、立ち寄ることにした。
実は、ここは知らないところではない。
ここは数年前まで学校だったところである。
コンクリートの道のそばには、木造2階建ての校舎が建っていた。
今は、その校舎も取り壊されて、跡形もない。


そのことを知っている私…。
今から30年余り前、私は新採用教員としてこの学校に勤めたことがあったのだ。
その時の教え子たちも、もうすでに40歳を超えているはずである。
子どもたちと様々な出来事があった。
そして、一緒に勤めた先生たちとも…。
当時の校長先生も、教頭先生も、定年を迎えていくらもたたないうちにそれぞれ難病にかかって亡くなってしまったのは、とても残念だった…。

地域の人たちが情熱的な応援をしてくれて盛り上がった運動会。
そのグラウンドも、今は一面草が生えて緑色になり、トラックやフィールドの区別もない。


ただ、プールは薄汚れたままそのままの場所にあった。

30年余り前のあの頃に、できたばかりのプール。
地域に大歓迎されて出来上がったものだった。
毎日毎日、子どもたちをプールに入れて泳げるようにした。
うまく泳げない私だったが、子どもたちに教えるために、一生懸命泳ぎ方や指導法を学んだのだった。
今はそのプールも、ただ放置され、壊される時が来るのを待っているように見えた。

一角に、ここに学校があったことを示す記念碑が建っていた。
そこには、校歌が刻まれていた。
近くには、創立百周年を示す碑もあった。
私が勤務している時に迎えた百周年。
その20年後には、タイムカプセルを開け、皆で小学校時代をしのんだり、これからもこの学校の永遠を願ったものだった。
しかし、そのわずか数年後、突然学校は他の中心校に統合することになった。
あっけなかった。

全国で、特に地方で、少子化により子どもの数が減り、学校が次々になくなっている。
4月から勤務しているところも、その憂き目にあっている。
地域にあった学校がなくなると、その地域からは子どもの声がなくなり、火が消えたように寂しくなる。


青空に、満開となった桜が美しい。
30年前は、ここの学校がなくなるなんて、誰ひとり夢にも思わなかった。
桜は、あの当時からさらに幹を太くして咲いていた。

あの当時、ここで学んでいた皆さん、元気に生きていますか。
皆さんと過ごした日々は、とても尊いものでしたよ。

桜を見上げ、青空に語りかけた。



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